鮎返しの滝と獅子窟寺のびんずるさん (私市) |
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びんずるさんと雨乞い 雨乞いの時は、獅子窟寺の賓頭盧尊(びんずるそん)さんの顔に白粉を塗って、この滝の滝つぼに吊り下けたといわれている。いつも赤い顔をしている賓頭盧尊が、百姓たちから顔におしろいを塗られて、日照り続きで水のない滝つぼへ下ろされる。 こうしておけば、賓頭盧尊さんは、「わしは元来いつも赤い顔をしている事をお釈迦さんに許されている。それがこんな白い顔になって恥ずかしくてたまらない。といって、この顔の白粉を洗い落とそうとしても滝の水は日照りのために落ちていない。よし!一つ大雨を降らして滝に水を落として顔の白い粉を洗い落としてやろう」と考えるにちがいない、と思いついたのである。 交野の雨乞いの話 日照りが続くと、賓頭盧尊さんの首に穴開き銭をぶらさげて、行列をつくって蓮華寺(私市・若官神社横)へお迎えをした。雨乞いの行には村人が交代で参加し、21日間続けられたそうである。この行の間に雨が降ればば、びんずるさんを白粉で化粧をして獅子窟寺へお送りをした。しかし、21日間を過ぎても雨が降らなければ賓頭盧尊さんを鮎返しの滝壷へ吊るしたこともあったと伝えられている。夏期旱魃(かんばつ)は昭和14年に、松宝寺の池の水がなくなり、畦の草まで枯れてしまうという日照りが続いた。そのとき、実相院の尼僧が番傘を千本集めて雨乞いをした。このときには、雨が少し降ったそうである。 「雨たも、たもいの、天に滴(しずく)はないのんか」 そして「雨喜び」 田に水が一番必要とき、日照りが続き川、池、井戸に水がなくなってくると、村人たちは必死で雨乞いをした。雨が降ってほしいという願いは強く、雨が降ったときの喜びは現在の私たちには想像もできないことである。雨を降らしてくれた神さまへのお礼と、雨が降り稲が助かるという喜びを村中で祝うため、また雨乞いしに全精カを注いだ疲れをいやすためか、雨の降った翌日は一日(または半日)休みとした。 |
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