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「盲児たちの粘土像」が元旦の神戸新聞に再び登場
お母さんの顔が見たい

兵庫県の岩下さんより投稿いただきました
 
2004.1.11  
 
 昨年紹介しました盲児たちの作った粘土像展「お母さんの顔が見たい」の発端が、神戸新聞朝刊のコラム「正平調」でしたが、今年元旦の「正平調」にあの盲児たちの粘土像が再び登場しました。盲児たちの、粘土像に託した直向(ひたむき)な心情、それをライフワークとして世界中に伝えようとする福来四郎先生の熱烈な意欲、更にはそれを命の喜びとして読者に伝えようとするコラム執筆者の真摯な熱意。その熱さが三者一体となってひしひしと身体の奥底まで伝わってきました。
 元旦早々、神戸新聞からこの上ない嬉しいお年玉をもらったものです。そのお年玉を下記に紹介します。

 かけがえのない「いのち」のかたまりとでもいえばいいのか。粘土像が語りかけてくる。生きるって、こんなにもうれしいことですよ。と◆目の不自由な子供たちが作った二千体もの粘土像が、神戸親和女子大に保管されている。見えないはずの父母や自分が、思い思いの形になっている。天に向かって手を合わせる子供の像に「祈り」という名がついている。「母のかおを、ちびっとだけでもみせてください」。作者の小五男子は、そう書き添えた。◆かって盲学校の美術の先生だった福来四郎さんが、子どもたちのの粘土像すべてを大学に預けた。半世紀以上も昔の作品もあるが、温かく生きているようだ。過去の粘土像がいまでも不思議な温もりを発している。子どもたちが肌で感じた親の温もりそのものだろうか◆「母といる時は心強い。かあちゃん千年まで生きとって」。中二男子は、母が自分をひざ元に抱える像を作って、そう書いた。父に肩車された男の子の像もある。「一番のしあわせ」と名づけられた像には、「地球で一番たかいところは、ここやな」と感想があった◆一年ほど前、福来さんは自費出版で粘土像の写真集を出した。英語と日本語の文章をつけた写真集を、世界中の国の図書館や盲学校に少しずつ送り続けている。「あんなに命をいとおしんだ子どもたちの心を伝えたくて」。八十代半ばに達した福来さんのライフワークだ。◆元日の朝。また一歳、年を重ねた喜びが体全体に満ちてくる。〈命続ぐ深息しては去年今年〉波郷ーー神戸新聞平成16年1月1日朝刊コラム「正平調」より全文引用ーー

○「おかあさんといっしょ」(2) お母さんに抱きかかえられて幸せそう。コメントは「小さい時私は朝と晩をよくまちがえた。夜中でも母は外にでて遊んでくれた」 「母といる時は心強い。かあちゃん千年まで生きとって」。中二男子は、母が自分をひざ元に抱える像を作って、そう書いた。


おかぁさんといっしょ



2003.8.31

 遅くなって済みません。6月22日の「お母さんの顔が見たい」という、盲学校の生徒達が造った粘土像展覧会の観覧記、折々に綴っておりましたら到々こんな時期になってしまいました。思いのほか長文になってしまい、送ろうかどうしようかと迷ったんですが、一旦報告すると言った手前反古にする訳にもいきませんので、恥ずかしながら送ります。

「お母さんの顔が見たい」
盲児達が造ったお母さん像展を見て

それは、将に「土くれ達の叫び」でした。神戸新聞の記事で、「見たこともないもん造られへん」と抵抗したという盲学校の生徒達が粘土で造ったお母さん像とは一体どんなものだろうと、強く興味をそそられ、622()の午後、家内が外出で一人では寂しいと、友人夫婦を強引に連れ出し、内心恋人にでも会うかのように期待に胸を膨らませて、加古川市は鶴林寺へと車を走らせました。 

願う心が、そのまま形になっている。目の不自由な子どもたちが造った粘土像から受けた印象だ。手の感触で捉えた母の姿は、限りなく優しい◆加古川市の鶴林寺の講堂で開かれている展覧会「お母さんの顔が見たい」(22日まで)には、200点の粘土像が並んでいる。1950年から30年間かけて、神戸市立盲学校の子どもたちが製作したものだ。指導した福来四郎先生の提案に、最初は子どもたちが抵抗した。「見たこともないもん造られへん」◆やがて、子どもたちも少しずつ粘土に手を触れる。そして次々に生まれた自在な作品に、福来先生は深く胸を打たれた。小五の女子の「ねんねんころり」という作品がある。母の背を信頼して反り返って眠る子、懸命に支える母。母子がひとつに溶け合ったような塊が、強いきずなを思わせる◆「手さぐりの母」という中二女子の作品には、こんな作者のコメントが付いている。「私は小さい時、母の口や鼻をよくさわった。目のあたりにふれたら私の手はぬれていた」◆粘土像はいま、神戸の女子大に所蔵されている。全国で展覧会を重ねて、これが140回目になる。そのつど多くの人の心を洗ってきた。入場者の感想ノートにあった女性の言葉に共感を覚える。「私たちは日々、目に見える うわべの事にばかりとらわれている」◆雨にぬれた寺の境内で、沙羅の木が白い花を開いていた。梅雨どきの静寂が、粘土像にこめられた無垢の魂を包み込むようだ。ふと、「仏心」という言葉がよぎった。 
 《
620()神戸新聞朝刊コラム「正平調」より、全文引用》

  曇り空の午後、鶴林寺山門をくぐり真っ直ぐ北に進んで本堂のお参りもそこそこに、左手お目当ての盲学校の子どもたちが造った粘土像展「お母さんの顔が見たい」の展覧会場である講堂へと急ぎました。

さて、「見たこともないもん造られへん」から始まった「お母さんの顔」とはどんなものだろうと、興味と期待に胸をドキドキさせて会場に足を踏み入れました。会場は教室を少し大きくした位の南北に長方形、東側中央が出入り口、壁に沿った展示台の上に大小沢山の作品が並べられ、中央には南北に大きなテーブルが二つあり、南側には「母子像」、北側には「祈り」と題して沢山の可愛い粘土像がテーブル一杯に展示され、しかも「時間をかけてゆっくりご覧下さい」との掲示がありました。先ず壁に沿って一巡し、その後ゆっくりとテーブルの作品を鑑賞するようにとの心遣いでしょうか。
 どれも素晴らしい作品でした。特に印象に残ったものを幾つか紹介します。    

○「しっかり抱いて」(小5女) 大小のおにぎり2ヶがくっついて立ち、大きいおにぎりの両脇から出た太くて長い両腕が小さいおにぎりをぐるっと抱き込んでいると言えば想像がつくでしょうか。頭と胴体との区別もつかない実に素朴な作品です。然し、なんとストレートな表現でしょう。お母さんが両腕で我が子を優しく、然もしっかりと抱きしめている有様が如実に造り出されています。なんとも頼もしく、ふくよかな腕でした。


しっかり抱いて

「かあちゃんの大きな手の中でうれしい」とのコメントの傍らにこんな添え書きがありました。「この像の前でいきなり女の人が泣き出した。『私はこんなに子どもを抱いたことがない』と」

○「ねんねんころり」(5) 神戸新聞で紹介された通りで、実に可愛い作品でした。「かあちゃんは夜中におんぶして外へでたそうな。私は夜と昼がわからなんだ」とのコメントが付いていました。


ねんねん ころり 

○「背中がかゆい」長ぁーい右手がぐるーっと背中に伸びて、将にタイトル通り。コメントに「もうちょっと もうちょっと」とありました。

○「眼がほしい」(3) 両足で踏ん張り、両手を前に上げ、天を仰ぎ、口を一杯に開けて叫んでいる。力の限り、天にも届けと。迫力一杯の作品です。


眼がほしい

 コメント「退院する日が来た。病院の先生に父が聞いた。先生はもじもじしながら言った。『きのどくですが、この調子では見えないでしょう。気をおとさないでください』ぼくは心の中で泣いた。声をだすと父がかなしむからである。涙がとめどなくでてくる。手術は不成功に終わった」

 主催者註 「開眼手術に失敗し、傷ついた心をそのままぶっつけたこの作品は『こども二科』に入選。映画化され、大臣賞を受けた」

○「おかあさん ありがとう」(5) 少し頭を左に傾けて座ったお母さんの後ろに立って、顔を上に反らして得意気に肩を揉んでいる姿。お母さんの口元が微笑んでいるように見える。


おかぁさん  ありがとう

 コメント「かあちゃんはぼくのために苦労してるんやな。肩がこってるで」「えらそうなことをいいよる」「ぼくの手は さわったら わかるんやで」「すまんなー」母は声をつまらせ背中をかがめた。手にふれた髪の毛はボサボサだった。

○「手さぐりの母」(2) お母さんが右に顔を反らしながら、子どもを横抱きに高く支え上げ、子どもの右手が前へ伸びているがお母さんには届かない。

 コメント 「かあちゃんの顔 さわらして」私は小さい時 母の口や鼻をよくさわった。眼のあたりをふれたら私の手はぬれていた。「かあちゃんどうしたの」母は私を高くさしあげた。


手さぐりの母 

○「母の顔のぬくもり」(3) 奈良の大仏さんが顔を右に傾げて頬杖をつき、左の掌に乗った赤ん坊が両手で大仏さんの両頬を撫でている姿を想像して下さい。お母さんは目を細めて微笑んでいます。

 コメント 「私は母にだかれると、母の顔によくふれた。小さい時はあたたかいというだけだったが、しだいにまるくつるつるしているのがわかるようになった。母は私が盲学校にいきだしてからは顔をさわらせようとはしなかった。顔のぬくみは今も手にのこっている。          

 以下コメントのみ紹介

○「祈る」(5) 「神様 ぼくに目をください。それがだめなら 心の目を開いてください」天に向かって手を合わせる子供の像に「祈り」という名がついている。「母のかおを、ちびっとだけでもみせてください」。作者の小五男子は、そう書き添えた。


祈る

○「苦しい」(3) 「きみら苦しいことあらへんか」「かあちゃんがおるからがんばる」
馬にのる
○「馬にのる」(3) →

 
「馬にのったところやで」「馬はどんなもんやしっとるやろか」「足は四つ、しっぽは一つや」「どこに人がのっとるの」「はらの上や」

 思わず「えっ、本当
?」と問い返しそうになりました。作品はちょっと説明の仕様がありませんでした。


○「母の胸」(6) 「かあちゃんの胸は運動場」

○「働く人の手」(4) 「とうちゃんの手は ごっついで」


働く人の手

○「母の手」(4) 「なんでもしてくれるやさしい手」 

○「母の顔がみたい」(6) 『眼があいたら一番に何が見たいの』と看護婦さんがきいたら『そら かあちゃんの顔や』 戦時中の母の栄養失調で、私の目がこうなったという。私は母をにくみはしない。あきらめていても母の顔をみたいと思う」

 まだまだ沢山あります。それに中央二つの大テーブルに並べられた「母子像」と「祈る」の像の数々、とても紹介し切れません。「母子像」はお母さんに抱かれて本当に幸せそう。そして、お母さんはどれも優しい。やっぱり子供はお母さんなんだ、男の入り込む余地はないんだと、今更ながらに思い知らされました。「祈る」は可愛い手を合わせ、少し上向き祈る姿。一つ一つに心がこもっています。こんなに純真に祈ったことがあっただろうかと我が身を振り返りました。

もし、近くでこの展覧会があったら是非見に行ってください。そこには、素晴らしい感動が待っています。

観覧の途中から、涙が出て止まりません。作品を見、そのコメントを読む度に涙が溢れ出てくるのです。最後のコーナーに備えられた感想ノートに「何故か涙が止めどなく流れ出て止まりません…」とまで書いて、次の言葉が出て来きませんでした。ハンカチを手にした人があちこちに見えました。決して、汗を拭く為ではありません。 

 唯一つ、不思議に思ったことがあります。どの母子像を見ても、母と子が向かい合って抱いているのがないのです。子供は全部前向きか、横向きになっています。係りの人に聞くと、目が見えないということから、向かい合って抱く必要性がないとかで、この子達の場合、向かい合って抱くことは先ず無いんだそうです。理屈ではそうかもしれませんが、私としてはちょっと信じ難い話です。

会場を出ると、梅雨空の静かな境内の一角に沙羅の白い花がひっそりと咲いていました。実物を見たのは初めてです。一日で散るという。思わず「平家物語」の一節が浮かびましたが、目前の沙羅の花は、「儚さ」ではなく「生きる」ことをを精一杯謳歌しているように見えました。未熟の身、とても「仏心」を思うまでには至りませんでしたが、「洗心」という言葉を胸に清清しい気分で夕暮れ迫る鶴林寺をあとにしました。

 追伸

 会場で買った写真集『土くれ達の叫び』−震災をのり超えた盲児たちの粘土像−のあとがきに作品の由来と経過が記されていましたので紹介します。(原文のまま) 

歯が痛い(作者不詳)
歯が痛い
写真集表紙の作品です

この写真集に入っている個々の粘土像は、野にある仏、道端の道祖神、露地の地蔵のようでもある。それは旅人とふとどこかで出会うだろう。写真を手にとってみて、そう思う。それは、これら無名の「土くれ達」の無言の叫びとの交感なのだ。

 撮影された六十余の粘土像は、実は「盲児」たちがつくった二千体にものぼるうちの一部である。作品は手のひらにも入る粘土細工から、両手で抱えるほどの彫塑と、さまざまである。それらは神戸市立盲学校の生徒たちによって(美術担当教師福来四郎−ふくらいしろう−さんの「指導」で)一九五〇年から一九七五年の間に生み出された。

 ……福来さんが盲学校在職中に作品として世に出たわけだが、氏の退職によって粘土像は行き場をなくした。散逸、廃棄の恐れのきわどいところで、眼科医の林博文さんの手で救われた。林眼科の診療所地下室にすべてが入り、保存された。そして、粘土像二千点のうちから、およそ二百点が展示用として地下室から各地に出品され盲児たちの「心のかたち」「いのちの存在感」として、見る人、触る人との交流をつづけてきた。

然し、個人の保管には限界もあり、林さんは粘土像の行く末を心配された。ようやくというか、縁あって、一九九一年に神戸親和女子大学附属図書館へ移転された。引き続き、保育園、幼稚園、小学校、高校、専門学校、大学、公民館、博物館にと出品、展示されてきている。

 この間、一九九五年一月一七日大震災による被災。粘土像は激震地の外にあって難をのがれた。(林眼科は全壊したのだった)

 このように時は過ぎ、いま、土くれ達はいのちの結晶として、指導した教師、生み出した生徒の手から、出会いの旅に出ているのだと思う。         (盲児の彫塑から学ぶ会・室伏修司)                                          
 ご参考に〔編集・発行〕 盲児の彫塑に学ぶ会 代表・松村敏明                  神戸市中央区南本町通5−2−21                       社会福祉法人 えんぴつの家 内                          TEL 078-252-0109 FAX 078-231-5281

※文中の写真は写真集『土くれ達の叫び』−震災をのり超えた盲児たちの粘土像−を参照しました。深く感謝申し上げます。

「土くれ達」の保管場所である親和女子大学に、今後の貸し出し出展予定を聞きましたのでお知らせします。
さしあたっては、11月21日(金)〜11月22日(土)の2日間、大阪市内の女子大で開催されます。(照会先 親和女子大学 生涯学習センター 内 室伏修次様 Tel 078-591-2934)

 今後の展示会予定
(1) 11月21日(金)〜11月22日(土) 於 大阪城南女子短期大学 (所在地)〒546-0013大阪市東住吉区湯里6-4-26
「造形表現・図画工作・美術教育研究会全国大会」(主催 日本教育美術連名大阪美術教育振興協議会)大会事務局 同短期大学総合保育学科 西川先生
 Tel 06-6702-5138 の開催に伴い、会場内で200点が展示される。
場所は、地下鉄御堂筋線「長居駅」と地下鉄谷町線「喜連瓜破駅」の中間にあり、共に市バスに乗り「湯里6丁目」下車直ぐ。

(2) 11月29日(土)〜12月5日(金) 於兵庫県多可郡黒田庄町 場所の詳細は不明 30点展示
(3) 平成16年春に神戸市での開催予定あり。 期間、場所共詳細は不明

沢山の感動のメールを頂戴しました
      深く御礼申し上げます。


2003.9.10
 短い夏でしたが、まだまだ暑い日が続いています。
お母さんの顔が見たい、作品展見させて頂きました。
有難うございました。
2003.9.8
「お母さんの顔が見たい」心の洗われるHP、ありがとうございました。
お母さんが其処にいて、いつも優しくて、いいにおいがするのに顔が見えないというのは、私たち兄弟のように1歳や3歳で死別した場合より、もっと辛いことなんだなと考えさせられました。

2003.9.8
 「お母さんの顔が見たい」すばらしい感想文ですね。
ほんとに泣けてきました。
Handycup というのはつらいですね。

いろいろとご活躍のごようすで、うれしく思います。
またお目にかかれる日を楽しみに。
2003.9.7
「お母さんの顔が見たい」 感動深く拝読しました
ありがとうございました
2003.9.6
夜になって秋の虫が、賑やかに鳴き始めました。
ご無沙汰しています。小学校の給食も始まり、やっと、いつもの生活に戻る事が出来ました。
「お母さんの顔が見たい」...
見えなくても、あの様にステキな作品が作れるとは...子供ってすごい感性を持っているのですね。本当に涙が出てきます。
そして、いつも素敵なHPを見せて頂いてます。ありがとう。
これからも、どうぞがんばって下さい、楽しみにしています。
もう少し暑さが続くようです。お元気にお過ごし下さい。
2003.9.6
「お母さんの顔が見たい」読ませていただきました。
生まれたときから見えない・・・
想像を絶する世界だと思うのですが、頑張ってとしか言葉が思いつきません。
やっぱり涙が出て止まりませんでした。

私たちは字が読めるだけでも幸せを感じなければと思います。

2003.9.6 「お母さんの顔が見たい」
目の不自由な子供の、文字どおり手探りで創った作品。
その声。その親の感情。考えされますね。


2003.9.6
 残暑というより夏真っ盛りと言いたい暑さで、肥満の身には厳しい9月となりました。
阪神タイガースだけが元気なこの頃です。
「お母さんの顔が見たい」を拝見。目が不自由な子どもらのひたむきな思いが胸を打ちます。70年余を生きてきた自分はいったい何を見てきたのか…と考えさせられました。
有難うございました。
2003.9.6
 9月に入ってから暑い日が続いていますがお元気なご様子なによりでございます。
私もお陰さまで元気に過ごさせて頂いております。

「お母さんの顔が見たい」を見せて頂きました。
子ども達の素晴らしい感性に感激しました。
そして涙と共に見えることの有難さ、当たり前の事と日頃気付かなかった幸せを感謝し あの子達に幸多い事を祈る気持ちでいっぱいでした。
本当に素敵なホームページを有難うございました。
2003.9.6
今朝 ウオーキングの時「お母さんの顔が見たい」のHPのこと友達に話して URL送っておきましたら見てくれたそうです。

素晴らしいHPを紹介してくださって有難う。久しぶりに人間(母と子)の深い愛情と純粋で美しく又とても悲しいものを感じることができました。“お母さん”って心の安らぐ場所なんですね。母のことを思い出しまた涙しました。今の幸せに感謝して、日々この子供たちのようにきれいな心ですごしていこうと思いました。本当にどうも有難う。

こんなメール貰いました。又主人にも見せました。男ですから何も申しませんが、今 遠くに居る娘に重ねて色々考えさせられていると思います。
本当に良いお話を有難うございました。
大工さんのエッセイも拝見しました。タイガースのことはよく判りませんが、大勢の方が元気になれる影響力の凄さ ビックリです
2003.9.6
 こんにちは 朝夕少し涼しく成って参りました。

土くれ達の叫び読ませて戴き子供たちの作品も見せて戴きました。
この世に生まれて色んな障害者が居られますが目の見えないほど悲しい辛い事は有りません。

神様ぼくに目を下さい 目が欲しいの作品から子供の気持ちが伝わり涙が止まりませんでした。

親子の絆の深さに感動しわが身を振り返って見えるだけで感謝です。
心打たれ思っている言葉が上手く書けず済みません。

親子の素晴らしい生き方作品を見せて戴き感動しました。
2003.9.6
 「お母さんの顔が見たい」の題名から 私が想像した内容とは全然違い 朝からPCの文字がぼんやりしか見えません。やっぱりお母さんってすごい!母になれた幸せを感じています。母になれない人も沢山いるのですから・・・

女に関する文字を教える時「お母さんってスゴイ!」って紙芝居を作りました。これからもっと実感を込めて子供たちに伝えられるような気がします。

2003.9.6
 感動の一文確かに拝見。小生その中にしばし思いを馳せ、「お母さんの顔が見たい」をよくぞこれまで深く問題点を、抉り出して、心ある人たちに訴える、大変嬉しく思いました。

深夜眠れぬままに、HPを拓いて見ました。
2003.9.5
 「お母さんの顔が見たい」の写真UPありがとうございました。
本当にいいレポートになりました。
やっぱり映像が入ると迫力が違いますね。有難うございました。
〔歯が痛い〕は写真集表紙の作品です。会場では気が付かなかったのですが見れば見
るほどいい作品です。
誰しもが「なるほど」と納得できるんではないでしょうか。


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