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7月6日〜7日は七夕祭り 七夕の笹飾りや夜店が出て、沢山の子供たちで賑わいます。 年に一度の七夕伝説の夢を馳せましょう。 ※7月6日(宵宮) 時間は夕刻から沢山の夜店が出て賑わいます。 ※7月7日(本宮) 午後4時お神輿がでる 午後7時〜 神事(式典) 短冊のおはらい、祈願 午後 11時30分〜 天の川に流す
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今から約1600年ほど前、大陸から渡来した漢人庄員(しょういん)によって開かれた。その頃、すぐれた文化を持った大陸人は歓迎され、優遇された。 渡来人のうち、織物をその専業とするものは、倉治を中心とした津田・寺村の山麓にその土地を与えられた。 こうした渡来人集落のうち、機織(はたおり)を業とするところは、その生産物の需要が多く、村は次第に繁栄し、その一族はこの地方で大きな勢力となった。 白鳳元年(672)天智天皇の子・弘文天皇と天智の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が対立して戦った時、この山麓の機物(はたもの)の生産者たちは立ち上がり、大海人皇子に味方した。 そして、聖武天皇の天平年間、現在の神宮寺の東南に開元寺を建立した。機物神社は、この地に始めて機織りの技術を伝えた漢人庄員を祭神としていたが、 平安時代になると、京都朝廷の人々が遊猟のために交野地方を訪れるものが多く、当時彼らの間で盛んだった天体崇拝思想や文学的趣味から、その祭神は転じて織女星すなわち棚機姫(たなばたひめ)となって、現在まで続いている。 平安時代の頃、 惟喬親王(これたかしんのう)のお供をして交野にきた在原 業平が、七夕姫に託した里姫との、一夜の契りを願った歌 |
NHK TVで放映される2002.7/13(土)7:54〜8:05 ウィークエンド関西七夕伝説のまちを訪ねて 大阪・交野
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機物神社は交野市倉治671番地にある。 機物神社の御祭神は天棚機比売大神(あまのたなばたひめ)、栲機千々比売大神(たくはたちぢひめ)、地代主大神(ことしろぬし)、八重事代主大神(やえことしろぬし)の四神である。 昭和54年から、七夕祭りが復活し、7月には、境内はササでいっぱいになり、願いを込めて書かれた短冊が飾られます。
この機物神社と天の川をはさんで対面の高台地に、彦星・牽牛を祭っていたといわれる中山観音寺跡(枚方市香里ケ丘4丁目観音山公園内)があり、牽牛石がある。 中山観音寺は、奈良時代の創建の密教寺院で南北朝期の戦乱により焼失した。付近には中山観音寺の盛時を示す三宝院、奥の坊、阿舎利坊などの地名が残っている。 七夕には、この牽牛と倉治の機物神社の織姫が天の川の逢合橋でひとときの逢瀬を楽しんだと伝えられている。 銀河を見立てた天の川に架かる橋は、逢合(あいあい)橋(交野市私部西3丁目)という。 下流には、天津橋や、七夕の夜、牽牛と織姫が逢う時、カササギが翼をならべて天の川を渡したと言う伝説の橋、カササギ橋が架かっている。 |