広報かたの 平成22年4月1日号
神宮寺地区編 |
交野市古文化同好会が、平成20年に交野郷土史かるたの改訂版を発刊しました。改定内容は、昭和53年に刊行したかるたの絵札をそのままに、読み札と解説文の一部に、最近分かってきた史実を加えています。
今月から、かるた札を地域別に紹介しながら、交野の名所・歴史を解説します。 第1回目は、神宮寺地区です。 |
神宮寺地区は交野で非常に古い時代から、人間が住んでいたことが確認されている地区です。 |
昭和29年に神宮寺で天平時代(7世紀の終わりから8世紀の中ごろ)の礎石が発見され、古代の交野に大きな寺が栄えていたことが確認できました。 これまで、この礎石の見つかった寺については、嘉吉元年(1441年)に作成されたとする「興福寺官務牒疎」という書物に河内交野郡の開元寺の記述があることから、天平時代に開創された開元寺とされていました。 しかし、この「興福寺官務牒疎」については、最近の研究で、江戸時代に作成された偽文書である可能性が高く、その内容についても信ぴょう性が疑われています。 ただし、江戸時代には、開元寺という天台宗の寺院が源氏の滝の口にあり、明治時代に廃寺となったことは様々な資料で確認できます。 もしかすると、「興福寺官務牒疎」は、この江戸時代の開元寺からさかのぼって天平時代の寺院を開元寺としたのかもしれません。 また、交野山上に、岩倉開元寺という寺があったとされています。これは、平安時代に交野山上に大きな寺院が栄えたことから、「興福寺官務牒疎」に書かれている開元寺が交野山上に移り、岩倉開元寺となったとされていますが、開元寺自体の信ぴょう性が疑われているため、これも詳しいことは分かっていません。 岩倉開元寺は、発掘調査によって、鎌倉・室町時代に二度火災に遭ったことが分かっており、この火災のため、衰亡していったと推測されます。 岩倉開元寺に続く参道には様々な石仏が造られています。これが石仏の道で、鎌倉から室町時代にかけての石仏群5点が市指定文化財となっています。 開元寺という名称は別として、神宮寺に天平時代創建と推定される寺院があり、交野山には鎌倉・室町時代に、山岳仏教寺院があったことは事実です。これからの調査研究で寺院名も明らかになっていくことが期待されます。 発見された礎石は現在、教育文化会館の前に置かれています。 |
交野山麓の断層が、流水の侵食作用を受けて滝となったのが、源氏の滝です。 享和元年(1801年)に編纂された「河内名所図会」に開元寺にあった滝なので「元寺の滝」と名付けられたと記されています。 また、その落下する姿が白旗のごとく美しかったので、源氏の白旗になぞらえて「源氏の滝」となったとも伝えられています。 宝形造りとは、隅っこの棟が中央に集まる形式の屋根のことで、滝そばにある宝形造りの小堂は江戸時代からの滝の籠り堂です。 明治36年京都・妙心寺の末寺・宜春院を移し、それまでの本堂を不動堂としました。 昭和の初期には「滝の不動さん」あるいは、不動像が焼けていることから「焼け不動」といって親しまれ、訪れる人の多い交野の名所となりました。 宜春院 交野郷土史かるたは、文化財事業団事務所と、教育文化会館で1部1000円で販売しています。 家族で、友人同士でかるた取り遊びをしながら、故郷交野の歴史について再発見してください。 |
広報紙での交野郷土史かるたの紹介とあわせて、全8回にわたって、かるた札にちなんだ史跡などへの見学会を行います。歴史民俗資料展示室の歴史解説ボランティアと一緒に、市内の歴史散策に出かけてみませんか。
と き 5月28日(金)午前9時30分〜正午 コース 神宮寺地区・教育文化会館→ そ・ 源氏の滝→ ほ・ 神宮寺→ し・ 石仏の道 定 員 先着30人 参加費 100円(資料代・保険代) 申し込み・問い合せ 4月20日(火)午前9時から文化財事業団(TEL893・8111) |
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