ホームページに戻る 明けましておめでとう御座います!今年は子年(ねどし)です。 |
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日時:平成20年1月2日(年始) 午前10時集合 集合場所 天田神社境内 |
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2008年1/2(水)、天候晴れ後くもり。参加者27人。早朝から冷え込みが厳しくどうなる事かと心配しましたが、幸い風もなく暖かく、「明けましておめでとうございます」「どうぞ今年も昨年同様よろしくお願いします」と、口々に挨拶をしているところへ続々と集合され、総勢27名の元気な皆さんが顔を揃えられた。 中会長の新年の挨拶に続いて、平田さんより「獅子窟寺」のお話があったあと、全員で記念撮影。 |
元気な皆さんが勢揃い! 集合場所の天田神社で記念撮影 |
天田神社は私市、森の氏神社で住吉四神を祀る。 古代この地方は土地が良く肥えて、作物が豊かな野であったので、 甘野といわれ、川は甘野川、田は甘田であった。 この甘田に田の神を祀って建てた甘田宮が当天田神社の起源と言われている。 境内から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土し、付近の山麓からは 肩野物部氏のものと推定される巨大な古墳群が発見されるなど、 当地の歴史の古さを偲ばせるものがあります。 祭神 本社 表筒命(うわつつおのみこと)、中筒命(なかつつおのみこと)、 底筒男命(そこつつおのみこと)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと |
中会長の年の初めのご挨拶 | ||
平田さんより、「獅子窟寺」の有難いお話に耳を傾ける | ||
お宮を出て、左に上ってゆくと坂口に出る。井上姓が多く、長慶天皇と関係のある方々だと聞く。獅子窟寺の上り口に、「獅子窟律寺」「南無阿弥陀仏」「従是六丁」などと刻まれた石柱が立っている。急な山道をゆっくりと登ってゆくと、首なし地蔵が祀られている。私市の昔のお母さんたちは臨月になると安産を祈り、お乳が沢山出るようにと祈り、適度な運動も出来た。安産地蔵と言われている。 |
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京阪電車・私市駅、河内森駅、またはJR河内磐船駅よりそれぞれ徒歩約40分。
普賢山獅子窟寺といい、真言宗高野山派に属する。 |
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獅子窟寺の上り口よりゆっくりと登り始める | ||
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さらに上ると、左右に「聖武天皇勅願、行基菩薩開創、役行者、弘法大師、修行旧蹟」「当山禁 殺生 制酒辛」と刻まれた石柱が立っている。昔は、ここに山門があり、牛臥石の上を越してお参りした。参道は平らで広い、ここまで登るとほっと一息できる。 昔、両側には松並木があったが、昭和9年(1934)の第1室戸台風で倒れてしまった。参道の奥まった所の石組みの中央に仁王門跡の立札が立っている。仁王さんは今は本堂におられる。右に折れ、少し崩れた道を行くと百四つの石段がある。 亀山上皇はご本尊の薬師仏に病気平癒を祈られ、全快した喜びに荒廃した寺を立派に再建された。嘉元3年(1305年)上皇崩御の時、その徳をしのんで王の墓が建てられたという。 |
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王の墓
獅子窟寺への山道を登って行くと寺の約150M手前、少し開けた所に仁王門跡の石組みがあり、左へ山道を下り、六体地蔵の前を抜けると、湾曲に突き出した所に、亀山上皇と皇后の供養塔・王の墓が重厚なたたずまいを見せている。 この付近は、見晴らしの良い所から百重が原と呼ばれ、亀山院の分骨陵とか、後亀山天皇陵などと言われていた。辺りには古木が多く、かって王の墓の上のシイの大木の枝を切り落とそうとしたところ、「キイキイ」と泣き、木に触れただけで腹痛を起こしたといういわれがある。 昼なお暗い木立の中にたたずむと、中世の栄華がしのばれる。 |
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月の輪の近くの「滝が広」付近から蔵骨器が発見され、昭和52年丁重に葬られた | ||
首なしの六地蔵 明治の廃仏毀釈の時に上部が壊されたものか? |
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誰が言うともなしに、この谷(男石と女石)から 出る水を弘法大師の水と言われてきた |
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獅子窟寺本堂への参道の石段 亀山上皇が薬師如来にご病気平癒を祈願され、 全快するや寺の修復をされ、石段もお造りになったという。 |
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初詣客で賑わう本堂 | ||
国宝の薬師如来は獅子窟寺 「交野郷土史かるた」より 正月〜三日まで、国宝・薬師如来は自由拝観できます! 亀山上皇の病重く、この薬師仏に祈願したところ、効あって平癒した (昭和43年3月16日に国宝に指定) 北河内の文化財一覧より参照 開基は役小角(えんのおづぬ)と伝えられ、本尊薬師如来座像は 弘仁期(平安時代、西暦900年頃)のものとされ国宝である。 |
獅子窟寺薬師仏は事前に予約をすれば拝観できます。 TEL 072-891-6693。国宝薬師如来御真言は「オン・コロコロセンダリマ、トウギ・ソハカ」です。 |
獅子窟寺の頂上からの眺望は素晴らしく、大阪市街、大阪城、遠くは淡路島、 明石海峡大橋を望み、眼下に淀川河岸から三島連山、六甲山をながめることが出来る。 |
※ 鮎返しの滝と賓頭盧尊(びんずる)さん |
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金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)・獅子窟(ししくつ)岩 |
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金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)・獅子窟(ししくつ)である。獅子の口に似たとして獅子窟(ししくつと言われ、現在の寺号が出来たと伝えられている。この岩にこもって、弘法大師が修行された。 嵯峨天皇(弘仁年間 810〜824年)のころ、弘法大師が交野地方に来られた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れて落ちたと言われている。 この岩の奥には、弘法大師の小さな石像があり、昔の伝説がよみがえる思いがします。また、獅子窟岩の前には、お堂(灯籠)が建てられ淀川を行き来する船の灯台の役目をした灯がともされていたそうである。 |
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獅子窟岩のくぐりぬけ 何かにこだわりのある方は引っかかってくぐりぬけ出来ない! 道本さん、頑張れ! |
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大日如来の真言「アビラウンケン」石碑 |
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獅子窟寺の本堂の北の石段を上がって、まっすぐ行くと、獅子窟の南側の支え石に突き当たる。 |
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獅子窟寺に参拝後、仁王門跡にて休憩。参加者全員で今年の無事な門出をお祝いしお神酒で乾杯!平成20年の初歩きも無事終わりました。 次回は、第87回歴史ウォーク、3月22日(土)「交野山の清掃ウォーク」にお一人でも多くの皆さんの参加をお待ちしております。 |
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最後までご覧いただき有難うございました |