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2026年 新春恒例の初歩き
獅子窟寺国宝「薬師如来像」拝観
案内:向井克喜氏(交野古文化同好会 副会長)

 明けましておめでとう御座います!今年は午年です。
午年(うまどし)に因んで「希望を乗せて駆ける馬のように、
明るく前向きに活動して行きたい」と思います。

日時:令和8年1月2日(木)  午前10時集合
集合場所 京阪電車河内森駅
 参加者38名(会員15名)
 行程 : 河内森駅~天田神社~獅子窟寺登り口~安産地蔵~
山門跡石柱と牛臥石~仁王門~獅子窟寺参拝 国宝「薬師如来像」
獅子窟~弘法大師の水~首無し六地蔵~王の墓~下山
 2026年1月2日(土) 京阪河内森駅前に午前10時集合、参加者38名(会員15名)。
 近畿中部は寒気の影響で晴れたり曇ったりとの予報で少し寒かったが、初詣日和となり、年始の挨拶を交わしながら集合しました。巽会長の新年の挨拶の後、本日案内していただく向井克喜さん(古文化同好会)より本日の行程及び参拝等の注意事項等の説明を受け出発です。

 天田神社・川東神社で初詣、井上姓が多い坂口地区から寺標の辻、獅子窟寺登り口の石碑で一息入れ、長さ6丁(約654m)約122m高低差のある坂道を登るべく呼吸を整え、獅子窟寺本堂を目指し元気よく出発しました。途中、安産地蔵・山門跡石柱等で4回ほど休憩を入れて、全員元気よく獅子窟寺本堂につきました。

 本堂前では住職より、お酒・熱いお茶がふるまわれ、一息入れました。
 国宝「薬師如来坐像」拝観後、薬師堂前で記念撮影をして寺務所横の展望台より交野市内全景、獅子窟寺の寺号となる金剛般若窟 獅子窟等を見学し、少し下って、王の墓、首無し六地蔵、弘法大師の水で説明を受け帰路につき、獅子窟寺登り口石碑で解散しました。   

 出発時に参加者の皆さんに、獅子窟寺の参拝と薬師如座像拝観の認知度をお聞きしたところ、
   過去 獅子窟寺をお参りをした  :80%  
   過去 「薬師如来坐像」拝観した :18%  

 参考にAIに市民の文化財への関心を聞いてみると、交野市には唯一の国宝として、獅子窟寺に「薬師如来坐像」があります。市民アンケートでは、この薬師如来坐像を知っていると答えた人は36.9%、見学経験がある人は20.4%でした。
 交野市には多数の文化財が存在し、その多くは旧集落に点在しています。しかしながら、市民向けの歴史講座の参加者が少ないなど、文化財全般に対する市民の認知度や関心は低い状況です。
 
  参加者の皆さん新春の初歩きと初詣、急勾配の参道でしたが、元気に初詣とお参り、拝観、史跡巡りを楽しまれたようです。
 
 向井副会長には綿密な事前の準備と下見など万全を期していただき、ゆっくりと大変分かりやすくご案内いただきました。また、当日配布のレジメを提供いただき誠に有難うございました。 記して感謝申し上げます。
 ※ 当日のレポートは竹澤利直様に、写真撮影は毛利信二様にお願いしました。
獅子窟寺 国宝「薬師如来像」拝観 レジメ
 
 


 京阪電車・河内森駅 集合
新年のご挨拶と初歩きの概略説明 


巽会長の新年の挨拶
巽会長(左)と向井様(右) 年の初めのご挨拶
天田神社にて記念撮影
 
国宝「薬師如来像」薬師堂前にて 
 
 河内森駅集合
天田神社へ向かって出発
 
天田神社
 天田神社:私市と森の氏神さん
  この辺りは甘田と言われ水に恵まれ稲作に適した良田でその感謝の祈りを込めて甘田の上流に宮を建て田の神を祀ったのが甘田の宮の始まりで甘田が天田になった。天田神社の西側 鳥居の左側下流が奈良時代に制定された条里制の1条通りとなる。
 
 
 
 
 
獅子窟寺登り口石碑
  獅子窟寺の登り口に三つの石碑、「獅子窟律寺」「南無阿弥陀仏」「従是六丁」と刻まれ、ここから厳しい上り坂。これより1丁刻みに石碑があり山門跡が1丁目である。 1丁は60間 約109mより獅子窟寺まで約650mとなる。
獅子窟寺本堂に向かって出発
安産地蔵
 坂道を上り2丁付近の山側に室町時代作と云われる52cmの「首なし地蔵」があり、「安産地蔵」とも呼ばれる。明治の初め廃仏棄釈運動でこの石仏の上部を飛ばしたと云われている。
山門跡と牛臥石
  坂道を登り切った1丁付近の左右に「聖武天皇勅願 行基菩薩  開創 役行者 弘法大使 修行旧跡」「当山禁 殺生 制酒辛」と刻まれた石柱が立っている。昔はここに山門があり右側上部にある「牛臥石」を越してお参りした。

聖武天皇勅願 行基菩薩  開創 役行者 弘法大使 修行旧跡

当山禁 殺生 制酒辛
 
 

昔は、ここに山門があり牛臥石を越して参拝した
仁王門跡
 参道の奥まった処の石組みの中央に仁王門跡の立て札が立っている。ここに仁王門があり仁王さんは今は本堂におられる。 仁王門跡から右側の坂道(石段)を登れば獅子窟寺本堂、左に 崩れた坂道を下れば百重が原(モモエガハラ)、「王の墓」に通じる。
 

左に 崩れた坂道を下れば百重が原(モモエガハラ)、「王の墓」に通じる。
獅子窟寺本堂
 獅子窟寺は山号を普見山と言い真言宗高野山派の寺院である。奈良時代聖武天皇の勅願で僧の行基が堂塔を建てて創建し、 天長年間(824~834年)には空海(弘法大師)が寺の由来となる獅子窟で修行したと伝えと伝えられている。
 
 境内からの素晴らしい景色
薬師堂 国宝「薬師如来像」拝観
 獅子窟寺薬師堂の本堂で薬師如来坐像は平安初期の作でカヤ材から彫っ た一木造りで大阪府内で5点しかない国宝の仏像です。 今回は特別公開のこの国宝「薬師如来坐像」に拝観できます。
 
獅子窟
 獅子窟寺北側の岩場が金剛般若窟と獅子窟です。獅子窟寺が創建される以前から修験者の行場とされていた。空海(弘法大師)もこの岩場に籠もり仏眼仏母の法を修し三カ所に降星(八丁三所)したと伝わる。
弘法大師の水
 男石と女石の間から湧き出る水を弘法大師の水と云われ大師の石像を祀る。10年ほど前の大雨で大師石像が流され頭部が無くなり、古文化同好会も含め何度か捜索をしたが、 見つからず、仮の石をのせている。
 首無し六地蔵
 六地蔵;地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天上において功徳を施す仏様。明治の廃仏棄釈の時に壊されたと云われる。
 
 
王の墓
(寺の北西下にある百重が原(モモエガハラ)) 亀山上皇が病の際獅子窟寺に行幸して薬師如来に病気平癒を祈られ全快した喜びに荒廃した寺を立派に再建された。 嘉元3年(1305年)上皇崩御の折、その徳をしのんで上皇、皇后の供養のために建てたものと云われている。(元は五輪の塔であったが崩れ基石と上部石だけとなる。)
 
獅子窟寺登り口で解散
参加の皆様、お疲れさまでした!
国宝薬師如来坐像への初詣、皆様にご利益あれ!!

最後までご覧いただき有難うございました

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