6/22(土)、参加者は、7名。 午前10時過ぎ、阿弥陀三尊の石仏を尋ねる為、新しく整備された石仏の道を目指して、いきいきランド交野ドーム噴水前をスタート。
府道久御山線を渡り、私部墓地へと歩き、墓地を北へと横切り、青山の田圃道に入る。周りは田圃と畑が広がり、見晴らしが良い。150mも進むと右側に、小さな「かゆ池」と出会う。右手に進むと、私部大池。その向こうに見えるのは、交野のシンボル・交野山。今日も、われわれを見守っていて下さる、ありがたい山である。
交野山は、何処から見ても良いですね。交野山はどっしりと座って交野をお守りして頂いている。
本当に有り難いことです。
そのまま北へ進むと、第2京阪国道予定地を横切る。青いフェンスで囲まれた道路予定地は、葦?や雑草が繁り、野鳥の格好の棲処(すみか)になっている。沢山の小鳥が賑やかにさえずり電線に止まったりしている。われわれが近づいても賑やかな囀(さえず)りは止まない。
田植えが終わったばかりの田圃には、小さなアメンボやザリガニの赤ちゃんが泳いでいた。野鳥や虫、川の動物達にとっては、巨大な高速道路が出来上がるまでの短い仮住まいなのだ。道路工事により、交野の環境が壊されるのではと心配されている。野鳥や虫達も何処へ行くのだろう?その間も、交野山は静かに見守っておられるのだ。
JR学研都市線を渡り、神宮寺の村の中を歩き、辻のお地蔵さんにお参りする。辻を東に入り、住宅地を通り過ぎ、左に藪、左右にみかん畑を見ながら山道を登ると、右側に東面して花崗岩の自然石に刻まれた弥勒菩薩(第一石仏)がある。この弥勒菩薩は坐像で、右腕を前に出してまげ、掌を外側に開き、左手は組んだ膝の上で掌を下に向けておいて、くつろいだお姿でおられる。
リアルで緻密な線刻描画は、大阪随一の秀作と評され、鎌倉初期の作と言われる。
まわりは竹薮に囲まれ、しっとりとした趣はいつまで眺めていても飽きない。
山裾の藪(神宮寺の宮跡)のある北から里のかけて、奈良時代に開元寺と言う大寺が建ち、その寺が鎌倉時代の頃に、交野山の山頂に寺を移し岩倉開元寺と名を変えたといわれており、この道は岩倉開元寺への参道であった。往時、沢山の僧やお参りする人々が通った道である。この道が石仏の道である。
弥勒菩薩から、さらに第一の山池を右下に、第二の山池を左に見て進むとぐっと南に山道は曲がるが、ここからすぐ右側に大石の頂部が見える。この大石の上部中央に南面して、半円の光背に阿弥陀三尊(第二石仏)が刻まれている。
本尊は阿弥陀坐像、脇侍は観音・勢至の両菩薩の立像で、文明11年(1475)と彫られている。室町中期である。現在、交野山への登山道(石仏の道)は、この磨崖仏の北側を通っているが、昔は西側の小川に沿って、眼の上に阿弥陀三尊を拝みながら「なんまいだ、なんまいだ」と唱えながら登ったと言う。 見落としがちなので、要注意。道の左手に、頭部が少し欠けた地蔵さんがおられる。
この山道を更に、登ると左に傾いた大石がある。その上部切り込みの光背の中に阿弥陀三尊(第三石仏)が刻まれている。
高さ3mほどの花崗岩に、仏の高さ40cmの本尊阿弥陀如来が蓮華座に坐し、これよりやや下側の両脇には、第二石仏同様、観音菩薩と勢至菩薩の二仏が蓮華座の上に立っている。また、第二石仏同様に室町期の作といわれている。
右側の菩薩が赤茶けているのは、開元寺の火災の時のものともいわれている。
雨上がりの朝、こもれびが射す頃の石仏の美しさを皆さんも是非ご鑑賞下さい。きっとご満足されるでしょう。
今年(2002年)の春、この石仏の道が整備され、登山道が一部コンクリートで塗りづぶされ風情のある山道が何の変哲も無い道に変わってしまった。第2、3の石仏が道に面して剥き出しとなり、石仏の風化が一気に進むのではと心配される。一日も早く、周りの樹木が繁ることを願うばかりである。下に、石仏の道の最新情報を記載しました。
さて、皆さんは、新しく整備された道が良いとお思いでしょうか?
近いうちに、是非とも石仏の道をお尋ねください。
再び、石仏の道を下り、ぶどう畑の道から郡南街道入り口へ行き木陰にある石仏を見たり、倉治と寺の墓地を廻り、名も無い沢山の石仏を観賞して、いきいきランドへと帰った。
交野の古い歴史を肌で感じた、楽しい歴史ウォークでした。
次回がまた楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。
是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!
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