平田さん
執筆者 平田政信さん
よもやま瓦版


「今日の一言」「今日の話はなんでっか」に続き、
「よもやま瓦版」をよろしくお願いいたします。
2004.12.25

[よもやま瓦版 NO17] 

     災という一字で尽きている今年
                <2004.12.22 よみうり寸評より>    

 読者が選んだ日本10大ニュース。

@新潟県中越地震。

 「二歳児のいのちが光る修羅の中」

 「瓦礫から奇跡の命抱きあげる」

 「被災者も元気をもらった優太ちゃん」に感動。

 新潟に氷雨よ雪よ降るなかれ。

Aアテネ五輪で「日本中がチョー気持ちいい金ラッシュ」

Bプロ野球界大荒れで「背広でも活躍目立つ古田捕手」

Cイチローが大リーグ年間最多安打記録を更新し
     「イチローで知る大リーグ創世記」

D小泉首相再訪朝「一足早い正月佐渡の曽我さんチ」だが
    「骨壷に一杯詰まる北のウソ」

E陸上自衛隊イラク入り「オランダの傘にも入る自衛隊」

F台風上陸過去最多「台風に立てたい進入禁止札」

G韓流ブーム「ヨン様がいるからキムチ食べてます

H紀宮さまの婚約内定「おめでたい号外もありほっとする」

I相次ぐ振り込め詐欺で「オレオレの役者が揃い牙を研ぐ」

     最後に「災の字を福にしたい来年は」

2004.8.10

[よもやま瓦版 NO16]

大国を治(おさ)むるは小鮮(しょうせん)を
      煮(に)るが若(ごと)し

      <治大国若烹小鮮>

 「小鮮」とは小魚を煮るとき、やたら突っついたりかき回したりすれば、形も崩れるし味も落ちてしまう。国を治めるときも、政府が、何事につけ権力で上から干渉するのはよくない。できるだけ干渉を避け、民間の活力に任せるほうが、かえってうまく治まるのだという。

 為政者は、大所高所から黙って事態の推移を見守るのが、政治の理想である、という考えにほかならない。これはたんに政治にとどまらず、企業の組織管理にも当てはまる。社長が社員ひとりひとりにハッパをかけ、細かい資料にまで目をひからせたら、たまったものではない。社員がやる気をなくすばかりか、
 第一、  社長自身が参ってしまう。

 社長は、社員が働きやすい環境をつくり、日常業務はしかるべき管理者に任せて、企業経営の大計を考えていばよいのである。

 ワンマン社長の会社が長続きして発展するかどうかは、そういう組織管理への切り替えができるかどうかにかかっている。無論、そのためには優秀な参謀役が必要になることはいうまでもないが。またして、怒った! いや起こった

「原発蒸気噴出4人死亡」冷却水配管が破損

[新聞記事から分析]

@    4人死亡、亡くなった人はすべて、関連業者の人(関電の社員はいない)

A    救助に入った関電社員は耐熱服着用。

 (作業する人は着用しなくってよいのか?)

B    想定外!それなら原発事故には危険はないのか?

C    「まさか」関電そう白(まさかの坂は誰でも転ぶんや!、町民がそう白や)

D    会見で「放射能漏れの問題ではない。原子炉の事故ではない」と繰り返した。

(そしたら何の事故や、漏れてなかったら原発の事故ではないのか?)

E    社長会見「原因、情報ない」(それはどういうことや!社長には本当のことが伝えられない組織になっているのか、あんたには参謀役がおらんのか?)

F  また、「原子力の設備については日ごろから万全の補修・点検活動を取るように指示していた。結果的にこういうことが起きて、申し訳ないと」陳謝。

(指示していただけか?配管周り要注意箇所だったと違うのか?)

[最後に一言]

           管理は口でなく「目」で



2004.6.8

[よもやま瓦版 NO15]

  (おのれ)に如(し)かざる者を友とするなかれ

         <無友不如己者>

 友達としてつきあう相手は、自分よりも優れた人物を選んでつきあうべきだということ。 相手のことを、何をもって自分より優れている、もしくは劣っていると判断するかは、非常に難しい問題ですね。

 しかし、つきあう相手によって人生が変わっていくことは確かなことでんなぁ〜。現実を考えれば「さまざまな相手と交友関係を結ばなければいけない現実」があり、感心できない人物ともおつきあいが必要な場合も多々あります。

 そういう意味では「人づきあいを選ぶことは難しい」

 しかし、いかに「優れた人間、魅力を感じる人間と積極的に交流を持つ」ことが出来るかどうかは、その人自身がどう行動するかで変えられる部分もありますなぁ〜。自分が「この人は優れた人だ」と感じる相手を選び、そういった人たちに積極的に働きかけて交流を持つことで、良いつきあいを増やしていくこと。

 まず一歩、行動してみて下さい。 

[告知]

レーガン米大統領死去、米ソ関係改善に導いた

長崎・小6事件「ウソだろう、という感じ」父親は言葉を詰まらせ会見

大荒れの「年金国会」参院不要と言わないで

語る人に悪気はなかろうとも、人の生き死にが気の利いた冗談になることはない。こんな人たちが国政の最高責任者とは?選んだわけではないが(笑)

その1:井上防災担当相は長崎・小6事件に関連して「元気な女性多くなった」

   と発言。

その2:又、谷垣財務相は、岡山市の講演で、井上防災相の発言した問題に触

   れ「弁護するわけではないが、私の若い頃、放火は女性の犯罪、カッ

   ターナイフで切るのは原則的に大人の男の犯罪」などと述べた。

      無邪気な軽口もときに、人の心を傷つける。

2004.6.2

[よもやま瓦版 NO14]

木に縁(よ)りて魚を求む

 孟子が、斉の国に遊説したときのことである。武力による天下の統一を夢見て野心満々であった宣王に向かって、孟子は武力のみによって戦国の世の統一をはかろうとするのは、木によじ登って魚をとろうとするような愚策だ、と諌めた。

 この孟子の言葉に宣王は納得がいかなかったのか「武力を使うのはそれほどバカげたことだろうか」と問い直したところ、孟子は答えている。

 「いや、それ以上です。木に縁って魚を求める。これだけですむなら、魚がとれないだけで災難は招きません。しかし、武力を使って野望を実現しようとすれば、全力を尽くしても、結局手ひどい目に遭うのがオチです」

 手段や方法を間違えると、一生懸命努力を重ねても、まったくの骨折り損になる。むしろ、一生懸命やればやるほど、かえってドロ沼にはまることが多い。

 そうならないためには、時々は、目標に到達するために自分の取っている手段や方法を再検討したりチェックしたりして、方向を修正していく必要がある。

 「木に縁りて魚を求む」の愚は願い下げにしたい。

[告知]

チェチェン大統領暗殺

金総書記「核廃棄せぬ」と中国首脳に言明

英首相、「虐待」認め謝罪

イラク統治評議長ら殺害

三菱自、新たなリコール隠し

国の国産牛肉買い上げ事業をめぐる牛肉偽装事件

6女児、同級生切り死なす

12歳と11歳。四季にたとえれば早春ともいうべき年齢で、ひとりはいかようにも花開いただろう人生の蕾を理不尽にも散らされ、ひとりは事件の記憶を身に刻んで、長い残りの季節を生きる。無残というほかはない。


2004.5.19

 [よもやま瓦版 NO13]

一喜一憂(国民側)と一進一退(国政側)

 一時イッキ飲みが流行語になったが、あれは一気でこっちは一喜。
物事の状況がかわるたびに喜んだり心配したりすることを一喜一憂という。
偉くなったり金持ちになったりすれば人が集まり、貧乏になったり左遷されたりすると人は去る。それを薄情だと恨んでもいたしかたない。

人生の浮き沈みに合わせて一喜一憂していたのでは、精神衛生にもよくない。

 また、一進一退は進んだり退いたり、よくなったり悪くなったりするこだが、よくなるほうより悪くなるほうに力点が置かれることが多い。

「病状は一進一退で予断を許さない」といえば、どうも悲観的な色が濃いと思わざるを得ないし「情勢は一進一退で目がはなせない」、これも好転を感じさせないつかいかただ。よくなる希望が薄い時に一進一退の出番が多いのでは?。

[告知]

任意とはその人の「意に任せる」こと。小沢氏、任意の時代に「国民年金非加入」期間があったことを理由に民主党の代表就任を辞退した。
「私は降りた、あなたも首相を辞任せよ」と捨て身で迫ったのだろう?
土壇場でのキャンセル、ケジメそれとも未納兄弟へのバッシング?いやいやドタキャンでっせ。芸能界、いや政界から追放でっせ。
翌日には、管・岡田(新代表・9月までの命か)・小沢氏と笑顔でかっちり握手、トップ記事に一進一退を感じざるを得ない。

 「正々堂々、政策を競う政党」の看板を磨いてきた民主党であるが小さな失 策を自らタイムリーエラーに演出したことで「100日の説法、屁ひとつ」にしてしまったのではないのか?

  チョット気分が悪くなって来ましたので終わります。(笑・笑・笑)


2004.5.11

[よもやま瓦版 NO12]

「どんでん」返し

ひっくり返るときの音?

 日本語では、最初を濁音にすることによって特別の意味をつけ加えた言葉をつくりだすことがある。

たとえば、「さまになる」の「さま」が『ざまあみろ』の『ざ』になり、「かに」が『がに(また)』になる。

「どんでん」も『とんでもない』が元の語らしい。

けっして音を表しているわけではない。
つまり「どんでん返し」は、とんでもないひっくり返しの強調で、物事の状況や立場が急に逆転することを意味する。

私たちの日常生活では、「どんでん返し」といわれるほどの急激な変化が起こっては困るのだが。

例えばこんな「どんでん」返し?

その1:15歳未満、昨年より20万人減の1781万人で、23年連続減少。

その2:半世紀ぶりに焼酎に出荷量で抜かれる日本酒業界。

その3:人間国宝・能楽師、強制わいせつ現行犯逮捕。

その4:ハルウララ108連敗中、どんでん返しはあるのか?。

その5:「個人情報ですよ」と閣僚の納付状況に堅く口を閉ざし、ふたを開けて    みれば何のことはない。自身も未納だった福田官房長官が引責辞任。

その6:産業再生機構の支援で再建に取り組むカネボウ。
    銀行の言いなりで
迷走。

その7:未納三兄弟の名づけ親・管代表が辞任

その8:植草教授を解任(早大大学院教授)、女子高スカートの中、のぞきこのことによって明日からの生活が大きく変わる。いい方に返してくれればいいのだが。

「どんでん返し」



2004.5.3

[よもやま瓦版 NO11]

たけなわ

 「春たけなわ」「宴もたけなわ」など、季節や催し、行事が真っ盛りである状態。「たけ」は「長(たけ)ける」で「なわ」は「成る」、「うたげ()なかばの略」など、語源はさまざま。

 最盛期を過ぎ、沈静、衰退期に入ったころを指す意味もある。漢字では、盛りの時は「酣(たけなわ)、終わりに近づいた時は、「闌(たけなわ)」があてられる。

 絶頂に達すれば後は下がるのみ。「酣」と「闌」の境目は紙一重だ。背中合わせになった華やかさと寂しさ……。辞書には「齢(よわい)たけなわ」という用例も挙げられている。

[告知]

年金未納新たに4閣僚

「平成の大合併」市町村3100から2100

小泉内閣の特徴@変えないA迷わないB聞かないC頼まない

「憲法改正」施行から57年与野党に広がる機運

主婦の月給、平均89.500円!?

「アンビリーバブル(信じられない)」阿部慎之介、月間16本塁打

あなたなら、どう解釈しますか。

2004.4.27  

[よもやま瓦版 NO10]

「国家百年の計」

  「国家百年の計」という言葉が交わされることが多くなった。
そのほとんどは、「国家百年」の将来に対する不安として語られていると言っていい。

  老後への不安である。

 その:1

  国の財政を見れば、社会保障関係費は毎年膨張し続け、2004年度政府予算案では、198000億、一般会計歳出総額の4/1に迫ろうとしている。

 その:2

  一方では、デフレ不況で、90年度に611000億あった税収は、2004年度政府予算案では、417000億に落ち込んだ。

 その:3

  しかも、あとわずか2年後、2006年をピークに、日本の総人口が減り始める。 社会保障制度を支える現役世代の比率が急速に縮小する。

 その:4

  こうした状況への不安感の端的な現われが、国民年金保険料の納付率低下だ。 保険料不払者は、4割近くに上る。20歳代では、すでに半数を超える。

 この空洞化現象が、社会保障制度の枢要とも言える年金システムの土台を揺るがしている。 

  人生80年時代と言われるようになってから久しい。100歳を超える人も珍しくはなくなった。だが、老後を考えるとき、はたして支払った保険料に見合う年金をもらえるのか。それ以前に、年金制度そのものが、崩壊しているのではないか?。

  告知

年金財源不足480兆円。

厚生労働省は、2100年までの年金財政の財源と給付の状況を示した「貸借対照表」の試算を公表。

経済産業相、総務相、防衛長官の3閣僚が国民年金保険料未払い期間があったことを認め謝罪。 



2004.4.21
  [よもやま瓦版 NO9]

近寄っても染まらない人こそ本物と言える

 権力と名誉と利益、そして贅沢は、ややもすれば人間を堕落させ、低俗化させやすいものであるから、これに近寄らないのが潔白な人である。

 しかし、これに近寄っても、その悪風に感染しない人は、さらに潔白な人物である。権謀術数を知らぬ人こそ高尚な人と言えよう。

 しかも、これを知っていながら用いない者は、さらにさらに人格高潔な人である。

[告知]

「医療機器購入」と一億円着服(大阪市・旭区○○病院)

厚生労働省元職員にワイロ

大阪府肉連牛肉偽装 融資受け安く買い集め、国の事業前利ざや狙う

 

勢利は権力と名誉と利益、紛華は贅沢と同じ意味。

智械機功とは権謀術数、つまり人を欺(あざむ)く謀(はかりごと)である。



2004.4.20 [よもやま瓦版 NO8]
君子必慎其独也
       君子(くんし)は必ず
               その独(ひと)りを慎(つつし)む
 
君子たる人物は、誰も見ていないからといって間違った行動を
せず、常に慎重に振舞う、ということ。
人が見ていないときは、自分ひとりの都合で動いても、とがめる
者がおらず、楽な行動、安易な方向に流されがちです。
しかし、君子と呼ばれる人物であれば、そうではない。
人の見ていないところであっても、自分が正しいと思うことに対して
誠実に振舞う行動をするものなのです。

たとえ人が見ていなくても、自分が行動したことは、自分で覚えています。
つまり、自分が「どんな場面でどう行動するような人間」なのか?。
もっとも良く知っているのは、やはり自分でんなぁ。
 
[告知]
・74人が民間へ天下り
・植草一秀さん、女子高生のスカートの中
・三菱ふそう11万台リコール(回収・無償修理)
・カルテ改ざん医師に有罪
・浅田農産社長ら逮捕
・虐待の恐れ、集団生活の子供保護(自己開発セミナー)
・日歯会長ら7人を贈収賄で逮捕
 
    など等、「自分に恥じない自分」であるように。
 

2004.3.2
 [よもやま瓦版 NO7]

春を告げる「お水取り」と「ひな祭り」

 大和路に春を告げる奈良・東大寺二月堂の修二会(お水取り)の本行が始まった。

 夜には堂の舞台に、長さ約6mの「お松明」10本が次々とあがり、降りかかる火の粉に、境内を埋めた参拝者らから大きな歓声が上がる。

 お水取りは1253回目。練行衆といわれる11人の僧が人々の犯した罪を悔い天下安泰などを祈る。

 午後七時、出仕の鐘とともに、お松明を担いだ補佐役に先導され、練行衆が一人ずつ堂内に。14日まで毎夜営まれ、12日には一回り大きい「かご松明」があがる。


写真=奈良・東大寺二月堂のお水取りで回廊を走るかごたいまつの炎=

 明日(3/3)は「ひな祭り」

ひな祭りの起源には、ひな遊びの遺風説、祓の撫物説、その両方の合体説など、いろいろありました。

 ひな遊びは、平安時代の貴族の子供たちが、紙のひなの他に、館・食器・乗物などをそろえて参内の真似をした遊びで、随時行われていた。

 祓の撫物は、3月3日の重三の節目に、水辺に出て祓を行う中国の風習からきたもので、紙で作った人型で身体をなで、身の汚れた災いを移し、川に流す行事である。重三の節目には、草餅や白酒を供えるしきたりがあり、この供え物を「節供(せちく)」といったが、節供が「節句」となり、やがて節目そのものを指すようになった。

 室町時代の文明年間(1469-87)に、この節句の行事と、ひな遊びの結びつきが始まるが、天文年間(1532-55)の書物には、まだ3月3日にひな祭りの行事は登場していない。それが一般に定着したのは、江戸時代に入り、将軍・綱吉時代(1680-1709)である。    

「お水取り」

  犯した罪を悔い、天下安泰を祈りに是非二月堂まで、14日まで自首せよ! 
  自首した場合は更に罪が軽くなる
()

「ひな祭り」

雛人形は早く出して、そして片付けも早くと、所では言われている。

これは、女の子は早くお嫁にいけますように早くからPRし、期日が過ぎれば売れ残らないように早くしまうといわれている()。これも生活の知恵か。

2004.2.26[よもやま瓦版 NO6]

寒・寒・寒で温はなし?

  立春からの日々はちょうど三寒四温の歩みになっている。
寒い日が三日続くと次に暖かい日が四日ほどあって、それを繰り返しながら
冬から春へ向かっているのですね。
 日本語の「天気」には、「空模様」のほかに「晴天」という意味がある。
「きょうは天気だね」と使うこともある。天気を意味する英語「ウェザー」の場合は、英和辞典には「天気、天候」と並んで「荒天、有為転変」とある。
動詞だと「乗り切る、切り抜ける」。言葉の底には、災難に身構える警戒心の心が響いている。

 ところで、自衛隊派遣(イラク復興支援)・北朝鮮による拉致及び核開発問題・  オウム事件、松本被告判決(初公判から7年10か月)・鳥インフルエンザ・年金改革・児童虐待・完全失業率(5%を切ったものの低下傾向は続く)・殺人や強盗が増加する中、近隣枚方市でおこった母・祖母・妹殺害事件(24)には驚きとショックは隠せない。家族三人殺害「仲いい一家に見えた」が、が、がだ。

現在のストレス社会が生みだした事件であろう。 

やがて大量定年時代がやってくる。(現在五十代半ばの団塊世代が、まもなく定年にさしかかります) 専業主婦という文化を作ったと言われるこの世代。高度成長を支えてきた夫族が一斉に家庭に帰るとき、居場所はあるのでしょうか。

 私は一歩お先に家庭に戻っているが。

また、大量の会社員の退職は、「多くの人材が社会を支える側から支えられる側に移る」ことを意味します。

社会の屋台骨は大丈夫なのでしょうか。 

のんびり楽観的な「天候」型も悪くはないが、最近の社会情勢には「天気」の上に「能」の一字を付け加えてはなるまいか?

 しかし何よりも行動を起こすことに尽きる。年金なんてクソくらえ!年金もらうために生きているのではないぞ!年金をもらえるまで、どう生きて行くか?が条件だ。でも、老後は「年金」をたよらなければならないのか?

まずは健康第一。自分にあった健康法を見つけ出し日々、楽しく暮らすこと。


2004.2.10(No5)
                      眼毒の時代

「節分丸かぶり寿司」節分の夜に、その年の歳徳神が司る方向「恵方」に向かって巻き寿司を無言で丸かぶりすると幸福が訪れるというおまじないも最近、全国的に広まっているみたい。今年の恵方は「東北東」らしい。

 何の意味、何の効果があるの?

 この日は麦飯と赤鰯を食べる。鰯の頭を柊(ひいらぎ)の小枝に刺して、門口の柱と壁のすき間に突き刺しておくと、鬼が入ってくるのを防ぐといった。

 炒った白豆を神棚に供え、下げた豆は自分の数え年より一つ多く食べた。

 最近は、甘納豆にしても何故か苦痛になってきた。

 夜になると、炭火で年越し飴を伸ばしながら食べ、「銭を伸ばす」とか、「食べ伸ばす」(お金も食べ物にも心配のないよう)とかいって、縁起を担いだ。

 また、雨戸を閉めるとき「鬼は外、福は内」と唱えながら白豆をまいた。

 古来、鬼神のまなざしには「眼毒」があり、見られた者は害をこうむると信じられていたからだ。だから節分に豆をまくのは鬼に豆を数えさせ、視力を消耗させるためであろうか?

 古人は邪悪な視線をよほど恐れたのだろう。いや、いや古人もと言い直すのが適切かも知れない、最近の凶悪事件の連続に「眼毒」を感じる。

 例えば、福岡市の一家4人が殺された事件、放火で住宅全焼4人死亡(千葉・館山市)・おれおれ被害43億、孫や息子を装い、高齢者から現金をだましとる。

 児童虐待(両親からも)、茨城県の女子大生絞殺事件、中高生に広がる合成麻薬

(MDMA)校内で売買etc誰がどこで邪悪な目を向けているかもわからない。

 このほかにも、身の回りには凶悪な事件が後を絶たない。

 視線を促すために、まく豆の量を奮発したくなるような今日この頃。

 恵方も「東北東」らしいが、昼夜360度、警戒しなければならない世に不安と憤りを感じる。


2004.1.27(No4)

児童虐待

 大阪府岸和田市で中学三年生の長男(15)が虐待を受けた事件。なんとも痛ましく、嘆かわしい事件である。さらに、夕刊では児童相談所「虐待でない」、中学三年生なら、不当な扱いを受けても自力で逃げられる年齢。虐待ではなく不登校と判断し、その後も対応していなかったことが調査でわかった。
 中3なら逃げられる、あんたらはそれで言い逃れができると思っているのか?あきれて開いた口がふさがらない数々。

@児童相談センター内部の連絡の不手際と判断ミス。
 (センター内の虐待対応課という専門部署に情報が伝わってなかった)

A学校側は家庭訪問したが本人とあわせてもらえなかった。
 (その後のことは気にならなかったのか)

Bセンターからの問い合わせに対して学校側は「虐待かもしれない」と伝えた。
  (誰もがまだ動こうとはしないのか)

Cセンターの家庭支援課は「虐待の多い年齢は二、三歳」との先入観があった。
  (先入観を良しとするのか)

D「冷蔵庫から自分で食べ物を取って食べられる。虐待ではない」
  (それが出来ていれば、こんなひどい事になってない)

 いずれにせよ、大人の言い訳ばかり誰一人この児童に対して申し訳なかったと言った関係者はいなかったように思う。こんな社会が豊かな国といえるのか。
「将来はベンチャー社長に」と小学卒業文集に夢をつづっているのを読ませてもらって涙がでてきた。
 現在集中治療室で昏睡状態に。一日も早い回復を祈るとともに、必ず社長への夢を捨てないで欲しい。
 この子は社長になって「お父さん」「お母さん」に大きな家を建ててやるのが夢であったのかも。そんな子だからこそ、虐待に耐えて今も戦っているのだと思います。

現在は「衆生濁」が蔓延っています。

「衆生濁」とは、人間の資質がだんだん低下して、身体虚弱、心が鈍感になることです。やる奴は問題外に悪い、だから回りの者が自分のこととして受け止めてみよう。


2004.1.20 (No3)

一生懸命とは

 中世の武士が命をかけて守った領地を、「一所懸命の地」という。
物事に熱心なさまを一<生>懸命と書くようになったのは、近世以降のこととされている。
 横綱、朝青龍の口上にその言葉があった。「相撲道発展のために一生懸命がんばります」。横綱という最高位には、上に続く階段がない。朝青龍、時津海を寄りきり9連勝
陥落という下への道もない。孤高の「一所」を守り抜く決意の一語でもあっただろう。
 貴乃花の「不惜身命」、若乃花の「堅忍不抜」、武蔵丸の「心技体」…。
横綱口上には記憶に残る言葉が少なくない。
 荒々しい相撲の世界はまた、美しい言葉の宝庫でもある。髪形の「大銀杏」、身の回りの品を納めた「明荷」、まわしの別名「締めこみ」、その色のひとつ「茄子紺」どれも粋で、華がある。
 土俵では鬼になり、修羅にもなっても、勝負が決するや「動」から「静」へ美しい言葉の世界の住人に帰っていく。相撲の醍醐味のひとつはそこにあり、力士の品位も煎じ詰めれば、そうした精神の瞬間冷却装置をいうのかも知れない。 
      (よみうり「編集手帳」2003.01.30参照)

 横綱になってから一年。平成16年初場所において抜群の強さを見せてくれている朝青龍、口上どおり「一生懸命」がんばっているが何かと問題視されるのは何故だろう。
 横綱審議会などで問われる横綱としての品位とは、それを審議している人の品位は問われないのでしょうか?横綱にさせたい人が、足踏み状態の相撲界、国技だといって納まっている場合でないかと思います。
 一つは「見濁」と言って、思想が乱れ悪化して、よこしまな考えが世の人にはびこっていく中でのことではないかと思いつつ、来年の初場所には、どんな新横綱が誕生しているや楽しみである。


2004.1.13 (No2)
          58の生き方 

 価値観を押し付けられるのではなく、自分なりに納得して満足のできる暮らし………。雇用や家族のあり方など、さまざまな既成概念が崩れつつある今
自分らしく生きたいと願う人たちが増えている。 人生を一色に塗りつぶすのではなく、自分にとって大切なものをほどよく取り入れる。
そんな生き方を「58」と定義する。
58」は62.5%・100%でもなければその半分の50%でもない。
その数字に、「ほどよさ」「最適のバラス」という意味が込められている。
58」という比率は「黄金比」と呼ばれ、最も美しく安定し、人々に心地よさを与えるバランスとして、古くから経験的に知られている。


しかし、企業経営者の、年頭訓示には、「
58」・「ほどよさ」・「最適のバラス」
の言葉が反映されていないように思われます。
 曰く、「攻めの姿勢を貫く」「成長を強く意識する年」「成長戦略を描き、着実に実行する」「収益を上げ、公的資金を返す道筋をきちんと示す」など、キーワードにまとめてみれば、「攻め」「成長」「戦略」「実行」「結果」となる。

 モノに囲まれ、苦しみから遠ざかり、安定した生活を手に入れ、気持ちのよいことをたくさん経験できるようになったが、心の底にはぽっかりと空洞があいている。気持ちはいいのだけれども、「よろこび」がない。

 誰もが、心のどこかで、このことに薄々気づいているのだが、人は一度味わった便利さや快適さを手放すのは難しいのだろう。
 おそらく今後も、ますます高くなるハードルを越えながら、幸福を感じていくしかないのでしょうか?
 今年は申()年。
 猿は昔から「まさる(魔が去る、の意)」と呼ばれ厄除け、魔除けの信仰を受けてきました。昨年までのことは忘れ去り、申に、人という字をたして「伸」にし、「ものごとが伸展し発展していく年」でありたい。

「煩悩濁」を少しでも減らす心のダイエットに取り組み、今年の大晦日には皆様と共に「ちいさなよろこび」を感じたいものです。                     
               「ちいさなよろこび」を感じる会
                           参考:よみうり新聞 2004.1.1


2004.1.10 (No.1)

「末法五濁(まっぽうごじょく)の様相が現れている(No1)

 人間は大自然の無量の恵みを受けて生きている。
その自然と共存してのみ生きていける。

これは仏教を始めとして東洋思想ではずっと昔から言われてきた。

山や海、あらゆる自然に神が宿り、仏がましますのだから、人間は敬虔な

気持ちで相対しなければいかぬと教えられてきた。

そうしないと罰があたると言われてきた。
いまの世にそう考える人が少なくなった。
その結果どうなったか。

地球的規模で罰が当たっている。


「末法五濁」
とは

一つは「劫濁」と言って、時代が濁りきって戦争や飢餓が多く、環境や社会
が大いにけがれると言うこと。

一つは「見濁」と言って、思想が乱れ悪化して、よこしまな考えが世の人に
はびこっていくこと。

一つは「煩悩濁」と言って、貪り、怒り、愚痴の三悪煩悩が盛んになること。

一つは「衆生濁」と言って、人間の資質がだんだん低下して、身体虚弱、心が
鈍感になること。

一つは「命濁」と言って、人間の寿命が次第に短くなること。

いちいち確かめなくても、毎日、新聞やテレビ等で痛いほど当たっている。
人生八十年という反面、いじめによって小中学生が自殺するなどの報道が
頻繁にある。これも一つの「命濁」ということかもしれない。
これ、すべて自己が人間として生まれてきたことを感謝する気持ちを忘れて
相協力し相いたわって生きていくことを忘れてしまったことが根本の原因。
何もむずかしいことはない。人間として当たり前のことが、当たり前にでき
なくなっているところに根本の問題がある。
いくら価値観が多様になったといっても、善悪の基準がバラバラになっては
意味がない。

 新企画「よもやま・瓦版」では「末法五濁」の様相をからませながら2004を見ていきたいと思います。今日の一言」「今日の話しは何んでっか」につづき「よもやま・瓦版」を週一回、火曜日毎に発行していく予定ですのでよろしくお願いいたします。
                  参考:人生をゆっくりと 山田恵諦著


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