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飛鳥の石造物遺跡巡り

のどかな田園が広がる飛鳥を歩くと、ところどころで奇妙な形をした石に出会う。古代のミステリーに包まれた謎解きの楽しい旅。いろいろ想像たくましく飛鳥を歩く。

1.猿石、2.鬼の雪隠・俎板、3.亀石、4.二面石、5.弥勒石、6.酒船石、
7.酒船石遺跡(亀形流水遺構)、8.須弥山石、石人像、9.豊浦寺・文様石

飛鳥の石造物遺跡分布図

猿石1.猿石
 7世紀、明日香村平田、高さ、95、90、87、115
 飛鳥駅から国道169号線を越し東へ100m位で左折、北西に進むと欽明天皇陵に着く。その左手前の吉備姫王の墓があり、墓石の両側に、猿のような顔をした石が墓を守るように2体ずつ並んでいる。そのうちの3体は裏表の両面に顔を持つ。
 江戸時代に欽明天皇陵の南の田から掘り出され、のち現在地に移された。また、吉備姫王墓の東南5kmにある高取城第二城門跡の一体は、ここから運ばれたものと伝えられている。

鬼の雪隠鬼の雪隠古墳透視図2.鬼の雪隠・俎板
 7世紀、明日香村平田、野口
 亀石に向かう途中に、鬼の雪隠・俎板がある。花崗岩の大石をくり抜いて造った石室と、その底石。
 調査の結果、二つの石は、欽明天皇陵の横穴式石槨と判明。
 もとは生駒郡斑鳩町御坊山古墳の石室のように組み合わせ上に土が盛ってあったが、古墳がこわれて石室がさかさまにころげ落ち、石室の方が鬼の雪隠(便所)、底石の方が鬼の俎板と言われるようになった。
亀石3.亀石
 7世紀、長さ3.6m 明日香村 橘
 一説に、条理の境を示すのに利用されたというが、本来の用途はわからない。腹に益田岩船と同じ格子状の溝がある。
 田園にぽつんと置かれてる亀石は、ユーモラスな顔で人気だが、今は南西を向いている顔が、昔は東を向いていたそうだ。
 さらに恐ろしいことに、西を向くと大洪水に見まわれるという、伝説がある。

二面石4.二面石
 明日香村 橘寺境内
 橘寺の太子堂の横にある花崗岩で、左右に顔が刻まれている。善悪の二相を表すとか。
 仏教伝来以前の石像物と言われる。どうみても日本的な顔立ちではないように見える。
弥勒石5.弥勒石(みろくいし)
 高さ2.5m 明日香村岡
 条理(7世紀後半から行われた土地の区画法)の境界を示すしるしに利用されたものといわれる。
 また、飛鳥川の堰に使われていた石とも言われる。
 弥勒さんとして信仰されている。
酒船石6.酒船石
 長さ5.3m 幅2.3m 明日香村 岡
 巨大な花崗岩の上に、不思議な幾何学的模様の溝がある。誰が何の目的のために作ったのかは謎である。
 酒船石の名は、かって酒の醸造に使われたと言う言い伝えによる。石の周辺は、竹薮に囲まれ静寂。今年2月、この石の北側で、亀形石造物が発見され、ここから水を流したのではと考えられたが、別に湧水施設が見つかり、謎に包まれたままである。
酒船石遺跡(亀形流水遺構)7.酒船石遺跡(亀形流水遺構)
 長さ2.4m 幅2m 明日香村 岡
 飛鳥産の花崗岩を加工した石造物。亀形石造物は花崗岩の石塊を成形して亀の形を彫ったもので、全長約2.4m、幅2mで顔を南、尻尾を北に向けています。左右には手足が表現されており、円形の甲羅部分は幅19pの縁を残して直径1.25m、深さ20pの水槽状に加工しています。水は鼻の穴から水槽部分に入り、V字型に彫りこまれた尻尾から南北溝に流す仕組みになっている。
 小判型石造物は小判型をしたもので長さ1.65m、幅1mで北側の側面には突起を、南側の上面は高さ15p、幅90pの半円形に一段高く削り出しています。石の縁を20p残して長さ93p、幅60p、深さ20pの水槽状に加工しています。水槽底より8p高い位置に径4pの穴が開けられ、突起を通って水は亀形石造物の鼻に入り、甲羅部の水槽に水がたまり、最終的には尻尾の穴から南北溝へ排水する構造になっている。
 遺跡の位置や石垣の構造・石造物の加工技術、そして砂岩の使用状況から見て、「日本書紀」斉明2年の「石の山丘」の可能性が指摘され、亀形石造物の空間は、立地や流水構造等から祭祀空間、或いはその第一ステージと推定されている。これらの遺構は10世紀初頭に埋没が始まったと考えられている。
須弥山石(しゅみせんせき)(復元)石人像(復元)8.須弥山石(しゅみせんせき)、石人像
 重要文化財、7世紀、明日香村 石神遺跡
 石神遺跡は、飛鳥寺の西北に位置し、直ぐ南には水時計である水落遺跡がある。明治35,36年ごろに須弥山石、石人像が出土している。全体の形や山形の浮き彫りがあるところから須弥山石と呼ばれている。
 庭園に伴う噴水施設で、周辺から溝や石敷きも見つかっている。斉明朝(655-661年)に、蝦夷(えみし)や南方の人をもてなしたとき、甘樫丘東方の河原や飛鳥寺西方に造ったという須弥山は、このようなものであったという。
9.豊浦寺(とゆらじ)・文様石
 明日香村 豊浦
豊浦寺(とゆらじ)・文様石拓本  豊浦寺は飛鳥の西北、甘樫丘から北へ延びる丘陵と飛鳥川に挟まれた狭小な場所にある。
 これまでの発掘調査で、金堂、講堂、回廊、尼房等が検出されている。
 これらの遺構は推古天皇の豊浦寺と推定されている。講堂と見られる現在の向原寺などから文様石が出土している。