戻る 次へ

高津宮、生国魂神社、吉祥寺、口縄坂


高津宮 F高津宮
 貞観8(866)年、清和天皇の勅命で仁徳天皇を祭って創建。当初大阪城近くにあったが大阪城築城のため、天正11年(1583)現在地へ移転。
 ●本経寺・・・竹本義太夫の弟子、豊竹若太夫の墓。若太夫は道頓堀の豊竹座を本拠に人形浄瑠璃の全盛期を築いた人物である。

生国魂神社 G生国魂神社
 正式には「難波坐生国魂神社(なにわいますいくたまじんじゃ)」。神武天皇が九州から難波津に着いたとき、生島神・足島神を祭って創建。
 当初大阪城近くにあったが大阪城築城の為、高津宮同様ここへ移された。現本殿は昭和31年再建の鉄筋コンクリート造だが、千鳥破風の上に唐破風、その上に千鳥破風を乗せた「生国魂造」が昔のまま継承されている。
 ●米澤彦八碑一上方落語の祖と言われる彦八の碑がある。

赤穂義士・四十七士の墓 H吉祥寺
 播州浅野家の菩提寺。浅野内匠頭も参勤交代の途中必ず立ち寄ったといわれる。義士の遺発髪、爪を埋めた。
 中央に内匠守、右に大石内蔵助、左に大石主税、周囲が義士達の墓碑。 

I口縄坂
 上町台地西側急斜面には真言坂・源聖寺坂・愛染坂・清水坂が通じているがこの坂もその一つ。下から見ると石段と石段が土塀の間にクネクネと通じる起伏の様子が口縄(蛇)に似ていることから名付けられた。
 坂を上り切った所に織田作之助の文学碑「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走つていた」(=木の都)が刻まれている。
口縄坂 「上町の七坂」一主なものは八つある。
 @真言坂(一番北)一生玉の僧坊に真言宗が多かったのでこの名がついた。
 A源聖寺坂一浄土宗源聖寺の横を通るのでこう呼ばれた。
 B学園坂一大阪女子学園があるので。江戸時代にはなかった坂。
 Cロ縄坂D愛染坂E清水坂F天神坂一安居神社への坂
 G逢坂一四天王寺西門への道。聖徳太子が物部守屋と仏法をこの地で論じたので「合坂」と呼ばれたと言う。  


 戻る 次へ