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池上曽根遺跡・史跡公園

平成13年春、史跡公園がオープン予定!!!

詳しくは、読売新聞のサイバー古代
池上曽根遺跡にアクセス下さい


 弥生時代の代表的な巨大環濠集落(周囲を溝で囲んだ集落)。いずみの高殿とやよいの井戸
大阪府和泉市池上町から泉大津市曽根町にかけて、南北
1.5km、東西0.6km、の範囲に広がる。総面積は、60万u(76年国指定史跡部分は11万5千u)と全国屈指の規模である。
弥生前期〜後期にかけて存在、二重から三重の濠に囲まれた拠点的集落。古代の「クニ」か?

<発掘経緯>
☆1903年・・・石鏃発見。
☆1921年・・・長首壷発見。
☆1995年6月・・・弥生中期の建物跡と日本最大の丸太割刳抜き井戸発見(直径2.3mの楠の大木を利用、発掘時も水が沸出。)
 建物は東西19.2m、南北6.9m、26本の柱で構成され直径60cmの柱17本が残っていたが、その内1本(桧材)は年輪年代測定法でBC52年に伐採されたものと判明。
☆1996年夏・・・建物内西側穴15cmの土中から長さ1.6cmの翡翠勾玉とモモの種発見。(日本最最古の地鎮祭?or戦勝析願?)
☆1999年l月一環濠北側から蛸壷、木製櫂など漁労具を発見。池上曽根遺跡
井戸の周囲は石器、土器を集めた「祭祀場」、又青銅器・鉄器を作った工房跡が発見されている。

●史跡公園・・・平成7年度から国の「歴史ロマン再生事業」第1号としてスタートした。<復元建物>「いずみの高殿」・・・高床式大型掘立柱の建物。(南北19m、高さ11m。柱の直径60cm。屋根裏だけで133uの大部屋。屋根上には神の使いの鳥の木製品を置き、屋根全体が魂を運ぶ船の形。)「やよいの大井戸」一前述。「堅穴住居」・・・小型掘立柱2棟。(金属器・農耕具・漁具を作成)「竪穴住居」・・・環濠周囲に密集していたものを復元。

    発掘当時の遺跡
大型建物は26本の柱を使った掘立柱建物で、直径60cmもある柱の根元が17本も残っていた。そのうちのヒノキの柱から、伐採された年代(紀元前52年)が確かめられた。
 井戸は建物の南側にあり、直径2.3mのクスノキを刳りぬいて井筒にしていた。我が国最大の刳りぬき井戸。
復元された「いずみの高殿」の屋根に取り付けられた、神の使いの鳥の木製品。
 屋根の形は魂を運ぶ船の姿をイメージし、神の使いの鳥がとまっている。
     復元された建物と井戸
(いずみの高殿・やよいの大井戸)
 土器に描かれていた弥生時代の建物のの絵をもとに、大型建物は壁のない高床建物に復元された。
 建物の復元には和泉市父鬼町の三国山のヒノキ50本を使い、井筒は東大阪市から寄贈されたクスノキの大木を使用した。

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