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池上曽根遺跡と和泉の国
古代遺跡を訪ねる
大阪府和泉市

弥生文化、全般の資料・情報をを幅広く展示している
大阪府立弥生文化博物館のHPをご参照ください
第1展示室〜弥生時代の堅穴住居・米作りのルーツなど
   第2展示室〜泉州の歴史と文化  入館料300円、月曜日休館。

自然に恵まれた歴史あるまち、和泉市
 穏やかな気候風土、清く豊かな水に恵まれた和泉市。
和泉市は、遠くは弥生時代より開け、遺跡などの文化財が多く残されているまちである。 
 南北に細長い市域は、85平方キロメートルあり、北部の市街地と南部の山間部に大きく分けられる。
江戸時代の「和泉木綿」以来の伝統をもつ繊維工業を初め、人造真珠、ガラス細工、花卉栽培などが盛んで、南部の山間部は丘陵地帯を利用して温州みかんの栽培で知られている。

 12/14(木)、和泉の国を訪れた。天候、曇りで肌寒い。
 午前9:40、JR阪和線信太山駅で下車。昔の面影を残した家並みを西へ約10分、26号線を渡ると池上曽根遺跡・公園である。開園時間の10時には、少し時間があったが復元された建物群(円形・方形竪穴住居)などを写真に収めた。管理センターで遺跡の概要を伺い「いずみの高殿」、「やよいの大井戸」小型竪穴、立柱などを見学。素晴らしい発掘に感激する。同遺跡は、平成13年春にはさらに充実した史跡公園として新装オープンするため工事が行われていた。
 直ぐ南にある、大阪府立弥生文化博物館を訪れたが、残念ながら年末の臨時休業日であった。国道26号線を北へ5分東に右折、住宅街の路地を2、3度曲がり、行き着いたところは朱塗りの鳥居がある葛の葉稲荷神社。安倍保名に命を助けられた白狐の化身「葛の葉」の伝説を教えて頂きながら、「千枝の楠」「姿身の井戸」などを一巡する。
 続いてJR阪和線を渡り、10分ほどで旧府神社に着き、神功皇后の行宮跡、「白狐の化け石」を見学。ほんの少し南に下がると、往時の姿を偲ばせる小栗街道にでる。平安時代の昔から熊野へと向かったという道をゆっくりと歩いて行くと、左手に「聖神社」の大鳥居。さらに熊野九十九王子の篠田王子があったという、王子町を進むと右手に、「小栗地蔵」、八坂神社の横に「高札場跡」がある。この直ぐ道の向かいに、「小栗判官」が休んだという「笠掛松」、照手姫が腰掛けた「照手姫腰掛石」が保存されている。
 放光池1号公園の南角地にある、江戸時代の住吉神社の高灯籠(大阪湾の安全航行・灯台の役目を果たした)をカメラに収め、ここで小栗街道とも分かれて住宅地を南へ歩くこと15分。
左手に池が見え、左に折れるとやっと丸笠山古墳に到着。現在見る限りなだらかな小山と言ったもので、前期古墳(4世紀末頃)のものという。
 さらに道筋を南へと歩き、黒鳥町にある大阪市信太山青少年野外活動センターに1時過ぎ到着。ここの屋外休憩場をお借りして昼食を摂る。少し日差しが出てきてほっとする。
 次に目指すは、古代氏族の坂本氏の氏寺、禅寂寺。地図を頼りに、急坂を山荘町へと下るも、阪本町への道が分からず、途中民家に立ち寄り道案内を乞う。案内通りに自衛隊自動車練習場前を通り過ぎると、右手下に沢山の民家が見え、どんどんと進むと阪本町に出た。
角地に郷荘神社、右に曲がり突き当たりに禅寂寺はあった。
 国道480号線を北上、20分ばかり歩くと左手に西福寺。境内に雷が封じ込められた「雷井戸」があり、雷が鳴ると「クワバラクワバラ」と唱えるのはこの伝説に由来する。ここの土地は、桑原町と言う。
 再度、小栗街道に出て最後の行程、「和泉国府廰跡」、「和泉井上神社」を訪ねて、JR和泉府中駅にPM4:00到着。
 弥生時代の遺跡・池上曽根遺跡をはじめ和泉市の沢山の史跡・遺跡を巡り、大阪南部の和泉市をおぼろげながらも少し理解できたことは大変嬉しく、地図を片手に親切に案内頂いた同行のI氏に感謝。 

 

和泉の国古代遺跡を訪ねる写真集

池上曽根遺跡

歴史ウォーキング行程

JR信太山駅→(10分)→池上曽根遺跡公園・府立弥生文化博物館→
葛の葉稲荷神社→旧府神社(白狐の化け石)→小栗街道(篠田王子跡・
小栗地蔵・八坂神社・高札場・照手姫腰掛石・後鳥羽院歌碑・
平松王子跡)→丸笠山古墳→禅寂寺→西福寺→和泉国府跡→
泉井上神社…(10分)→JR和泉府中駅 
全行程10.5km


和泉の国古代遺跡を訪ねるMAP

葛の葉稲荷神社(くずのはいなり)・・・清少納言が「枕草子」で「もりはしのたのもり。」と称えた信太の森の鎮守。
 竹田出雲作江戸時代中期の浄瑠璃「芦屋道満大内鑑
(あしやどうまんおおうちかがみ)」に取り上げられた「葛の葉」伝説所縁の地。安倍保名と狐の化身、葛の葉姫との悲恋の舞台である。

(平安時代の実在の陰陽師安倍晴明(おんみょうしあべのせいめい)は安倍保名(あべのやすな)と葛の葉姫との間に出来た子と作り話になっているが、実際は晴明が号で保名は名前の同一人物である。)

 境内に白狐が身を隠した神木「千枝の楠」、姫が姿を写した「姿見の井戸」、「恋しくば訪ね来てみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」の歌碑がある。

歌舞伎「芦屋道満大内鏡」のあらすじは次の通り。
 あらすじ・・・
 安倍保名に命を助けられた白狐の化身「葛の葉」は、保名が悪人達に都を追われ、恋人「榊の前(さかきのまえ)」を失って放浪している時、「榊の前」の妹で「榊の前」にそっくりの「葛の葉姫」の姿となって現れ、保名を救うと言う恩返しの物語である。

 
 二人は大阪阿倍野で一児をもうけ平和な家庭を送っているところへ突然、「葛の葉姫」とその父母が保名を訪ねて来る。二人の女「葛の葉」と「葛の葉姫」を見た保名は妻の「葛の葉」を疑う。疑われた「葛の葉」は今はこれまでと我が本性を語り、我が子と涙ながらに別れ、障子に一首の歌を残し秋の野原に姿を消す。その歌が「恋しくば訪ね来てみよ…」である。


陰涼寺・・・淀川治水工事の貢献者河村瑞軒(江戸時代の豪商)が建立に尽力した寺。本堂天井は大阪夏の陣で敗れ伏見城で自刃した豊臣方兵士の血糊の着いた天井を使用している。境内のキンモクセイは大阪府指定天然記念物。

旧府神社(ふるふじんじゃ)・・・神功皇后の行宮「小竹宮(しののみや)」の跡と言われ、境内に「白狐の化け右」がある。

篠田(しのだ)(信太)王子跡・・・熊野九十九王子の一つ。この付近にあった。

聖神社(ひじりじんじゃ)・・・和泉国三宮。豊臣秀頼の再建で入母屋造本殿と末社三神社木殿、末社滝神社本殿が国指定重文。

高札場・・・八坂神社正面鳥居横の小さな瓦葺建物。南王子村の高札場。江戸時代、幕府が法令・禁令を掲示し権威を誇示した所。

小栗(おぐり)街道・・・この付近の街道筋は大阪渡辺津から四天王寺を経て南下する「熊野古道」であるが、近世以前の説教節の「小栗判官・照手姫」の秘話に因んで堺以南を「小栗街道」と呼ぶ。小栗判官が笠を掛けて休んだと言う「笠掛松」、照手姫が腰をおろしたと言う「照手姫腰掛石」がある。(毒酒を飲まされた小栗判官を照手姫が車に乗せて熊野まで行ったと語り伝える。)

西教寺・・・南王子水平社創立の地。イブキの木は大阪府指定天然記念物。樹齢600年。

後鳥羽院歌碑・・・上皇が平松王子で詠んだ歌碑。

丸笠山古墳・・・泉州最大の古墳群信太千塚古墳群の一つ。4世紀の前方後円墳。これらの古墳は茅渟県主(ちぬのあがたぬし)一族や壬申の乱で功を立てた古代氏族坂本氏の家族墓と想定される。

禅寂寺・・・坂本氏が氏寺として建立。塔の礎石が残る。

西福寺・・・鎌倉時代、奈良東大寺再建に勧進僧として活躍した重源(ちょうげん)所縁の寺。和泉市の花、水仙は重源が中国から伝えたと言う
 又、雷封じの伝承がある寺で昔、境内の井戸に落雷、村人が素早く石蓋をして雷を閉じ込めた。逃げ場を失った雷が必死で命乞いをした。
雷が鳴ると「クワバラクワバラ」と唱えるのはこの伝説に由来する。(この付近「桑原町」と言う。)

泉井上神社(大阪府史跡)・・・「いずみいぬこ神社」とも言う。神功皇后が新羅征討の際、この神社に戦勝を祈願したところ、一晩の内に瑞祥となる霊泉が涌き出たと言う。その縁で神功皇后・第14代仲哀天皇・第15代応神天皇を合祀する。以来和泉の地名で呼ばれるようになった。和泉国は天平宝宇元年(757)、大鳥(おおとり)・和泉・日根(ひね)の3郡が河内国から分立して成立した。和泉五社を勧請した境内社、和泉五社総社本殿は慶長10年秀頼再建の国指定重文であり、三間社造の立派なものである。
 奈良時代、和泉国府の中にあった。又、かつて横尾川手前に在った井口王子を明治41年廃止の際、泉井上神社に合祀された。

 

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