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和泉の国古代遺跡を訪ねる

   葛の葉稲荷神社
 清少納言が「枕草子」で「もりはしのたのもり。」と称えた信太の森の鎮守。
 竹田出雲作江戸時代中期の浄瑠璃「芦屋道満大内鑑
(あしやどうまんおおうちかがみ)」に取り上げられた「葛の葉」伝説所縁の地。安倍保名と狐の化身、葛の葉姫との悲恋の舞台である。
   神木「千枝の楠」
 葛の葉稲荷神社
境内にある。
 白狐が身を隠した楠。
樹齢、すでに2千余年。楠大明神を祭る。
根元より二つに分かれているので、一名夫婦楠とも言い、枝振りが四方に繁茂しているので、千枝(知恵)の楠とも言い伝えられている。
   「白狐の化け右」
 旧府神社
(ふるふじんじゃ)は、神功皇后の行宮「小竹宮(しののみや)」の跡と言われ、境内に「白狐の化け右」がある。

  小栗(おぐり)街道
 この街道筋は大阪渡辺津から四天王寺を経て南下する「熊野古道」であるが、近世以前の説教節の「小栗判官・照手姫」の秘話に因んで堺以南を「小栗街道」と呼ぶ。

 小栗判官が笠を掛けて休んだと言う「笠掛松」、照手姫が腰をおろしたと言う「照手姫腰掛石」がある。(毒酒を飲まされた小栗判官を照手姫が車に乗せて熊野まで行ったと語り伝える。)     丸笠山古墳
 泉州最大の古墳群信太千塚古墳群の一つ。4世紀の前方後円墳。これらの古墳は茅渟県主
(ちぬのあがたぬし)一族や壬申の乱で功を立てた古代氏族坂本氏の家族墓と想定される。
    禅寂寺
 古代氏族・坂本氏が氏寺として建立。塔の礎石が残る。

 禅寂寺は、法隆寺伽藍配置の寺院跡として著名である。
 塔刹柱礎石は、塔跡中央にあったが、昭和初年に現在地に移されたもの。
 一変1.6m前後のほぼ方形の自然石面に円形の柱穴を穿ち、さらにその中央に二段の方形穴が穿たれている。
 上段は蓋掛穴で、下段は舎利穴である。
     西福寺
 雷封じの伝承がある寺で昔、境内の井戸に落雷、村人が素早く石蓋をして雷を閉じ込めた。逃げ場を失った雷が必死で命乞いをした。
雷が鳴ると「クワバラクワバラ」と唱えるのはこの伝説に由来する。(この付近「桑原町」と言う。)
  泉井上神社(大阪府史跡)
「いずみいぬこ神社」とも言う。神功皇后が新羅征討の際、この神社に戦勝を祈願したところ、一晩の内に瑞祥となる霊泉が涌きき出たと言う。以来和泉の地名で呼ばれるようになった。
和泉五社を勧請した境内社、和泉五社総社本殿は慶長10年秀頼再建の国指定重文であり、三間社造の立派なものである。

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