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南山城古代遺跡を訪ねる
平井神社・・・神速須佐之雄命(かむはやすさのおのみこと)・八十猛命(やそたけるのみこと)・奇稲田比命(くしなだひめのみこと)を祭るが、ご神体は薬師如来像l体と仏像2体である。本殿(重文)は一間社流造で正保2(1645)年の建立。正面柱に桃山時代の彫刻。江戸時代建立の明神鳥居は京都府指定文化財。 |
久津川車塚古墳・・・国史跡。宇治丘陵に点在する「久津川古墳群」の一つ。JR奈良線で分断されている。 |
久世神社・・・旧久世村の産土神。江戸時代、華霊(かりょう)神社と呼ばれたが明治初期、久世神社となる。目本武尊を祭神とする。 |
「鷺坂」 |
正道官衙遺跡(しょうどうかんがいせき) |
南門…築地塀がある庁屋への正門 中心的建物の「庁屋」、校倉造倉庫、門が出土、硯も出ておりこの辺が奈良時代の久世郡の中心地であったと推定される。 現在は遺跡公園になっている。 |
湧出宮(わきでのみや)・・・ 正式には「和技坐天乃夫岐売(わきにいますあまのふきめ)神社」と言う。天平神護2(766)年、三重県の五十鈴川の船ケ原から天乃夫岐売神を勧請し、「日本書紀」より地名をとったのが始まりとされる神社。 記紀によると山背地方の豪族、武埴安彦(たけはにやすひこ)(孝元天皇の皇子)が崇神天皇10年に、妻の吾田媛(あたひめ)と共に大和朝廷に対し挙兵したが、媛は吉備津彦軍に敗北。武埴は大彦命と彦田葺(ひこたふく)(和珥氏(わにし)の祖先)と戦い山代川(現在の木津川)で敗れ斬殺された。 その時、首が湧出宮へ飛び、胴体が祝園(ほうその)神社へ飛んだと言われる。 その霊を慰める祭り「居篭り(いごもり)祭り」(2月15日〜17日)が伝わる。(祝園神社でも行われ、共に京都府指定無形民族文化財となっている。) |
椿井(つばい)大塚山古墳・・・ |
椿井(つばい)大塚山古墳 然し近年復元された「花弁形装飾付鉄製品」が三角縁神獣鏡の神像の冠と似ていることから被葬者が武人より宗教的司祭者ではないかと言い出された。 第1級の遺跡ながら前方部は田畑の造成で削られ、残っているのは後円部のみ。 それも明治27年に国鉄の線路敷設の為、東西に分断されて、形状が崩れてしまった。 石室の天井板は山城中学校の校庭に運ばれ保存されている。↓ |