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出雲市の古墳
西谷墳墓群と今市大念寺古墳

 今回、我々のツアーは、当初西谷墳墓群の4号墳など全体を見学する予定であったが、西谷墳墓群は、現在、市民や観光客が気軽に立ち寄れる史跡公園として整備中であり、9号墳だけ見学した。
バスの窓からは、たくさんの大型のショベルカーなどが動き回り整備中であることが伺えた。9号墳の前でバスを降り、現在、墳頂部には三谷神社が祀られている高台へと狭い階段を登り、頂から見える風景は斐伊川の向こうに出雲平野が望める素晴らしい場所だった。

次いで、バスは出雲市内に戻り、JR出雲市駅の近くにある今市大念寺古墳に案内された。出雲平野の中央部に突出した丘陵の先端にあり、墳丘上からは出雲平野全域が望むことが出来る。説明を受けたあと、大きな横穴式石室に入り見上げるような大型石棺に驚いた。
これぞ、出雲の首長者に相応しい古墳だと、納得し合点した。
出雲市近辺の古墳
 日本海、宍道湖、島根半島などの豊かな自然に囲まれ、斐伊川(ひいがわ)、神戸川(かんべがわ)の清流に育まれた出雲平野には、古代から人々の生活の舞台として、絶好の環境が整っていた。このため、全国的にみても特に価値の高い歴史文化遺産が数多くあり、平野の中心に位置する出雲市においても西谷墳墓群今市大念寺古墳など国指定史跡がある。

 とりわけ西谷墳墓群は、全国最大級の四隅突出型墳丘墓が集中しており、銅剣や銅鐸などの青銅器が大量に出土した付近の荒神谷遺跡(斐川町)、加茂岩倉遺跡(加茂町)とともに、弥生時代の古代出雲王国を偲ばせる歴史文化遺産として全国的に注目されている。西谷墳墓群は、現在、市民や観光客が気軽に立ち寄れる史跡公園としての整備が進められている。

西谷墳墓群

復元された西谷3号墳

 西谷墳墓群には、3号墓の他に5基の四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)が発見されています。1号墓や6号墓のように、中には半壊していて全形のつかめないものもありますが、その大半は方形部長辺30mを超える巨大なもので、全国的に見ても最大級の弥生墳墓です
 西谷の四隅突出型墳丘墓群は、弥生時代後期(約1800年前)の出雲地方を象徴する遇跡とも言えるもので出雲の歴史を解明する鍵となる遺跡の一つです。

 これらの墳墓は大きさはともかく、四隅を突出させ、貼石を持っていることを大きな特徴とし、その墳墓の上で祭祀を行った跡↓も検出されていると報告される。
 この突出部は何を意味するのか様々な説があるが、「生者とは別、死者の世界」で用いられる施設で、四天王と同じように各隅の突出部に悪霊を塞えぎるための楯を樹てたり、楯持つ「門守り人」を配し、・・・・・と説く水野正好氏の説がある。(古代出雲文化展図録)

 四隅突出型墳丘墓は祭祀に青銅器が使用されてきた時代が終り、「青銅器のまつりにかわる新しいまつり、首長の死に際して執り行なわれるあたらしいまつりの場」として中国山間地に登場し(成立期・弥生時代中期)、その後出雲に巨大な四隅突出型墳丘墓が築造され(完成期)、山陰・北陸地方へと東に広がりをみせ、出雲勢力が日本海を通じ山陰から北陸の勢力四隅突出連合をくみ、やがてヤマト勢力に押されて終末期(古墳時代初頭)を迎えた、と、書かれている。(丹羽野裕氏、古代出雲文化展図録)

西谷墳墓群9号墓
西谷9号墳を遠望する 9号墳の前でバスを降り、現在、墳頂部には三谷神社が祀られている高台へと狭い階段を登り、頂から見える風景は斐伊川の向こうに出雲市内が望める素晴らしい場所だった。
 三谷神社の西側に下りて四隅突出型墳丘墓の特徴である、四隅を突出させ、貼石を持っていることなどの説明を受けた。

9号墳は、1〜6号墓が立地する丘陵の北東約250m、斐伊川を望む独立丘陵に位置しています。
東西42m、南北35m、高さ4.5mの方形部に突出部が付く最大の四隅突出型墳丘墓です。
突出部を含めると50mを超える規模になると推測されます。
貼石・石列は存在するようですが、発掘調査が行なわれていないため、詳細はわかっていません。現在、墳頂部には三谷神社が祀られている。
西谷9号墓墳丘測量図  (1/800 島根大学考古学研究室)


今市大念寺古墳

次いで、バスは出雲市内に戻り、JR出雲市駅の近くにある今市大念寺古墳に案内された。
出雲平野の中央部に突出した丘陵の先端にあり、墳丘上からは出雲平野全域が望むことが出来る。説明を受けたあと、横穴式石室に入り見上げるような大型石棺に驚い
た。

 出雲平野の勢力は弥生時代末期の四隅突出型という特異な墓制を完成させたあと、古墳時代に入るとヤマト政権の侵攻を受けたものか、畿内の影響力の強い前方後円墳が築造される。その代表墓が出雲東部・意宇の勢力に対抗するかのように巨大な横穴式石室と家型石棺を持つ島根県最大の前方後円墳六世紀中頃築造の大念寺古墳で、全長100メートルを超える大きさといわれる。

 JR出雲市駅から東へ800メートル、大念寺の墓域の一角にこの巨大石室が開口していた。この位置からは出雲平野が一望でき、ここに眠る王者は西流していた出雲大川(斐伊川)と神戸川、その両川が合流していた神門水海(かむどのみずうみ)とその流域に広がる豊かな大地の領有を死後も主張しているようである。 

今市大念寺古墳の実測図
今市大念寺古墳の実測図
全長12.8mの両袖式の複式構造になっており、
県下では最大級のものである
内部には、大小の家形石棺が2個置かれ、奥の石棺の
大きさは長さ3.3m幅1.7m高さ1.89mの巨大なものである

 巨石でつくられた両袖式の石室の中には、石をくりぬいてつくった整美な姿の横口付家形石棺がおさまっている。
 その大きさは長さ3・3m、幅・高さとも1・7mという巨大なものだ。1826年に開口した伝えられ、その時に出土した豊富な副葬品は今では散逸してしまい、大念寺にその一部が残されている。
 この丘陵には古来稲荷社が建っていたが、承応年間に大念寺がここに移され現在の姿となったという。境内には今も稲荷の社が祀られている。

大念寺古墳から
すぐ近くにJR出雲市駅が見える
高さ2.0mある石室内部の前室
石室内部の前室の
組み合わせ石棺の基底部
奥室の大型石棺と内部
石室の高さは3.3m 石棺の高さは1.89m

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