車塚古墳群 | 竃形(かまどがた) 土器 | 鍛冶炉跡の発掘 |
昭和30年に大門清造さんの敷地内から出土した遺物から一般に知られるようになり、昭和61年から都市計画道路建設、土地区画整理事業などに伴い、発掘調査が進められてきた所で、この土器が見つかったのはJR河内磐船駅北側の森北1丁目地内(岩船小学校南側)。
第一期発掘調査は平成7年11月から8年3月まで、第二期発掘調査は8年7月から12月。この1・2期にわたる調査で、古墳時代に掘削し、奈良時代まで使われていたと推定される幅5mの大溝を発掘。その溝から奈良時代のものと思われる土器類が多数見つかり、その中に竃形(かまどがた)土器がが含まれていた。大きさは、高さ8.5センチ、底の径9センチと小型品。この土器は、
小型で、実用品ではないので、水霊祭祀(すいれいさいし)や雨乞い祭祀などに使われたと考えられている。
平城・長岡・平安京など、また河内の国内でもこの種の土器は多数出土しているが、すべて土師質(はじしつ)もので、この土器が須恵質製(すえしつせい)であったことで、注目されている。 また、この遺跡からは、古墳時代の鍛冶工人の住居跡と思われる竪穴式住居、掘立柱式建物など多数が検出され、古墳時代中期以降では、数少ない鍛冶関連遺構として注目されている。
森遺跡の周辺には国内最古級の竪穴式石室を持つ前方後円墳として脚光を浴びた「鍋塚古墳」(交野市寺)を含む森古墳群、 |
出土遺構 | 考古学では、過去の人類が残した痕跡のうち、土地に固定していて動かすことができないもの、つまり、地下に眠っている建物や井戸、溝などさまざまなものを遺構と呼んでいる。 |
須恵器 (すえき) | 古墳時代後期から奈良・平安時代に行われた大陸系技術による素焼きの土器。良質粘土で大量生産し、あな窯を使い、高温の還元炎で焼くため青灰色を呈するのが一般的。主として食器・祭器として使用。 |
土師器 (はじき) | 弥生式土器につづいて古墳時代から平安時代にかけて製作された素焼きの土器。ほどんど文様なく、皿、碗、つぼなどの食器が多い。 (広辞苑から) |
出土遺物(第1調査地) | 第2調査地調査風景 | (旧石器時代) |