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        鍋塚古墳の発掘調査概要の説明会が3月17日行われた。
1..交野市 寺1506−2、1507−3、1522−1、1024−2、1047−1、1048−1番地に位置する古墳
2.大阪府の防災無線基地建設に先立ち、平成7年7月から同年12月まで第1次調査を実施した
3.
今回の第2次調査は、平成12年9月より平成12年11月まで実施
4..森古墳群(1号墳・雷塚古墳)より古いと思われる
  以下、当日の報告会の資料をもとに紹介します。


  2001.11.20 鍋塚古墳の現地を訪れ2枚の写真を撮影した。
  現在は、埋め戻されて整地されている。
  鍋塚古墳に立ち、北東方面に目をやると竜王山がどっしりとすわっている。
   それは、見事な景色だった。
  やはり、古代人はいい場所に古墳を作るものだなあと感激した。

鍋塚古墳 古墳から竜王山が目の前に見える

鍋塚古墳の発掘調査概要

一主に後方部側の調査を中心に一

 平成13年3月17日(土)    (財)交野市文化財事業団 真鍋成史

1.調査に至る経緯と経過

鍋塚古墳は、交野市寺1506−2、1507−3、1522−1、森1024−2、1047−1、1048−1番地に位置する古墳である。調査に入るまでは築造後の地形の変形により、前方部が明確でなく後方(円)部の高まりだけが僅かに認めていたことから「鍋塚」と呼び、横穴式石室をもつ後期古墳ではないかと考えられていた。

大阪府の防災無線基地建設に先立ち、平成7年7月から同年12月まで第1次調査を実施した。調査は前方部側での計9カ所のトレンチを設定した。この平成7年度の調査ではじめて、円や方墳という形態の後期古墳ではなく、前方部をもつ古い古墳であることが分かった。当古墳の西側に広がる森古墳群中の前方後円墳はすべて前方部を平野部に向けていたが、鍋塚古墳はそれを山側に向けており、森古墳群と異なる築造方位であることも確認された。

その後、将来の調査に備えて、平成10年3月には奈良大学考古学研究室に協カを求め、墳丘の測量調査を実施し測量図を作成した。これにより、鍋塚古墳が全長60mクラスで、後方部の直径(軸)35mを測ることが分かった。ただし、後方部側の突起はその南側の土砂が流出したためそのような形態になったのか、それとも張り出し部として人為的に作りだしたのかは不明であった。

今回の第2次調査は、繁急地域雇用対策の一環として実施したものである。調査期間は、平成12年9月より平成12年11月までである。調査の結果、古墳が前方後方墳の可能性が高いこと、後方部の突起が張り出し部であることなどを確認できた。現在は室内において、出土した土器の整理作業を行っているところである。

2.平成7年度の調査(前方部側の調査)

局舎建設予定地部分で発掘調査を9ケ所において実施したところ、古墳の葺石を第1、3、7トレンチで確認できた。すべて前方後方墳の前方部に当たる部分である。第1トレンチは無線中継基地建設予定地に、4辺がそれぞれ9.5m、10.0m、9.0m、13.0mの幅の不正形トレンチを設定した。調査の結果、表土から基底部までは1.4mで、基底部の標高は204mを測る。層序については基本的に3層に分層される。平成7年、第一次調査の前方部(第1トレンチ)

第1層は表土、第2層は黄橙色の砂質土、第3層は黄褐色の砂質土である。3屑ともこの地城特有の風化した花崗岩の砂粒からなり、第2、3層中では古墳から転落した葺石が多量に含まれ、第3層中からは瓦器椀が出土した。この堆積土は墳丘部から流出したものと推定される。葺石は部分的には剥落しているものの比較的保存状態が良好である。使用された石材は主として花崗岩である。葺石は概観すると基底部に40から50cmの基石を横に並べて置き、その上部は20から30cm程度の石を中心に大小の石が混在した形で積まれている。葺石の積み方については、まず基石を置いた上に1.0から1.5mの間隔で上下1列だけ積んで枠を作った後、その間に石を積んでいったものとみられる石積方法である。また、くびれ部付近にかけては前方部の丸味を帯びた石に比較してやや角張った大きな石を便用している。

第3トレンチは調査区北端までくびれ部の調査を目的で行ったが、この当時は同部が民有地内に位置していたため確認はできていない。調査は4.0×4.0mの幅の三角形トレンチで行った。基底部は第1トレンチと同じく204m付近に位置すると考えられる。第lトレンチとおなじ石積方法かどうかは調査区が狭いため明確には分からなかった。葺石は第1トレンチの前方部と同じ角の取れた石を使用している。

第7トレンチは前方部の茸石の配列方向を確認するために第1トレンチの北側に7.5×0.5mの幅で調査を実施した。その結果、堆積土は表面から葺石の基底部までが1.7mを測り、基底部の標高が第1トレンチと同様で204mであることが分かった。葺石は第1トレンチと同じく花崗岩を使用している。その他の6つのトレンチは地山面まで確認調査を行っているが、遺構は確認できなかった。

3.平成12年度の調査(後方部側の調査)

本年度の調査は、後方部側の調査である。計4ケ所においてトレンチ調査を実施した。以下、各トレンチごとの概要を説明する。

第10トレンチは、古墳の長軸線上で後方部側に19.0×2.0mの幅で設定した。調査の目的は長軸線上の後方部端の確認であった。調査の結果、古墳の基底部はこれまでの調査と同じで204m付近であることが分かった。また、張り出し部が後方部と連結する南端を確認している。斜面には安山岩と思われる板石が葺かれていた。この石材は、第13トレンチで確認した竪穴式石室に伴う石材と同じである。基底部付近は地山を削り出した上に50cmほどを盛土を行いそこに葺石を敷いている。墳丘の斜面の206.5m付近で、幅40cmのテラス状の平坦面を検出している。幅は非常に狭く本来のテラスとしての機能を有していたかどうかは定かでない。出土遺物は斜面より赤っぼい土器の小破片が出土しているが、時期は特定できなかった。平成十二年、第二次調査 石室部(13トレンチ)

第11トレンチは第10トレンチの北側に5×3mの幅で設定した。後方部の突起が、吉墳の張り出し部かどうかの確認作業を主目的とした。調査の結果、第10トレンチの204m付近に向かって伸びる花崗岩の岩盤に沿って地山が成形されていること、また斜面には葺石が置かれていないことなどを確認してる。この調査の結果、後方部側に張り出しが付くことが確認できた。出土遺物は確認できていない。

第12トレンチは、後方部の南側で第11トレンチに対して直角に15×2mの幅で設定した。後方部の幅を確認することを目的とした。調査の結果、吉墳の斜面には花崗岩の葺石が敷かれていることを確認している。古墳の基底部は204m付近で、その南側へは地山が削り出され階段に伸ぴている。斜面の葺石は地山の上に直に置くのではなく、土を敷きその上に葺石を並べている。使用石材は花崗岩で、石の並べ方はすぐ西側の平成7年度に実施した第1トレンチのものと似ている。今後、石材の葺き方も検討課題である。

出土遺物としては、斜面においては時代を特定できない土器の小破片のみであった。本トレンチで出土した遺物の大多数は階段状遺構の上面からの出土した弥生時代後期に属するもので、近江系と呼ばれる土器も含まれている。現在までのところ、この土器は鍋塚古墳には伴わず、周辺に弥生時代の住居があり、それらにともなったものが古墳の裾の埋土に混じり込んだものと考えている。しかしながら、古墳に伴う時期のものではないかという一部専門家の意見もあるので、今後様々な方の意見を聞きながら、来年度も継続して土器の整理作業を実施し報告文を作製したいと考えている。

第13トレンチは、後方部の中央、切り通しの箇所を掘り下げた。調査前より竪穴式石室に伴う板石は、切り通しの断面で観察できていた。本トレンチは竪穴式石室の墓壙の範囲や盗掘の有無などを確認することを目的とした。
 トレンチは9×1mの幅で設定した。その結果、竪穴式石室に伴う板石(安山岩)やその周囲で墓壙の堀方を検出した。またこの石室の西側では盗掘坑と思われる箇所を確認した。その周辺には多数の石材が氾濫しており、それらを取り除いたところ粘土棺床と思われる緑灰色の粘土を確認した。またその上面には朱が塗られていた。墓壙の東端は調査区外に延びており、今回の調査ではその全容を把握するに至らなかったが、東西方向に10m以上であることは確認している。

4.まとめ

これまでの調査で、吉墳の南側斜面と後方部の正面側での墳丘の状況を把握することができた。しかし、道路側と前方部正面は安全面からこれまでは未調査で、将来この対策を行った上で調査を実施し、古墳の全体規模を明らかにする必要がある。

また、古墳構築時に伴うと考えられる土器の出土はなく、古墳の年代決定は将来に持ち越された課題となった。近年、滋賀県の能登川町や新旭町で弥生時代終末にまで遡る可能性のある鍋塚古墳と同じ前方後方墳が確認されている。これらの古墳でも埴輸類は認められておらず、周辺より出土した土器から年代を推定している。これら古墳の発見により鍋塚古墳も弥生時代終末期(庄内式期)まで遡る可能性も残されていよう。

この鍋塚古墳の下側一帯は森古墳群が広がり、奈良大学教授水野正好氏の指導により測量調査が実施された。その結果、全長106mを測る前方後円墳の森1号墳を始め、その他小型の前方後円墳3基、円墳1基、その他古墳状の高まりが2箇所で確認されている。森古墳群の周辺では円筒埴輸や底部穿孔の二重口縁壷などの古墳に伴うものが表採されており、鍋塚古墳はそれらが全く出土していない調査結果と対照的である。

また、鍋塚古墳の周辺や森1号墳との間にも多数のマウンド状の高まりがあり、その他にも古墳が埋没している可能性が高い。これら高まりについても将来測量調査を実施し、古墳かどうかの確認作業が必要である。

鍋塚古墳


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