10/14、第5回の参加者は、5名。 午前9時10分、免除川、がらと川を目指して、いきいきランド交野ドーム噴水前をスタート。
春は、桜並木が素晴らしい免除川、元々は、機物神社の北側を流れ下っていた。しばしば洪水を起すので、被害をなくする為、川の付け替えを計画。倉治、私部、郡津領の田畑に新しく川を通した。その代わり年貢を免除したのでこの名がついた。室町時代のことだという。
昔の人々は、機物神社の鳥居が現在の倉治小学校の場所に建っており、南から本殿に向かって拝んでいたそうだ。本殿の西側にある「多羅葉」の木の葉には、七夕の頃に書かれた願い事であろう「家内安全」という文字が鮮やかに残っていた。
冬至の日に、機物神社の境内から交野山に重ね合わせて日の出が見られる。
気象条件さえ揃えば、冬至前後の数日間は、交野山の山頂に日輪が光り輝き、交野山が浮かび上がるように素晴らしい日の出が拝めるといわれる。
交野山は、何処から見ても良いですね。黄金色に色づいた稲穂の田圃を前面に従え、交野山はどっしりと座っている。ここを源として、免除川、がらと川が流れ、天野川に注いでいる。
府道久御山線に架かる橋が「荒神橋」で、下を「がらと川」が流れている。そこからすぐ左に見えるのが「外池」、橋を渡り右手に現在は、レストラン「フェスト」になっているが、ここに大きな「かご池」があった。
近くで良質の粘土が採集できず、はがね(粘土のフィルムで池の側面を覆うこと)が施されず、水位が増すと、かごに入れた水のようによく水が漏れたためにこの名がついたという。
フェストの北側、久御山線沿いにかご池跡石碑があり、「石つき唄」が彫られている。
「わしの若いときゃ 津田までかよた 倉治かご池で夜が明けた 面白ひょうたんや おおあげおおあげ」
この唄は昔、倉治の「若い衆」が晩、津田の女性の宅に遊びに行くことが楽しみやった。時間も遅くなって帰って、ここの堤に来たら交野山の頂きに朝日が上りかけていたという歌詞で、お嫁入りとか、新築祝いには、必ず出る祝歌である。
がらと川の名前は、普段は水がなく雨が降ると大水が出て、塵、あくたを流すので「がらと川」と言われる。奥野平次氏は、伽藍に通じた川、伽藍途川(がらんと川)だと書かれている。この川の上流、清水谷(しみったん)の扇状地にもとはただという村があって、奈良時代にできた津田寺という大寺があり、この川上にある大寺に通じた川だと言われる。いい名前だ。参加者全員、「伽藍途川はいいですね」と感嘆する。
帰りは、外池の南の道を西に行き、倉治の町にはいり、前回訪問した二月堂の石碑に対面。静かな町並みを楽しみながら倉治を離れた。 (ふるさと交野を歩く、ひろい話を参照)
平田会長の軽妙な説明に感動し、交野の古い歴史を肌で感じた、楽しい歴史ウォークでした。
次回(10/21)が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。
是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!
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