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16.機物神社(はたものじんじゃ)

交野市倉治1-1-7番地  (TEL 072-891-4418) (京阪交通・倉治バス停)
京阪バス交野営業所072-895-2233京阪バス時刻表ホームページ



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7月6日〜7日は七夕祭り
七夕の笹飾りや夜店が出て、沢山の子供たちで賑わいます。
年に一度の七夕伝説の夢を馳せましょう。


  ※7月6日(宵宮) 時間は夕刻から沢山の夜店が出て賑わいます。
 ※7月7日(本宮) 午後4時お神輿がでる
   午後7時〜 神事(式典) 短冊のおはらい、祈願
   午後 11時30分〜 天の川に流す

機物神社案内図

境内一杯の笹飾り 機物神社の本殿前
2013年 7月7日 七夕祭り 
 

「お」 織姫まつる機物神社機物神社のかるた
         「交野郷土史かるた」より
 機物神社
 もともと機織を業とした帰化漢民族の祖先をまつった宮ですが、平安時代になるとこのあたりは狩りを楽しんだり、詩歌(しいか)を詠じたりする宮人たちの行楽の地となり、陰陽道(おんようどう)なるものが入ってきて、祭神をたなばた神としてしまいました。

天田の宮や天の川の名もこの当時生まれたようです。
機物神社の鳥居

機物神社のある倉治(くらじ)

 今から約1600年ほど前、大陸から渡来した漢人庄員(しょういん)によって開かれた。その頃、すぐれた文化を持った大陸人は歓迎され、優遇された。
渡来人のうち、織物をその専業とするものは、倉治を中心とした津田・寺村の山麓にその土地を与えられた。

こうした渡来人集落のうち、機織(はたおり)を業とするところは、その生産物の需要が多く、村は次第に繁栄し、その一族はこの地方で大きな勢力となった。

白鳳元年(672)天智天皇の子・弘文天皇と天智の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が対立して戦った時、この山麓の機物(はたもの)の生産者たちは立ち上がり、大海人皇子に味方した。
その戦勝の後、皇子は天武天皇となり、倉治機物の首長に交野忌寸(かたのいみき)の姓を与えられ、この一族はいよいよ繁栄した。

大木の茂る参道 そして、聖武天皇の天平年間、現在の神宮寺の東南に開元寺を建立した。機物神社は、この地に始めて機織りの技術を伝えた漢人庄員を祭神としていたが、

平安時代になると、京都朝廷の人々が遊猟のために交野地方を訪れるものが多く、当時彼らの間で盛んだった天体崇拝思想や文学的趣味から、その祭神は転じて織女星すなわち棚機姫(たなばたひめ)となって、現在まで続いている。

平安時代の頃、 惟喬親王(これたかしんのう)のお供をして交野にきた在原 業平が、七夕姫に託した里姫との、一夜の契りを願った歌
  「狩りくらし 七夕(たなばた)つめに宿からん
           あまの河原に 我はきにけり」
 在原 業平が歌っている。




NHK TVで放映される2002.7/13(土)7:54〜8:05 
ウィークエンド関西
七夕伝説のまちを訪ねて
大阪・交野
七夕伝説のまち交野を訪ねて コサギなど野鳥で賑わう天野川 天野川に架かる逢合橋
織姫を祀る、機物神社
毎年、七夕祭りで賑わう
七夕の短冊を
飾る竹を切り出す
ボランティアの皆さんの
お力で50本の竹を
北斗七星が落ちた言われる
大岩がご神体の妙見宮
機織の町でもあった、交野市 色とりどりの短冊
今年こそは泳げるように
なりますようにと短冊を書く
沢山の短冊が飾られた
機物神社の七夕祭り
大切な方とお会いできますよう
にと短冊に記すレポーター


七夕みこし 七夕の笹飾り 七夕の笹飾り

機物神社 機物神社 笹飾り

逢合橋から見た「天の川」

機物神社は交野市倉治671番地にある。
(京阪交通・倉治バス停)
七夕伝説発祥の地
・天棚機比売大神(あまのたなばたひめ)を祀っている。
詳しくはここをクリックして下さい

機物神社の御祭神は天棚機比売大神(あまのたなばたひめ)、栲機千々比売大神(たくはたちぢひめ)、地代主大神(ことしろぬし)、八重事代主大神(やえことしろぬし)の四神である。

昭和54年から、七夕祭りが復活し、7月には、境内はササでいっぱいになり、願いを込めて書かれた短冊が飾られます。
七夕伝説発祥の地と言われるだけあって、ササの飾り付けは見事なものです。牽牛石
露店も沢山出て、昔ながらのムードにあふれた賑やかな夜になります。

中山観音寺跡案内図

この機物神社と天の川をはさんで対面の高台地に、彦星・牽牛を祭っていたといわれる中山観音寺跡(枚方市香里ケ丘4丁目観音山公園内)があり、牽牛石がある。


中山観音寺は、奈良時代の創建の密教寺院で南北朝期の戦乱により焼失した。付近には中山観音寺の盛時を示す三宝院、逢合橋(あいあいばし)奥の坊、阿舎利坊などの地名が残っている。

七夕には、この牽牛と倉治の機物神社の織姫が天の川の逢合橋でひとときの逢瀬を楽しんだと伝えられている。

銀河を見立てた天の川に架かる橋は、逢合(あいあい)橋(交野市私部西3丁目)という。枚方市に架かる鵲橋(かささぎばし)

下流には、天津橋や、七夕の夜、牽牛と織姫が逢う時、カササギが翼をならべて天の川を渡したと言う伝説の橋、カササギ橋が架かっている。

交野広報・交野市史・交野市制25周年記念誌を参照

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