[ホームページ] へ戻る



交野歴史健康ウォーク 第71回

石積みのある門前町・坂本を訪ねる

滋賀県・大津市坂本 徒歩 約3km

京阪枚方市駅8:00京阪三条→(浜大津乗換え)→京阪石坂線・坂本駅
生源寺→滋賀院門跡→芙蓉園→旧竹林院→昼食→慈眼堂・十三体仏→
坂本駅→京阪三条→枚方市駅14:30解散

 2005.7.9(土)午前8時、京阪枚方市駅京都方面ホームに集合。梅雨真っ只中、午後から雨模様の予報の中、定刻に10名の元気な顔が揃った。
 
 今回のウォークは、穴太衆積みで有名な「比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本の町」を訪ねた。当初の予定では、世界遺産・比叡山へ行く予定であったが、午後から雨の予報でもあり、坂本の町をゆっくりと散策することとなった。

 当日、参加された会員の北村さんの紹介で、「滋賀院門跡」では、堂々たる穴太衆積みの石垣や内仏殿、宸殿、書院、お成り門などの建物、小堀遠州の作と伝わる庭園および襖絵など沢山の貴重な美術品をじっくりと見学出来ました。
 また折から降りだした雨で困っていた昼食の場所も、いい所を見つけて頂きゆっくりと寛いで食事をすることが出来ましたこと、本当にお世話になりました。
北村さん、有難う御座いました。

 雨に煙る、石垣の町・坂本を満喫した散策でした。  

 
滋賀院門跡(しがいんもんぜき)通用門前にて
白壁と石垣をめぐらせた歴代天台座主の住居
天台宗総本山比叡山延暦寺直轄の門跡寺院で、「本坊」「総里坊」と呼ばれ、別名「滋賀院御殿」ともいわれる。1615年、御所より建物を移築したのがはじまり。江戸時代の狩野派の絵師「渡邉了慶」の襖絵小堀遠州作の庭園が有名。京都の北白川にあつた法勝寺を江戸時代初期に現在地に移し、のちに後水尾天皇から滋賀院の号を賜りました。
江戸時代末まで天台座主となった皇族代々の居所だったため、高い格式を誇つています。
坂本独特の穴太衆積みの中でもひときわ見事な石垣と白壁をめぐらした門前は、堂々とした構え。
約2万平方メートルの境内には、内仏殿・宸殿・書院・客殿・庫裏・土蔵などか立ち並び、宸殿の縁側から名庭といわれる庭園を鑑賞することかできます。
堂々たる穴太衆積みの滋賀院門跡の石垣と五本線の筑地塀の白壁
築地塀(ついぢべい塀に五本線が入っています。
これは、定規筋といい、御所、門跡寺院、高家の家の塀につけられた筋で五線が最上です。
 現在は京都御所、東西両本願寺門跡寺院の塀に見られるそうです。
【穴太衆積みの石垣】(あのうしゅうづみ)
坂本の街では、あちこちで風情のある美しい石垣を見ることができます。これは、かつて坂本の穴太に住んでいた石工集団が手掛けた「穴太衆積み」と呼ばれる独特のもので、なかでも滋賀院門跡の石垣が最も優れているといわれています。
 穴太衆積みの特色は、自然石を巧みに組み合わせ、いっさいの加工を施さず、小石を中に詰め込んで完成させていくというもので、高度な技術が必要とされました。歴史は古く、8世紀に比叡山の堂塔の石組みを手掛けたのを皮切りに、要望があれば集団で各地へ遠征。全国の城の石垣を造りました。現在残っている全国の城の約8割は穴太衆が手掛けたものです。

7/9 比叡山延暦寺の門前町・坂本散策は
どうぞ次ページをご覧下さい!

戻る