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坂 本 散 策

坂本は三塔十六谷、三千坊といわれる権勢をふるった比叡山延暦寺の台所を
預かる町として栄え琵琶湖に面した下坂本港が開け、都への交通の中継地と
なっていたため多くの物資が坂本へ集められ一大商業地として繁栄した。

坂本駅→生源寺→滋賀院門跡→芙蓉園→旧竹林院→
昼食→慈眼堂・十三体仏→鶴喜そば→坂本駅


比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本の町・散策MAP

京阪坂本駅 参道通り(右の門構えは生源寺)

生源寺 (大津市 坂本

生源寺(しょうげんじ)は伝教大師(最澄)御誕生地とされ、山門を入って右手に産湯を使ったとされる井戸があります。また生源寺は、西塔の総里坊格の寺。、
もとは伝教大師の父三津首浄足(みつのおびときよたり)公の邸宅跡で、神護景雲元年(七六七)八月十八日に幼名を広野と呼ばれた伝教大師がここで誕生されました(母は、藤原藤子妃)比叡山を開かれた後、両親に対する報恩のため、ここに寺を建てたという。
伝教大師(最澄上人)御誕生の絵
伝教大師(最澄上人)産湯の井戸

滋賀院門跡
天台宗総本山比叡山延暦寺直轄の門跡寺院で、「本坊」「総里坊」と呼ばれ、別名「滋賀院御殿」ともいわれる。1615年、御所より建物を移築したのがはじまり。江戸時代の狩野派の絵師「渡邉了慶」の襖絵小堀遠州作の庭園が有名。
 門跡とは本来一門を統括する寺院、または僧を指していたが時代が下るにつれて皇族や貴族らの子弟が仏門に入り、居住する寺院を指す。
現在、坂本の街には延暦寺の里坊が50ヵ寺もあります。
「里坊」とは山上の山坊に対する呼び方で、比叡山上での厳しい戒律修行を終え六十歳を過ぎた老僧が老後の閑静な生活を楽しむ住坊です。
小堀遠州作の庭園
蓬莱山形式を用い、左手に亀島 右手の滝に巨石で鶴石組を形造り、
正面を蓬莱山として 池中央には豪華な切り石で橋を架けて細長い池庭を引き締めている。
権現川の水を取り入れた清流が、音を立てて勢いよく流れ落ちています。
蓬莱山形式を用い、左手に亀島 池中央には豪華な切り石の橋
内仏殿
ご本尊は薬師如来、両脇に天台・伝教両大師を奉安、
日々不断に国家の安泰と国民の幸福を祈願している。
正面玄関上がり口の間
いろいろと詳しく案内下さった
蹴鞠の庭
不滅の法灯(ほうとう)
延暦寺の根本中堂に1200年以上も灯し続けられている不滅の法灯の一つ。油ザラに灯芯で灯していることから、いつも油を注さないと消えてしまうので「油断大敵」という諺はここから発祥した
梅の間  
一微塵
(いちみじん)とは
眼に見える最小の分子をいい、この世で眼に見える全てはこの微塵の集まりであり、物にとらわれない様にせよとの教えである
羅漢の間
一念三千”は心の動き、三千は三千世界で三千世界のあらゆることは、
心の動きに従って善くもなれば悪くもなる。
心をいつも正しく保つことが大切であるという教え。
比叡山上大書院の薩摩杉
(屋久杉の同物)の大扉
。千年杉
淡彩仙人の図(襖)
狩野派 渡辺了慶  江戸初期
天海大僧正着用の鎧兜
江戸初期の極めて高尚な鎧で
兜は僧風の特徴を現している
珍しい作品
大馨子(だいけいす) (ザル鐘ともいう
いつの間にかアメリカにわたっていたのを昭和52年米国カリフォルニア州オークランド市のドナルド・クレィア氏が延暦寺に返還寄進されたもの
長 棒 籠 香時計
香の燃える速度で時間を計る
天台宗の回峰行(かいほうぎょう)の御牘
百日(一日30キロ)千日を歩く行
大涅槃画像
 市川君啓 画 天明7年(1787)
里坊・老僧の間

芙 蓉 園
日吉大社の参道には、多くの国宝や文化財が残っている。
芙蓉園の庭園も造られたのは江戸初期。周囲を穴太衆積み石垣で造られた池泉回遊式。
芙蓉園で一休み、園内で食べたアイスクリームが美味しかった。
芙蓉園の穴太衆積みの風情のある石垣
洞穴と江戸時代初期の庭園
旧竹林院
旧竹林院は里坊の一つで、邸内には主屋の南西に約3,300uの庭園(国指定名勝)
が広がり、大正年間に建てられた2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。
八王子山を借景にした庭園は、地形を巧に利用しながら滝組と築山を配し、
大宮川の清流が園内をかけめぐり、たっぷり植えられた木々、
手入れの行き届いた苔が四季折々、しっとりとした風情をかもしだしています。
しばし沈思黙考、庭を眺めて良い時間を過ごしました

慈 眼 堂
延暦寺の復興に力を注ぎ 徳川家康・秀忠・家光三代の将軍に仕え、その最高顧問と言われた「慈眼大師南光坊天海大僧正」 を祀る廟所である。
正門から入ると、石畳の両側に美しい苔がしきつめられ、石灯籠の並ぶ奥に1644年に徳川三代将軍家光の命によって建立された廟所があります。
 堂にむかって左側には多くの石塔婆が並び、慈眼大使、後陽成天皇、後水尾天皇、徳川家康、紫式部、清少納言、新田義貞らの供養塔、そして、歴代天台座主の廟塔が並んでいます。石垣の上にはさらに13体の阿弥陀如来石仏像が並んでいます
13体の阿弥陀如来石仏像
紫式部(左)、和泉式部(右)の供養塔

創業300年の名物「鶴喜そば」本店
本店母屋(1887年建築)
平成9年5月23日 登録有形文化財指定
天台宗 比叡山 延暦寺は、昔より宮様が座主として御座りになられた関係で、京都御所より度々ご来賓が在りました。山上では、食べ物も非常に不自由でしたので、累代、我祖先が蕎麦調製の為山上に仕出して居りました。 又、比叡山で断食の行を終えた修行僧たちが、弱った胃を慣らす為に、蕎麦を食しました。

 坂本はかつて三塔十六谷、三千坊といわれた比叡山延暦寺の台所を預かる門前町として栄え、参詣の人々で賑わいました。享保初年に当代鶴屋喜八なる人が坂本の里に蕎麦営業の店を開設し、以来代々業務に従事致しております。其の間、実に二百八十年の古き歴史であります。


 雨が降り出したので急遽、旧竹林院で紹介された「陶茶房」でゆっくりと昼食を摂り、13体の阿弥陀如来石仏像が祀られている、慈眼堂を回り坂本駅へと帰途についた。

最後までご覧頂き有難う御座いました!

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