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地上から消えた平安京

 平安京は当時の最新技術を持って作り上げられた理想都市であった。
モデルにしたのは唐の国都、長安。規模は東西が約4.5km、南北が5.2kmであった。
平安京の表玄関は都の南側、九条大路に面して建つ羅城門である。間口七間、奥行き二間あり、屋根は瓦で葺かれ、朱色の柱、白い壁で構成された威風堂々とした二重楼閣であった。二階の部分には都を外的から守る神、兜跋毘沙門像が安置され、侵入者に睨みをきかせていた。羅城門想像図
 堀に架けられた唐橋を渡って羅城門をくぐると、道幅84mの大通りが真っ直ぐ北へ伸び、その先に優美な大内裏の正門、朱雀門を遥か彼方にみることができた。
 これが平安京のメインストリート、朱雀大路である。朱雀門に至る約3.8kmの大通りの左右は築地が築かれ、街の喧騒を遮断していた。路傍には柳の木が等間隔に植えられ、新緑の頃ともなれば、やわらかな風にゆらゆらと枝葉をゆだねていた。
 この堂々たる羅城門をはさんで、ちょうど両翼を広げたように建てられたのが平安京の二大寺院、東寺と西寺だった。

 両寺は左右対称の伽藍配置をとり、東西約250m、南北約550mの広大な敷地に、金堂、講堂、食堂、五重塔、そしていくつもの諸堂が建ち並んでいた。
 平安京には、この二寺しか存在しない。

 以来、1200年余りの時を経た今日、平安京の偉容なる姿を偲ばせるものはない。
                     (東寺の謎 三浦俊良氏著を参照)


  
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