第9回 京  遊  会 
2008年11月18日〜19日 
童謡の里・播磨の小京都
ふるさと龍野の集い

写真は、三木さん、岩下さんより投稿頂きました

 今回の京遊会は、田中・上田両君のお世話でふるさと龍野に相集い、童謡の里・赤とんぼ荘に一泊、母校龍野高等学校と龍野の史跡めぐりを楽しみました。
 参加者は8人。岩下利明(旧姓井伊)、菊谷寿六、寺田尚明、冨田邦良、三木俊作、村田義朗、(以上 龍野高校10回生)上田裕彦、田中旭(以上 龍野高校11回生)(敬称略)
  山田忠男の両君は所用のため残念ながら欠席。

  ※なお、写真の名前もすべて敬称略します。

本竜野駅


久しぶりに降り立った本竜野駅、童謡の里龍野のでっかい看板に驚き!


駅前からはコミュニティバス(赤とんぼ号)が縦横に走っています。



龍野は閑静な城下町 「播磨の小京都」と呼ばれています。
春の桜祭りや各種のイベント、観光旅行に全国から沢山の観光客が訪れています。
駅には、世話役の田中さんが迎えてきてくれた、感謝!

赤とんぼ荘

赤とんぼ荘のホームぺージヘ

赤とんぼ荘にて1年ぶりに皆さんと再会。
しっかりと手を握り合って互いの健康を確認し、再会できた喜びを分かち合った。
先ずは、今回の世話人の田中・上田さんの案内で母校龍野高校へ。
 
赤とんぼ荘玄関前 (左より) (写真は、翌日市内観光に出発前に撮影)
(後列)菊谷、冨田、三木 (前列)村田、田中、上田、三木、岩下さんの皆さん
我らが母校 龍野高等学校
 高校に着いたのは午後3時40分ごろ、丁度授業も終り、帰宅中の生徒たちが笑顔と元気な挨拶で我々を迎えてくれた。校内には部活に専念する沢山の生徒が残っており、我々の姿をみると必ず「こんにちは!」と、はっきりした声で挨拶してくれ、思わず笑みがこぼれ元気を貰うことができた。田中さんの説明によりと、全ての生徒がクラブに入り活動しているそうで、文武両道を実践、有名校を始め大学入学率も播磨随一だという。
 50年前の木造の校舎はすべて新築の建物に建て替えられ、自転車置き場も当時とは比較にならないほどきれいに整備され、真新しい自転車が綺麗に並んでいた。素晴らしい環境で勉学に励むことができる後輩たちが、ちょっぴり羨ましくもまた、頼もしく誇らしく思われ、爽やかな気分で母校を後にしました。

 ※記念撮影のシャッターを切ってくれた生徒の皆さん、本当に有難うございました!


50年ぶりに訪れた龍野高校
見事に甦ったシンボル・楠の前にて記念撮影
岩下、村田、菊谷、冨田、上田、三木、田中、寺田の皆さん


龍中第1回生が卒業記念に植樹された大楠
明治35年(1902)7月、夏休みで帰省した第1回生5人と教諭の7名が発起人となり
第1回同窓会を開催し、席上卒業記念に植樹することとなった。
翌36年1月、冬休みで帰省した卒業生が記念植樹した。
以来105年間、2度の学校火災にも類焼を免れ、
台風や大雪などの自然災害にも耐え
大木となって本館玄関前に生い茂っている。

創立110周年の記念式典で、石原校長は次のように挨拶されています。

 本校のシンボルである楠は平成182月に樹木医の指示を仰ぎ、大規模な養生工事をした結果、樹勢が見事に蘇りました。その勇姿を見るにつけ、脈々と続く龍野高校の歴史と伝統が今なお持続、生成され、不滅であることを感じずにはおれません。教職員、生徒一同、一丸となって本校の新たな歴史を作るべく鋭意努力する所存でありますので、今後とも本校発展のためにご理解とご協力をいただきますとともに、今まで以上のご指導ご鞭撻並びにご支援をたまわりますようお願い申し上げまして、式辞といたします。

      平成20118

                              兵庫県立龍野高等学校長 石原 元秀 


平成18年、卒業生など多くの方々のお力で楠は見事に甦った。


 本校は龍野中学校の質実剛健及び龍野高等女学校の去華就実の精神を受け継ぎ、
校訓を「向上、友愛、団結」とし、文武両道を校是として、卒業生
38,000余を擁し、
政界、財界、法曹界、文化・教育界等、世に有為なる人材を輩出してきたところです。
(石原校長の記念式典挨拶より)

 
校舎の壁に懐かしい校章が・・


今年 龍野高校は創立111年目を迎え、11月8日(土)
110周年記念式典が盛大に開催された。
 式典の写真集はこちら
8年前に新築なった体育館兼講堂


この講堂で、2004年龍野高校第2回オープンスクールが開かれ
原田明夫・元検事総長の講演があったのも記憶に新しい。
創立110周年を記念して寄贈された2点の絵画を見学


体育館玄関に飾られた「ヴェネツィア」を拝見



龍野高校 5回生 森川茂美さんの作品 「ヴェネツィア」

寄贈された経緯については、下記のメール紹介欄の山田忠男君のメールと
このたび森川画伯の絵画の寄贈に尽力されました小畑光様のメールを
ご覧ください。


「土の華」 龍野高校 8回生 井上 仁作

「土の華」が飾られた前の廊下で
柔道部・剣道部室


柔道部の先輩である岩下さんに案内され、柔道部室にもお邪魔した
10回生の在籍メンバーの名前を発見!
次いで、剣道部室にもお邪魔して、10回生の名前も確認
耐震強化された素晴らしい校舎


耐震強化された素晴らしい校舎が建ち並んでいた


50年前の自転車置き場とは格段の差が見られた

 
50年前卒業のころ、自衛隊の皆さんと整備した運動場である
奥のグランドで野球部が練習をしていた

裏山の紅葉も素晴らしかった!


50年前われ等の年代のころ整備された運動場にて
岩下、三木、上田、菊谷、冨田、田中、寺田、村田の皆さん


本館玄関口には数々の表彰・賞状が飾られていた
「数学・理科甲子園2007 優勝!」「放送部「ゆずりは賞」受賞」
平成20年度春季高校野球 西播地区大会 優勝!」など


何度も歌った懐かしい校歌!


玄関前で記念撮影
50年前の思いで
龍野高校60周年記念史、100周年記念史を参照


思い出の本館・校舎


昭和31年当時 龍野高校 全景
新運動場が完成!
昭和30年9月、高校裏の五月台山の切り崩し工事が始まったが
予想以上の難工事で中断、自衛隊の協力を求め、32年2月自衛隊と協定締結、
3月自衛隊によるブルドザー、グレーダーなどの作業により
5月初め、6,188坪のグランドが完成!


十数台のブルトーザによって山は
瞬く間に切り崩された


新運動場で、創立60年の仮装行列が
盛大に開催されました


人気の田中靜壱大将?!


昭和32年 完成した運動場に描かれた校章の人文字


 皆さん、憶えておられますか?
三木露風が、昭和30年(1955)、体育館(昭和28年に新築)で講演をしているのですよ。


 同級生の伊藤(岡村)峯生さんは、平成19年の新聞記事「ああ夫婦 ええ夫婦」に次のように書いています。

 岑生さんは幼い頃、ラジオから流れてくる童謡や唱歌が好きで、いつも□ずさんでいた。中学、高校では合唱部。
 在籍した兵庫県立龍野高校は「赤とんぼ」などを作詞した三木露風の母校で、晩年来校した露風の前で「赤とんぼ」を披露した。
赤とんぼ荘 宴会
年々、歳と共に酒の量は減ってきたようで、宴会も早々に第二次会は、
菊谷さんの部屋へ、また第3次会と部屋を変われどもそれぞれ話は尽きない。
参加の皆さん、それぞれの地元にしっかりと根を張り、
地域のために活躍されており、本当に頼もしく思いました。


赤とんぼ荘
母校を訪問後、午後6時より宴会となった。


永年、龍野の消防長として活躍されている
田中旭さんの御高説は沢山の示唆に富み頷けることが多い。


菊谷さん(右)も地元名古屋で、地域の里山を保全する
ボランティア活動に専念され、多くの方と元気に活躍されている


第二次会は、菊谷さんの部屋へ、また第3次会と部屋を
変われどもそれぞれ話は尽きない。


何やら二人はこっそりと話している


寺田さんのゴルフは精緻にしてスコアーは素晴らしいと
ST会のメンバー達は、持ち上げる!
何といっても、この歳で二日連続の優勝を成し遂げた!のだから。
早速、参加者からメールを頂戴しましたので紹介します

寺田 尚明さん
 遠路ご苦労様でした。又早速の数々の記念写真送付いただき有難うございました。 
京遊会も途切れることなく連続して11回、これも天国の安黒君が皆を繋いでいてくれる
のかも知れません。
 龍野の名所・旧跡は老大の郷土研究クラブで何度か訪ねておりますが、龍野高校は
久しぶりで、且つ新装なってからは初めてで、我々の時代との変化の大きさに、また
生徒達の礼儀正しさには驚きました。
 我々も大先輩として、何か彼らの範となるものを残したいものですが、もう遅すぎますかね!
 来年度は、貴兄にお世話になりますが、宜しくお願い致します。

冨田邦良さん
 ご遠方からの京遊会参加、ご苦労さんでした。寒波が入り込み寒い中でのふるさと
龍野ぶらり旅いかがでしたか。愛宕山千日参りのことよろしくおねがいします。


 11月22日、新宮歴史ウオ−クに家内と参加してきました。
好天気にめぐまれ、新宮宮内遺跡を出発点で牧の獅子舞、越部太鼓を見ながらスタ−トしました。総勢130名余り、埋蔵文化財センタ−で特別展「古代人の造形」を見て紅葉まつさかりの吉島古墳を見上げながら天満神社(特別拝観)させていただき、天神山1号墳に入り梅岳寺へ向かいました。
梅岳寺では中国から室町時代に輸入された無縫塔・千本ヒノキ・池田3代の墓・日本最後の仇討ちをはたした村上・池田の墓を見せて頂きました。その後南に下り延命地蔵で延命を願い旧街道新宮の町並みを通り池田家陣屋跡、新宮八幡神社に参りました。
 おりから樹医者からムクノキとケヤキの治療説明をしていただき参道を通り八幡神社に奉納されている池田家の資料等々を拝見し新宮藩池田家の謎がうつすらと見えてきたような気がしてきました。そのあと出発点の新宮宮内遺跡にもどり古代汁にぎりめしを頂きながら新宮の古代ロマンにひたつた一日でした。
   (たつの市教育委員会・新宮地区まちづくり推進委員会主催)


上田裕彦さん
 メール拝見しました。また、手紙も頂きました。
ご丁寧にいつものことながら、本当に有難うございました。十分なお世話もできずに、
申しわけありませんでした。
来年を、楽しみにして、元気でおられるように頑張りたいと思っております。
 今は、植木の手入れに励んでいます。お正月までに済ませたく、毎日頑張っています。
 寒くなってきますので、お体を大切にされますように。
 では、またの機会を楽しみに。

田中旭さん(電話を頂戴しました)
 先日はご苦労までした。また早速に写真を送ってもらい有難うございました。
また、次回宜しくお願いします。

三木俊作さん
先日はお疲れ様でした。地元におりながらも「龍野散策」をゆっくりと楽しむことはありませんでしたが
京遊会での企画に感謝しております。母校の見学で在校生の活躍のこと・・・我々の時代よりかなり
質も向上している様子に面映い気がしています。なかなか良い思い出になりました。

山田忠男さん
京遊会の楽しそうな写真を見て、参加できず大変、残念に思います。
実は、先月中旬、京都へ行く機会があり、その後、足を伸ばして相生、室津へ行きました。多少時間があったので、龍野へ行き、赤とんぼ荘と母校に寄ってきました。
森川画伯の画は去る5月、新国立美術館(六本木)で小畑先輩、坂田君等と鑑賞してきました。森川茂美画伯は5回生で太平洋画会に属しておられます。太平洋画会は明治時代に設立された、100年以上歴史を持つ由緒ある会です。
小畑 光(あきら)先輩(4回生)は大変ユニークな方で、在京の龍野高校出身者に声をかけて、毎月1回懇親会を開いておりますが、そこに10回生の有志も時間があれば、顔を出しています。
その小畑先輩が森川画伯の画が新国立美術館で展示されることを知り、懇親会に出ているメンバーに案内し、鑑賞してきた訳です。
去る6月、龍野高校関東支部総会(支部長原田君)が開かれた折、石原校長が来ておられ、小畑先輩が創立110周年記念にあたり森川画伯の絵画を龍野高校に寄せてはどうか、と提案されました。
校長が承諾され、寄付されることになったという経緯があります。
寄付にあたり、小畑先輩が新国立美術館に参会したメンバー(10名)に呼びかけ「森川茂美画伯を応援する会」を作りました。
10回生では坂田君に私です。
寄贈にあたって、中心的に動いたのは小畑先輩です。


2008.11.30 大先輩 小畑光様より
ご丁寧なメールを頂戴しましたので茲に紹介させて戴きます。

村田義朗様 ご無沙汰しております。 お元気ですね。メール戴き有難う御座いました。 母校にいかれた由 何よりでございました。綺麗になりましたから。
 
山田さんからも メール戴いておりました。森川画伯(五回生)とは JR神田駅近くの「こだわりや例会」(龍野高校OBまたは 地元小学校の卒業生も 巻き込んで)を 毎月第三金曜日(原則)に集まって 懇談会をしておりました。そこに 五回生の 森川画伯、中山さん、渡辺さん、沖さん等来られて 知り合いになりました。
 
今年、森川画伯の「ヴェネッツア」100号の 油絵が 第104回(5/14--26)という 伝統ある太平洋展に入選され この展覧会が 国立新美術館(六本木)でありました。この鑑賞に 今回 母校から 連名の感謝状を戴いた方々とまいりました。その後の 懇親会で 小生が 森川画伯に 「この絵を 母校に寄贈しては どうでしょうか?」とちかけましたところ、即座に 結構です」との即答を 戴きました。
 これに 感激して、翌月6月7日の 関東支部の
同窓会に 出席されていた 石原元秀校長さんに 「校長先生、母校からは 有名な哲学者、詩人、文学者 軍人等 多く育ちましたが、芸術家が 少ない。 これは 龍野には 美術館がないし、この方向へ教育が向いていないからではのいでしょうか? 先ず 学校に 絵を かざり そのような 環境をつくる。その意味で 今度 森川画伯の入選された100号の油絵を 母校に寄贈しようか?と思いますが、いかがでしょうか?」と 話を 持ちかけたところ 校長さんの 目の色が変りました。 それは 是非 受け入れしたい。との これまた即答を戴いたわけです。そのような 双方の 熱が 融合したことが 私は うれしく思いました。
 
龍野の町が 寂れてることを 行くたびに 感じますし、また よく聴くにつれ この年齢になって、これは
龍野中学、女学校、高校の卒業生の 責任ではないか??と 思うにいたりました。
もう少し 古里に 愛情を 捧げないと いけないのではないか。
いろいろな 意味で 今回 「森川画伯を 応援する会」が 結成されたことは よかった。
しっかりと 同窓会が 団結していると なれば 在校生も その 情熱が 伝わるはずです。
 
兵庫県灘高校卒 早稲田大学卒の フジTV ニュース キャスター 黒岩裕治氏の著書「マグネット国家論」で地域の活性化は その地方に 人を 引き付ける 「マグネット」が ないと いけないと 言っています。
その通りで 龍野に 先ず 美術館が なのは おかしい。
母校に 絵を 展示すれば 見たいなと 言う 人が必ずくる。 龍野には その 土壌がある。 母校には 三木露風とか 清とかが 置いていった 絵が 20点ばかり ある。
それを 母体にして いずれは 「龍野赤トンボ美術館」が 必ず出来ると 信じます。
この 龍野の土壌に 撒いた種は 必ず 育つと 思います。
 
今 龍野では 日飼の 堀家 住宅保存運動をしており、11/7(同窓会 前日)に 5回生の渡辺喜一さんと 一緒に 1900坪の 巨大な 住宅を 見てきました。 これは 民間住宅としては関西でも あまりないらしい。 11/8 の 龍野クラッシックゴルフ場の宴会場で 西田市長に(1年先輩)「市長 あの 堀家を 明日から 「龍野赤トンボ美術館」にしては どうか?と 爆弾を 投げ入れました。
市長 ビックリして「いやいや それは 待ってくれ いろいろ 先行しなければ ならないことも 多々あるから」と言っておりました。これも いま 署名を 集めており、私は この屋敷は 赤トンボ美術館に すれば大きな 龍野のマグネットに なるのではないかと 夢を 画いて おります。
龍野に 夢を!!  これが 人生に 大切なことでしょう。
 
以上が 私の 今までの 経過で 御座いますので、上記 ご参考の上 適当に ご採用くださればと思います。




      (左から) 石原校長、小畑光さん、森川茂美さん
          (創立110周年記念日にて)





山田忠男さん
10月中旬、同志社学生新聞局友会がありました。京田辺キャンパスを見学、局友会総会後、
山紫水明苑(頼山陽書斎跡)や法住寺(三十三間堂内)をみてきました。山紫水明苑は
河原町丸太町東、鴨川沿いにあります。法住寺では後白河法皇の法要に出て、
今様歌合わせや白拍子の舞いを見学しました。ご存じ「梁塵秘抄」は法皇のまとめたもの。
今様歌の節回しは、謡曲のようでもありお経のようでもあり、ユニークなものでした。
○錦秋や額(ぬか)を染めゆく白拍子
とは私の句です。この法要には、京都のある御仁(女性)に誘われ、三木君ご存じの
一粒寮の元寮生とも一緒でした。
小・中学の幼なじみ(堺在住)が相生へ行こうというので、京都から足を伸ばしました。
小学校、中学校や街の様子をみ、在住の同期生達と久方ぶりの懇談をしました。
原田君も同期ですから、彼の話が出たのはいうまでもありません。相生の万葉岬に泊。
○星空へのぼる漁り火夜長かな

室津へ出て、賀茂神社、法然上人、お夏清十郎などのいわれのところを歩きました。
室津から龍野へ、レンタカーを飛ばし赤とんぼ荘、龍野高校をみてきました。
龍野高校の校庭は工事中。新築なった体育館が見えましたが、中に入って森川画伯の
絵はみていません。

岩下利明さん(電話にて
京遊会の沢山の写真、CD、有難うございました。
京遊会の後、東京へ行ったり、地元の事業など立て込んでしまい、レポートを
纏めることができず、申し訳ありません、よろしくお願いします。

2008.12.2
岩下利明さん
今夕20:00頃帰宅、遅い夕食を終え一息ついてメールを開くと貴殿からの京遊会レポートが入信していました。ゆっくり時間をかけて感慨を新たにしながら読ませて頂きました。有難うございました。
 小畑先輩からの「龍野からは芸術家の育ち方が少ない」との指摘と、「堀家住宅(1,200坪)保存運動」を「赤とんぼ美術館設立」に繋げる構想には大変興味を覚えました。何ができるか分かりませんが、是非フォローしていきたいと思います。
 先日の京遊会で、「高校在学中に三木露風の講演を聞いたよなぁ」「いや、そんな記憶はないでぇ」とか、ちょっと議論が沸いたのですが、今回のレポートに「昭和30年に来校」との記載があり、「あぁー、やっぱり来てたんだなぁー」と感慨深いものがあります。昭和30年といえば、高校に入学した年であり、53年も前のこととです。私たちは、晩年の三木露風から直々の講演を聞いたという極めてラッキーな、そして貴重な世代ということになります。講演内容は全く覚えていませんが、着物に羽織り姿の小柄な方で、あまり鷹揚のない単調な話し方でした。ハイレベルな内容だったのでしょう、当時の私には理解し難く、「なんかようわからんかったなぁー」と友人と感想を話し合ったように思います。
 もう一つ。三木露風が講演会場(体育館)に入場される時、音楽部の女性が透き通るように綺麗な高い声で歌って迎えた歌が「ふるさとの」ではなかったでしょうか。初めて聞くその美しい旋律と抒情的な歌詞に青春の胸を大いに揺り動かされたのはこの時だったように思います。今でも、この歌を聞くと胸が熱くなります。

村田義朗さん
18日〜19日、京遊会のふるさと龍野探訪、いろいろとお世話になりました。
お陰様で、龍野高校卒業以来、私にとって初めての母校を始め、龍野の史跡めぐりは、
偉大な先達の業績などの再発見の機会となりました。
 芦谷さんがグループで寄贈されたという、「絵画」も拝見、立派に再生した楠、
われらが時代に造った「運動場」、満面の笑顔と明るい挨拶で迎えてくれた
沢山の生徒たち、改めてわが故郷は素晴らしいと感動の連続でした。 
お世話役の田中さん、上田さん、本当に有難うございました。
母校龍野高校の訪問、ふるさと「龍野」の史跡めぐりなど、どれをとっても印象深いものばかりでした。
また、皆さんがそれぞれの地元にしっかりと根を張り、地域のために活躍されており、
本当に頼もしく思いました。

来年11月には、滋賀県・近江八幡・安土・五個荘周辺の信長や近江商人の
発祥の地・史跡巡りなどを計画したいと思っています。
また、元気にお会いしましょう。
これから寒い日が続きそうです。どうぞお身体ご自愛ください。
二日目、龍野の市内史跡巡りは次ページへ