[ホームページ]へ戻る
目次 ⇔か行へ

交野郷土史かるた(あ行)

天田の宮
 
        天 
     田  田 
     の  の 
     神  宮 
     ま  は 
     つ    
     る 

私市天田の宮のあたりは土地が広く、水がよく行きわたり、稲作には申し分のない良田でした。
こうしたことから三世紀の終わりから四世紀にかけて、この土地の開発が進みました。その後肩野物部氏によって周辺一帯が掌握されていったのです。

伊丹一族

        伊 
     傍  丹 
     示  一 
     の  族 
     里    
     へ 

天正元年(1573)摂津伊丹城にいた伊丹一族は、その城を織田信長の兵に陥(おと)されたため、竜王山の後ろの傍示(ほうじ)の里に入り、ここに住みつきました。

梅ノ木

           梅 
           の 
       供  枝 
       え   
   放  て    
   生  八    
   会  幡    

磐船明神から500メートルばかり下ったところに「石清水八幡宮」と彫った石灯篭と梅ノ古木があります。
これは毎年秋、八幡宮放生会(ほうじょうえ)行列に奉仕する私市の御前払(みさきばらい)神人(じにん)が笏(しゃく)と共にこの梅の枝を持って、道を払いつつ、行列をするという由緒ある梅の木です。

烏帽子名

        烏 
      官 帽 
      途 子 
    え 名 名 
    ぼ 記 と 
    し し    
    ぎ た    
    帳 

倉治にある古記録十数冊のえぼしぎ帳は全国でもその数が少ないと言われ、まことに珍しいものです。
昔、15歳で元服をすると、幼名をやめて烏帽子名(えぼしな)をお宮につけてもらいました。また武家の間では朝廷から官名をもらいましたが、後に百姓町人でも男であれば元服時にこのような名づけをするようになりました。
これを官途名(かんどな)といっています。

織姫

        織 
        姫 
     機  ま 
     物  つ 
     神  る 
     社 

倉治の機物(はたもの)神社は、祭神に「天棚機比売大神(あめのたなばたひめのおおかみ)」「栲機千々比売大神(たくはたちぢひめのおおかみ)」を主神としてまつった宮です。七夕祭りには境内のあたらこちらに竹笹がたてられ願い事を書いた色とりどりの短冊が飾られます。

目次 ⇔か行へ