<第150回>  令和7年11月定例勉強会
「古代のかたの」
講師: 橋本 高明氏(交野市地域振興部文化観光課)
青年の家・学びの館 午前10時~12時
 43名(会員35名)の参加
 2025年11月8日(土)午前10時、11月の定例勉強会に43名(内会員35名)の大勢の方々が「古代のかたの」を楽しみに参加されました。
 巽会長より「星田神社の佐々木宮司さんのご講演(星田神社と妙見宮のこと)と茄子作遺跡現地説明会などの紹介」の挨拶に続き、盛岡事業部長より、本日の講師、橋本高明先生の経歴の紹介があり、講演「古代のかたの」が始まりました。


 「古代のかたの」 本日の古代は、概ね飛鳥時代から奈良時代、平安時代前期まで、7世紀から9世紀頃までのお話。交野町史を執筆された郷土史家「片山長三氏」が描かれた「古代のかたの」=「白鳳盛春之交野条里田」」を検証。特に、①長宝寺跡 ②東高野街道 ③交野郡衙跡 ④天野川条理について、パワーポイントで資料・画像を映写しながら「古代のかたの」を詳細に語っていただきました。

 「古代のかたの」の現状と課題

①長宝寺跡  
      白鳳期の軒瓦が出土することから、古代寺院の存在は認められるが、
      寺院に関係する遺構は検出されていない。さらに詳細な発掘調査が必要。

東高野街道 
      東高野街道から分岐して南下する私部街道が、長宝寺跡の西側に接して
      存在することは、両街道とも長宝寺付近では7世紀まで遡ることも考えられる。
 
〇 交野郡衙跡 
       片山氏が描いた郡津地区での「交野郡衙」は発掘調査成果からみても確認
     できない。私部南遺跡が、検出された整然と並ぶ建物群や束帯や硯などの
     公的施設(役所)関連の出土品から奈良時代の交野郡衙の可能性が高い。

〇 天野川条里 
     古代における条里制は認められない。

     現在の天野川と貝原益軒が見た天野川の違い。
     近世から近代における天野川の築堤との氾濫原の開発。


 ※今回の講演のテーマが手違いにより急遽「古代のかたの」に変更になりましたこと、ご了承ください。

<講演概要> 「古代のかたの」   
 1.はじめに  2.片山長三とは  3.片山長三作「白鳳盛春之交野条里田」
 4.片山長三氏が描いた「古代のかたの」の検証
   〇長宝寺跡 〇東高野街道 〇交野郡衙跡 〇天野川条理
 5.「古代の交野」の現状と課題
 
 ※ 当日の講演に配布されたレジメ「古代の交野」を掲載しております。

 ※ 講師:橋本 高明先生のプロフィル
      昭和56年に大阪府教育委員会文化財保護課に入庁
      (文化財専門職員 考古学技師として採用される)
   *入庁後10数年は、埋蔵文化財調査の担当として開発事業に伴う
      埋蔵文化財の発掘調査に従事する。
   *その後は、大阪府内における大阪府の各部局や国土交通省等の
      実施する開発事業と発掘調査の調整業務に従事する。
   *晩年は、大阪府教育庁文化財保護課調査事業グループのグループ長
      として大阪府内で実施される各発掘調査の指導を行なった。
   ◎大阪府を定年退職後、令和元年から交野市において文化財専門職員
    として採用される。現在で7年目。

 ※今回、講師の先生のご厚意により当日配布された「レジメ」
    「古代のかたの」の資料を頂戴しましたこと、記して感謝申し上げます。

 ※ 写真は、竹澤利直さんより、提供頂きました。  


講師 : 橋本高明先生


巽会長の挨拶


司会は、盛岡部長
 
 
 
 


「古代のかたの」レジメ
講師 : 橋本 高明氏(交野市地域振興部文化観光課)
「古代のかたの」レジメ(PDF)
 
 
 
 
 
 
 
 


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