| <第153回> 令和8年3月定例勉強会 京都遊びを愉しむための豆知識 ~よく知らない話や不思議な話~ 講師 : 吉岡 一秋氏(交野古文化同好会) 青年の家・学びの館 午前10時~12時 41名(会員38名)の参加 |
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| 2026年3月21日(土)午前10時、3月定例勉強会に41名(内会員38名)の方々が参加されました。 盛岡事業部長の司会で始まり、巽会長より「本日の京都関連の勉強会を楽しみにしていました、又毎回本日の講師吉岡さん(古文化同好会)の勉強会、ウオークを楽しみに参加している皆さん、楽しんで帰ってください」との挨拶の後、 吉岡さんから「京都遊びを楽しむための豆知識」をテーマに、 1,神社仏閣 2,身も蓋もない話 3,気をつけなければならない話 4,食 5,京のお地蔵さん 6,その他、 京都のこと、知っているようで知らないこと、いろいろと2時間にわたり、身振り手振りよろしくたっぷりとお話し頂きました。 そして最後に、これこそが京都ということで、東山と鴨川がマッッチングした絶景「山紫水明処」(頼山陽山紫水明処)を紹介されました。 (事前に往復はがきでの予約が必要です、NETで確認してください、大正11年に史跡名勝天然紀念物保存法により史跡に指定されています。) 国定史跡「頼山陽書斎山紫水明處」 (コクテイシセキ「ライサンヨウショサイサンシスイメイショ) 所在地 〒602-0865 京都府京都市上京区東三本木通丸太町上ル南町 交通アクセス (1)◆市バス「河原町丸太町」下車 ◆京阪本線「神宮丸太町」駅下車、徒歩5分 その他情報 料金/時間/休業日:12月中旬~3月中旬、8月、2週間前までに往復ハガキによる予約が必要〒605-0063京都市東山区新門前松原町289頼山陽旧跡保存会宛 営業時間:10時~16時 料金/営業時間/休業日:一般 700円団体(20名以上) 500円 その他、2週間前までに往復ハガキによる予約が必要 〒605-0063京都市東山区新門前松原町289頼山陽旧跡保存会宛 ![]() 講師の吉岡さんは、794年の平安京遷都から1869年の東京奠都(てん都)まで、日本の政治、文化の中心として1000年以上にわたり栄えた、京都の神社仏閣等に足を運び行事、裏話など細かく調査しまとめておられます。 <参加された方のお話> 次回の歴史健康ウオーク「新緑の洛北をめぐる」を楽しみにしている2人組は、 「身も蓋もない話のおちが面白かった。次回は京都の隠れた魅力ある所を 案内して頂ける事を楽しみにしております」と大好評でした。 ※今回、講師の先生のご厚意により当日配布された「レジメ」及び追加資料を 頂戴しましたこと、記して感謝申し上げます。 ※ 当日のレポートと写真は、竹澤さんより投稿いただきました。 |
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![]() 講師 : 吉岡 一秋氏(交野古文化同好会) |
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![]() 巽 会長 |
森岡部長 |
| 巽会長の挨拶と森岡部長より交野古文化同好会の 新しいベストと携帯マイクの紹介 |
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| 京都遊びを愉しむための豆知識 ~よく知らない話や不思議な話~ 講師 : 吉岡 一秋氏(交野古文化同好会) |
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| 当日頂戴しましたレジメやお話を振り返りながら、 画像などを挿入して、下記のように纏めました。 どうぞ、ごゆっくりと愉しみながらお読みください! |
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三方を山に囲まれた京都。 箱庭のようなこれ以上広がりようのない街に、かれこれ1200年以上も前から、いろんな人たちや文化がひしめきあっている。 古いものと新しいものとが、混じり合い、伝統と進化が混在する街は、訪れる多くの人々を魅了する。やっぱり京都はおもしろい。 そんな京都も、知っているようで知らない事ばかり。少し知るだけで、景色が変わる。 京都遊びを愉しむためにも、少しの知識で景色を変えてみては。 (1)寺院について ①歴史 平安時代を通じて京中には、国営寺院である東寺、西寺以外に寺院の建立は認められなかった。但し、町堂的なものなどは黙認されていた。 鎌倉時代、特に室町時代に入ってからは、時宗、浄土宗、一向宗(浄土真宗)、禅宗、法華宗などの新仏教が京中に拠点をつくり始めた。 ②「永観堂」のように「堂」がつく寺は殆どが通称名。 ・真如堂(真正極楽寺) ・六角堂(頂法寺) ・革堂(行願寺) ・三十三間堂(蓮華王院) ・千本ゑんま堂(引接寺) ・千本釈迦堂(大報恩寺) ・嵯峨釈迦堂(清凉寺)など ![]() 近年の医学の発展は目覚ましいものがある。 しかし、医学が発展していない昔の人たちは寝たきりにはなりたくなかつた。 人はだれしも中風(脳卒中)なりたくない。 そこで人々は、中風のまじないとして 〇安楽寺のかぼちゃ供養 拝観料一人大人 1000円 7月25日 「夏の土用のころに鹿ヶ谷かぼちゃを振る舞えば中風にならない」という霊験を得て、鹿ヶ谷かぼちゃを仏前に供えて供養したのがその始まり。 ![]() 〇千本釈迦堂の大根炊き 料金1000円 12月7~8日 「大根炊き」は鎌倉時代、釈迦が悟りを開いた12月8日に、住職が法要でお供えした大根を魔除けとして参拝所にふるまったのが始まりとされ中風除けや諸病よけのご利益があると。 了徳寺の大根焚きは、12月9~10日 ![]() 〇五智山蓮華寺のきゅうり封じ 祈祷料1000円 7月21~22日 きゅうりに姓名、年令等を書き込み御祈祷してもらい、体の悪い部分を撫で、それを土に埋めるか川に流すと病気を持ち去ってくれるといわれている。 ・七不思議(忘れ傘、抜け雀、白木の棺、三方正面真向きの猫等)。 ![]() 三方正面真向きの猫 しかし番外が 〇知恩院七不思議の番外 葺き残しの瓦 御影堂の大棟の中央には4枚(左右2枚ずつ)の瓦が置かれている。建立当時、あえて残したと言われるこの瓦は「葺き残しの瓦」と呼ばれている。満ちた月がやがて欠けるように、栄華を極めたものは必ず衰退するという故事「満つれば欠くる世の習い」にちなみ、わざと未完成な部分を残すことで、この先も完成に向けて発展し続けるということを表しています。知恩院が発展途上にあることを表している。 ![]() ・三門 一般的に「山門」とは、お寺や神社などの入り口の門を指す。昔の寺院は山の中に建てられることが多かったため、「山門」と呼ばれるようになった。 一方「三門」はお寺の門の中でも特に位の高い、特別な門を指す。特に禅宗寺院では、仏道修行における悟りの境地に至るための三つの関門を表す。 ・二条城陥落時の代わり 巨大な三門は城郭の大手門のようで、二階からは京都御所を正面に一望出来ることから、御所を見守る目的があったと言われている。 知恩院の地の背後には華頂山があり、難攻不落の城として機能する立地でもある。 かつては城郭などの廊下には、侵入者を防ぐため、鶯張りの廊下のような音がする床を張ったが、知恩院には鶯張りの廊下が方丈の廊下に施されている。 これは普通寺院の廊下に用いられることはないので大変珍しい。 ![]() 知恩院 御影堂 国宝 知恩院 三門 国宝 国宝が2塔、(東寺、醍醐寺) 重文が2塔。(仁和寺、法観寺) ![]() ![]() ※京都府内にはもう1塔の国宝の五重塔が。 〇木津川市加茂町の海住山寺(かいじゅうせんじ)の五重塔は国宝 所在地 : 京都市相楽郡加茂町 高さ : 17.7メートル 建築年 : 鎌倉前期 1214年 ![]() ⑥金閣、銀閣とくれば・・・ ・銅閣(大雲院) 大雲院は浄土宗系の単立寺院で、「祇園閣」とも呼ばれている。 京都の「銅閣(どうかく)」は、東山区の祇園にある大雲院(だいうんいん)の境内に立つ「祇園閣」 の通称です。金閣・銀閣に次ぐ存在として1928年に大倉喜八郎が建てた、銅板葺きの3階建ての塔で、 祇園祭の鉾を模したデザインが特徴の国登録有形文化財です。 ![]() ⑦平安時代貴族の山荘・別荘がお寺に変身。 平安時代の宇治(宇治川沿い)は、風光明媚で貴族たちが多く集まった場所である。 ・宇治平等院 → 藤原道長の別荘 1052年、藤原頼道が父道長の別荘「宇治殿」を寺にしたのが始まり。 ・日野法界寺 → 日野資業(すけなり)の山荘 1051年、日野資業がこの地にあった日野家の山荘を寺に改めた。 4代目の日野有範と吉光女との間に生まれたのが後の親鸞聖人である。 「日野誕生院」 1月14日の「裸おどり」 身に着けた下帯を妊婦の腹帯に使用すれば安産。 日野裸踊は京都市登録無形文化財に指定されています。 日野裸踊りは約200年前の江戸時代から始まったと伝わります。ここ日野は農家が多く、 村のお祭りとして親しまれてきました。地元では、踊りに用いられた下帯を妊婦の腹帯にする と安産になると伝えられ、今も厚い信仰を集めています。 地元日野でまもられてきた、後世にも伝えたい伝統行事です。 ![]() ・狐は祭神か 「稲荷」とは本来五穀をつかさどる神である。即ち「農業の神」であり、穀物を食べる野ネズミを狐が 食べてくれるので、狐を穀物の守り神と考え、そこから結びついた説が有力。 6月10日には「田植祭」が行られる。 ・なぜ「お稲荷さん」は朱色か 朱色は、魔力に対する色ともされ、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いる。 伏見稲荷大社においては、稲荷大神様のお力の豊穣をあらわす色とのこと。 ただお稲荷さんだけが朱塗りではなく、他の神社にも多くある。また、朱の 原材料は水銀=丹で、昔から木材の防腐剤として使われてきた。 ・伏見人形のお店は「丹嘉(たんか)」一軒だけ。江戸後期には60軒もの窯元。 ※「伏見人形面ばかり」 伏見人形は江戸時代後期に最盛期を迎えた最も古い郷土玩具です。 全国で90種類以上もある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものは ないと言われるほどの土人形の元祖であり、民俗的な美しさを誇っています。 当時、伏見街道沿いには、約60軒もの窯元が軒を連ねたが、 現在では寛延年間(1750年頃)創業の当窯元、丹嘉(たんか)のみ。 ![]() 伏見稲荷の鳥居 伏見人形 ②狛犬ならぬ他の生き物の神社を紹介。 ・「狛猪」 → 護王神社 ・「狛兎」 → 岡崎神社 ・「狛龍」 → 伏見神寶(ふしみかんだから)神社 ・「狛鳩」 → 三宅八幡神社 ・「狛鼠」 → 大豊神社 ![]() 「狛猪」 → 護王神社 「狛猪」は「こまいのしし」と読みます。 京都の護王神社などに鎮座する、狛犬(こまいぬ)の代わりに猪が置かれた像のことです。 和気清麻呂を助けたイノシシの伝承に由来し、足腰の守護神として親しまれています。 ・御髪(みかみ)神社 日本で唯一「髪」をお守りする神社。元々理容関係の人々が信仰していたが、 いつの間にか薄毛の人も多数お参りするようになったとの事。 ・御金(みかね)神社 金色の鳥居など黄金色に飾られた神社で、お金を祭る神社として、資産運用や証券取引等の成功を 願ったり、競馬競輪などでの勝利や、宝くじ等の当選を願う絵馬が大量に奉納されている。 ①南禅寺の三門から石川五右衛門は「絶景かな」と言った? ・五右衛門は実在人物。でも・・・ 現在の三門は寛永5年(1628年)藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示している。また、歌舞伎「楼門(さんもん)五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名。 石川五右衛門は、安土桃山時代に出没した怪盗。都市部を中心に荒らしまわり、時の為政者である豊臣秀吉の手勢に捕えられ、文禄3年(1594年)京都三条河原で一子と共に処刑された。 ※南禅寺の三門が再建されたときには、既に五右衛門は処刑されていた。 ②牛若丸と弁慶が出会ったのは五条大橋? ・現在の五条大橋は豊臣秀吉が方広寺建立に伴うもの。では・・・ 牛若丸は後の源義経で、1189年6月15日、平泉で31歳で没。 五条大橋は、天正18年(1590年)、方広寺大仏殿(京の大仏)の造営に当たって、豊臣秀吉の命により三条大橋とともに増田長盛を奉行として石柱の橋に改修された[1]。この時方広寺大仏への参詣の便を図るため、五条大橋は南へ移設された。移設前は平安京の五条大路の東の端、現在の松原橋の位置に架橋されていた。なお牛若丸と弁慶は五条大橋で出会ったとされるが、この逸話が正しいとした場合、出会った場所は現在の松原橋ということになる。 ![]() ①「あんた御室の桜やなあ」と言われたら。 樹高が低く、花を低い位置につけるので、「彼女、御室の桜やなぁ」と言われたら「花、鼻が低い」という事を意味する。また、”お多福桜”という別称もあります。 つまり、花が低いということだけではなく、暗に「彼女、お多福やな」とも言われていることになる。 ②「オコシヤス」と「オイデヤス」の使い分け。 店の主人はの使い分け。「オコシヤス」は約束や心待ちにしている客に、「オイデヤス」は不意の客や一見の客に使う。 ゆえに「オイデヤス」と言われれば長居はできないと客は悟らなければならない。 ①京都の家庭料理「おばんざい」とは。 漢字を当てはめると「お番采」と書く。番という字は、番茶、番傘などに使われるように、粗末なものに冠するときに使う。また、おばんざいには決められた日に食べるものがあったとのこと。朔日には「にしんこんぶ」15日の「いもぼう」、月末には「おから」など。 ![]() ②京都オンリーのスペシャル丼・衣笠丼 甘辛く炊いた油揚げと九条葱を卵で綴じ、ご飯に乗せた丼である。京都発祥のご当地丼と呼ばれるが、中身は大阪などで食されているきつね丼と同じであり、厳密には京都固有の呼び名である。 衣笠は鹿苑寺に臨む標高201mの山。衣笠山には、真夏に雪景色を所望し、山に白絹を掛けて雪に見立てたという宇多天皇の伝承に因んで"きぬかけ山"とも呼ばれている。この"きぬかけ山"にちなんで、丼に盛った姿をそれに見立て、衣笠丼の名が付いた。 ![]() ③「すし」もその土地によって字も違ってくる ・鮨、鮓、寿司とあるが、京都では 鮨は江戸前のにぎりずし。 鮓は、ネタを酢につける関西特に大阪。 寿司は、京都では昔御所に献上していたことから、この様な当て字を使う。 ※これについては、地域で異なるという諸説あり。 ④京都は和菓子屋が多い。 京都は各宗派の総本山がひしめく「お寺の街」。それぞれの寺院には信仰の対象としての仏像や絵画だけでなく、禅や茶の思想による各庭も多く訪れる人々を魅了する。そして寺にはお茶がつきもの。訪れた人々をお茶でもてなすには美味しいお菓子が欠かせないのである。 寺社ゆかりの菓子 ・下鴨神社の加茂みたらし団子 ・上賀茂神社の神馬堂の焼き餅 ・北野天満宮の長五郎餅 ・御霊神社の唐板 ・今宮神社のあぶり餅 ・伏見稲荷神社のきつね煎餅 ・石清水八植宮の走り餅など ![]() 京の町を歩いてみると路地や街角の裏に祀られたお地蔵さんの姿を多く見ることができる。 京都市内には約5000体のお地蔵さんがあると言われている。その姿は実に様々。 地蔵菩薩は、魑魅魍魎がうごめく地獄に落ちた人々の苦しみを、代わりに受け救ってくれる。 さらに子供たちを守る仏としても知られている。 子供を守り町を守ってくれる、京の古い歴史と共に長く愛された一番身近な仏様である。 京都の子供の躾は「お地蔵さんが見たるよって、悪いことしたらあかんで~」 地蔵菩薩の縁日24日に行われる行事。 地蔵盆が近づくと、町内の人々が地蔵の像を祠から出し、「お化粧」を行い、新調した前垂れを着せ、 綺麗に飾った祭壇に祭って町の子供たちの一年の無事を祈願する。 お地蔵さんの周りで遊びながら、先祖に感謝する古都京都の子供たちの夏 の風物詩。 「数珠回し」「畚(ふご)下ろし」等。 畚おろしは、景品を吊るし降ろす福引の方法。 ・福引の際、家の2階から畚に景品を入れて地上に吊るし降ろす。 ・参加者は番号札を畚に入れて引き上げ、景品が戻ってくるのを楽しみに待つ。 ・子供たちは何が当たるかわからないドキドキ感を味わえる。 ※「畚おろし」の畚とは、もっこ、縄やわらで編んだ土や農産物を運ぶかご。 地蔵盆当日の朝などに百万遍念仏の一種である「数珠回し(数珠繰り)」を行う。これは町内の子供(大人も参加する場合がある)が直径2〜3メートル(大きいものでは直径5メートル)の大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順々に回すというものである。 ![]() 地蔵盆 復活された畚おろし ○目疾地蔵 (仲源寺) 元来「雨止み地蔵」。鎌倉時代に京に大水害が発生。この地蔵に祈願した結果止んだとのこと。 ○油懸地蔵 (西岸寺) ○ぬりこべ地蔵 ○釘抜地蔵 (石像寺) ○六地蔵 (大善寺) 元々六体の地蔵があったためこの地名が付いた。平安時代後期、京に疫病などが流行したため時の後白河天皇が平清盛に命じ一体を残し、五体を京に入ってくる街道に安置し京を守ろうとした。 京都では、夏も終わりに近づいた8月22日、23日の両日、都の出入り口(街道沿い)六ヶ所に祀られた地蔵菩薩を巡拝して、家内安全、無病息災、家運繁栄を祈願する「六地蔵巡り」がある。これは、800年もの京の伝統行事。 六つの地蔵尊は 1.奈良街道-大善寺-伏見六地蔵 2.西国街道-浄禅寺-鳥羽地蔵 3.丹波街道-地蔵寺-桂地蔵 4.周山街道-源光寺-常盤地蔵 5.若狭街道-上善寺-鞍馬口地蔵 6.東海道 -徳林庵-山科地蔵 ![]() ![]() ①水引について ・京都では法事に使用の水引は黄白。昭和30年代までは白黒の水引は全く販売されていなかった。 ・白黒の水引は京都では祝い事に使用する。 〇昭和30年代の日本の文化と水引 昭和30年代は、戦後の復興を遂げ、経済成長が始まった時代。 この頃の祝い事では現在と異なる習慣があった。 〇白黒水引の使われ方。 弔事だけではなく、一部の祝い事でも白黒の水引が使われることがあった。 白黒と言えば縁起が悪いと感じるが、実は縁起の悪い色ではない。 実際皇室や一部の神社での採点のときには、白黒の鯨幕が使われる。白黒は最高位の格式高い白である。 お葬式は最高位の格式で行う儀式で、縁起が悪いと言ったら失礼になる。 因みにお見舞いの金封を見ればわかるように、紅白もめでたい色とは限らない。 ②振り売り 姉さんかぶりに紺の半てん、手甲、もんぺ、白足袋というスタイルで、大八車に朝採れの野菜を 積んで、「野菜どうどすえ、おいしおすえ」と馴染の家に声をかけて売り歩く。 ③難読地名 ・不明門通(あけずどおり) 因幡薬師堂平等寺の正面がこの通りに面していたが、常に閉ざされていたことから、通り名に。 ・一口(いもあらい) 巨椋池西岸の地名。中世には「芋洗」と記した。古老の話によると、この付近は三方が沼地で、 入口が一方しかなかつたことから、「一口」になったと。 ・雲母坂(きららざか) 修学院から比叡山延暦寺の根本中堂に至る山道。この坂道は夕雲か覆い、都から見ると雲が 生じるようなので「雲母坂」と呼ばれたと。 ・直違橋(すじかいばし) 直違とは斜めに交差することをいう。伏見街道に対し「七瀬川」が東北から南北に流れていたため、 橋が斜めにかけられたことによる。 ・納所(のうそ) 西国より京都へ運ばれる物資の荷揚げ場として、の「淀津」があった。 「納所」はこの淀津に運ばれた年貢や物資を保管する倉庫が設置されていた。 ④京の代名詞と言えば 京を代表するものは寺社をはじめ伝統芸能や祭りなど数多くあるが、代名詞は二つ。 山紫水明 鴨川と東山連峰(三十六峰) 「山紫水明」は、山が日に映えて紫色に見え、川は清らかで澄んでいる自然の美しい景色を表す言葉。この言葉は、江戸時代後期の漢詩人である頼山陽(らいさんよう、1780-1832)によって造られた。特に、頼山陽が京都の鴨川西岸にある「山紫水明処」と名付けた書斎から見た、夕暮れ時に紫色に染まる東山と清らかな鴨川の情景を指していた。 ![]() |
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