平成24年  6月定例勉強会

交野古文化同好会結成40周年
「石鏃」とともに
 

  講師: 平田 政信氏 (古文化同好会 副会長)

青年の家 202号 午前10時〜12時
 31名の参加
 2012.6.23(土)午前10時より、6月定例勉強会に31名の方々が参加されました。参加された方の内訳は会員26名に加えて、「会報かたの」催しページなどを見られて参加された方が5名であった。

 高尾副部長の司会で始まり、中会長の挨拶の後、平田政信氏が「交野古文化同好会結成40周年・石鏃とともに」について、冒頭、《そのとき交野(歴史)は動いた》と題し、昭和22年の登呂遺跡の発掘、戦後の日本人を勇気づけ夢と希望を与えた遺跡の話から始まり、古文化同好会の約60年の活動経過などを2時間たっぷり貴重な写真、映像を上映されながら、お話し頂きました。

 昭和26年の倉治古墳群の発掘により8基の古墳を発見。片山長三、奥野平次、櫻井敬夫、西尾宏氏らによって調査が進められた。ここが「交野のあけぼの」であり、昭和28年交野考古学会が発足しました。
 その後、岩倉開元寺多宝塔礎石を発見、同時期、神宮寺縄文遺跡より押型文土器多数を出土、神宮寺式土器と命名。ついで寺南山弥生住居跡、清水谷古墳、妙見山古墳発掘と次から次へと大きな成果を挙げて行きました。
 そして昭和47年初代会長に奥野平次氏を選出、交野古文化同好会が発足し、その後の40年間の古文化同好会の活動を沢山の写真・資料を基に明快にお話しいただき、あっという間に2時間が経過しました。今回の講演は、平田政信氏が手作りされた「交野のあけぼの」を基調にお話し頂きました。

 特に、石鏃第1号に掲載されている、奥野平次会長の第1回総会での挨拶・経過報告(決意)を紹介され、それをすべて成し遂げられた結果、現在の古文化同好会の活動に繋がっていると、お話しされたことに感銘を受けました。

 奥野平次さんは明治45年6月15日に生まれられ、今年生誕100年を迎えられた6月15日に、平田政信氏は、「伯父さん、いろいろと有難うございました」と、手作りの記録写真集「交野のあけぼの」を墓前にお供えになった。

 HPの掲載に当たり、講師のご厚意で当日配布されたレジメや貴重な資料などを提供頂きましたこと、記して感謝申し上げます。
昭和47年 交野古文化同好会 第1回設立総会 
奥野平次会長の挨拶と経過報告
≪総会≫
日時=昭和47年5月20日 午後1時から
場所=福祉会館  会員=23名出席  講演=映画:北河内風物誌


≪はじめに≫会長 奥野平次
 神宮寺という処は旧北河内の古文化の宝庫だとほめていただく。
南から北に流れた天の川と南と東から抱きかかえるように延びた生駒山脈と後山脈、西に香里台地をひかえ、枚方で天の川が合流しているたたずまい、川は人を育て歴史を重ねて行くという言葉そのままの姿が交野市だ。交野市から出土した遺物を守り、建設途上の土の中からの文化の跡を見失わないようにまた、大切な文化財を守り抜いてくれる次の人づくり、そのために学習を続けようとするグループづくりを長い間、私の心の中で宿題となっていた。昭和47年5月20日発足した。この心をよい市づくりに生かしたい。また、グループの中の交わりは新しい人と旧い人とのよりよい人間関係に成長させたい。将来交野市に博物館も作りたい。こんな願いで発足したのが交野市古文化同好会である。


≪経過報告≫ 奥野平次
・交野には大切な遺物があります。中でも神宮寺式土器が考古学会の先生方の中で、縄文草期の土器編年解決の糸口として鍵をにぎっていることが注目されている。このような学問的に価値ある遺物が現在交野小学校に保管してもらっているが、管理の点が不充分である。
・道標、野仏等も盗難にかかる心配がある。最近、私市の大松の道標は立派な座を作ってもらった。
・寺々の仏像等も事故が起こっても正しく報告すら出来ない状況である。
・古墳等も知らない中に破壊されているし、宅地造成で玄室の石が免除川の土手で放置されている。
・想い出の植物がある。旧岩舟街道に「はぜの木」が15本残っている。江戸時代戦いともなればと心して植えられたのがこの並木だ。片山先生が健康な「交野が原」の面影は此処だけだと言われた処だけにこの並木は残したい。
・古文書の散逸を防ぎたい。古い家が新しい家に変わると何もかも新しく変わる。古い文書は是非残したい。
・民具等も残したい。交野でないとない様な民具、例えば「糸くり機」「機織機」等は残したい。
・交野にはおもいもしない場所に遺物、遺跡がうまっている。
・岩船小学校の南側に宝田という向井先生の田がある。道路の建設中、弥生時代(約2000年前)の土器片が出土している。
・創価学園の整地中、非常に古い瓦片を採集した。付近に徳泉寺が埋まっている。
・岩倉開元寺(交野山山頂付近)の東側、ゴルフ場の中に立派な岩倉が見える。西尾氏らと小さな瓦片を採集した。
・交野町史に書き加えたい。星田新池の新設工事中、ボッテの谷とナスビ石の谷の中央に出来た尾根の端から和同開珎(708年)が出た。片山先生の発見された縄文旭遺跡や、この付近が九里垣内という古い星田の村跡でしよう。
・大門清造さんの「古い水差し」
・交野は瓦の産地であったこと。
・小中学校の生徒に副読本を作ってやってほしい。
・兵隊さん(戦死者)のことを詳しく書き残してやりたい。  
 これで私の心配を訴えた。皆様とともに立派な足跡を残したい。
このことを具体的に、例えば遺物の整理、スライド作成、史標建立等、よく幹事会で打ち合せ、これらの歩みを印刷して報告します。
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勉強会 風景


平田政信氏 (古文化同好会 副会長)
当日配布されたレジメ
最後までご覧頂き有難うございます!


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