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瓦版 12月号 バックナンバー | ||||
9 | 12/31 | 「お地蔵さんが教えてくれた郡門(こうど)から郡津(こうづ)」 | ||
8 | 12/29 | 「菩薩さん」・・・敢えて悟りを開かず、如来の衆生救済の手伝いに奔走 | ||
7 | 12/28 | 回顧 2007年 文化財 今年の主な発掘 | ||
6 | 12/27 | 何らかの理由で移座された仏たち かさんど池の阿弥陀様 | ||
5 | 12/26 | 何らかの理由で移座された仏たち 愛染律寺の地蔵菩薩像その2 | ||
4 | 12/25 | 何らかの理由で移座された仏たち 愛染律寺の地蔵菩薩像その1 | ||
3 | 12/22 | 2007年読者(読売新聞)選んだ海外10大ニュース | ||
2 | 12/21 | 冬至(とうじ) ゆず湯・カボチャ | ||
1 | 12/20 | 2007年読者(読売新聞)選んだ10大ニュース |
2007.12.31 発行 「お地蔵さんが教えてくれた郡門(こうど)から郡津」 大字 郡津(こうづ)と読む。こうづの起こりは「交野町史」に村の名は郡衛(役所)の門の前からおこったので郡門村(こうどむら)である。「こう」は郡、「ど」は門の意味である。ところがいつのまにか「ど」→「づ」に変化して「こうづ」とよばれるようになって、本来の地名の意味がわからなくなってしまったが、漢字では郡門村と記していた。 しかし、江戸時代の末、文化元年(1804)大坂町奉行の命によってこうづの発音どおり「郡津」と改めたと書いてあったが・・・。 実際には文献等でも見たことがなかった(私だけ?)が「郡門」(こうど)を偶然に探しあてた。何度か石仏調査で訪れていた極楽寺境内にあった。 2007.12.29 発行 「菩薩さん」・・・敢えて悟りを開かず、如来の衆生救済の手伝いに奔走 菩薩はの略で、菩薩は「悟り」、は「衆生(すべての人々)」を表し、悟りを求める衆生という意味である。 仏教徒になったものはすべて悟りを求めて修行するのであるが、弥勒菩薩や文殊菩薩などはすべての修行を終えて、如来と同じ悟りを開く段階に達している。しかし、敢えて悟りを開かずに、俗界に留まり如来の衆生救済の手伝いをすることを決意したのだという。 菩薩像は釈迦が出家する前の王子時代の姿をモデルにしているため、冠を被ってさまざまな装身具を身に着けている。これは、菩薩がわれわれの住む俗界に留まっていることを表しているのです。菩薩にはさまざまな種類があるが、弥勒菩薩は釈迦が亡くなった後、56億7千万年後にわれわれが住む娑婆世界に下りて来て悟りを開き、釈迦の救いから漏れた人々を救うといわれている。今は兜率天(とそつてん)という天界で頬のところに右手をかざして、将来どうやって衆生を救うかを考えておられるという。 兜率天の一日は地上の四千日に相当し、弥勒菩薩は四千歳の寿命を終えて地上で悟りを開く。つまり、四千日×三百六十五日×四千歳=五十六億七千万年になる。 というと、すぐに電卓を持ち出し計算する人がおられますが・・・答えは出ない。 四千日に相当する、ということと五十六億七千万年は567の語呂合わせだ。 当市で、弥勒さんにお会いしたいなら神宮寺の「石仏の道」、第一の石仏が弥勒菩薩さんである。全高180a・仏高88aの二重円相光背の坐像で、どこかで見かけた人の良さそうなオジサンみたいな仏さんである。 2007.12.28 発行 2007.12.27 発行 2007.12.26 発行 2007.12.25 発行 2007.12.22発行 2007.12.21 発行 2007.12.20 発行 2007年読者(読売新聞)選んだ10大ニュースを |
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読売新聞 12月20日号を参照しました。 |