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高野山/真言宗 獅子窟寺(ししくつじ)
交野市私市2387番地 / TEL 072-891-6693

ちちんぷいぷいの山雑誌!の雑誌の取材で
交野歴史健康ウォークで獅子窟寺を訪ねた

国宝の薬師如来は獅子窟寺
「交野郷土史かるた」より
正月〜三日まで、国宝・薬師如来は自由拝観できます!


国宝・薬師如来坐像
亀山上皇の病重く、この薬師仏に祈願したところ、効あって平癒した
(昭和43年3月16日に国宝に指定) 北河内の文化財一覧より参照

獅子窟寺本堂 金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)・獅子窟(ししくつ)獅子窟の女の岩 獅子窟寺参道
獅子窟寺本堂 獅子窟岩 参道

獅子窟寺本堂

京阪電車・私市駅、河内森駅、またはJR河内磐船駅よりそれぞれ徒歩約40分。
普賢山獅子窟寺といい、真言宗高野山派に属する。
獅子窟寺の頂上からの眺望は素晴らしく、大阪市街、大阪城、遠くは淡路島、 明石海峡大橋を望み、眼下に淀川河岸から三島連山、六甲山をながめることが出来る。

開基は役小角(えんのおづぬ)と伝えられ、本尊薬師如来座像は 弘仁期(平安時代、西暦900年頃)のものとされ国宝である。
この尊像は行基菩薩が一刀三礼のもとに三年と三ヶ月を費やして刻まれた像で、授乳の霊験が著しいと伝えられている。榧の木(かやのき)の一本刻りで高さ92cm、相貌の眉、切目、口唇的に漂う特徴と衣文の鋭い翻波様式は平安の初期の代表作である。

奈良時代、聖武天皇(45代)の勅願を受けた僧行基が堂塔を建て、金剛般若窟と 云った。 のちに、平安時代空海もこの山で修法され、境内にある井戸は水の不便を考え、 掘られたもので枯水したことがないと伝えられる。
亀山上皇はこの薬師仏に病気平癒を祈られ、全快した喜びに 荒廃した寺を立派に再建された。
嘉元3年(1305年)上皇崩御の時、その徳をしのんで 王の墓が建てられた。

元和元年(1615年)大阪の役、獅子窟衆徒は大坂方に加勢すべく 命じられたが、従わず、兵火のため全山焼失した。
昔は、全山12院(吉祥院、松宝院、薬師院、華蔵院、愛染院、溪月院、井上院、杉本院、文殊院、日光院、普賢院、西院)があった。

中興光影和尚によって再建されたが、往時の10分の1にも及ばなかった。
百重原(ももえがはら)の地名が示す地形の美しさと 国宝薬師仏がこの寺の良さを表している。

獅子窟寺薬師仏は事前に予約をすれば拝観できます。
TEL 072-891-6693

先日、御仏様をお祈りした時、国宝薬師如来御真言は「オン・コロコロセンダリマ、トウギ・ソハカ」ですと教わった。

クリック → You Tubeで獅子窟寺の薬師如来をご覧ください
 
紅葉の季節の獅子窟寺境内



アビラウンケンの梵字碑

獅子窟寺の本堂の北の石段を上がって、まっすぐ行くと、獅子窟の南側の支え石に突き当たる。
その石の右寄りで、大岩に寄り添うように自然石に刻まれた梵字碑が建っている。
この碑は、胎蔵界大日如来の真言「アビラウンケン」を蓮華座の上に表わしたもので、永禄6年(1563)3月12日に一結衆が逆修供養(死んで極楽に行けるように、生前仏事を修め冥福を祈ること)の為建立したことが一結衆11名の名が刻まれている。
この梵字は、宇宙を現している。我々は、宇宙の中で生を受けている。
その宇宙そのものが大日如来である。つまり、大日如来の力で生きさせてもらっているのである。
その大日如来の真言が「アビラウンケン」であるという。
(木下蜜運仏教大学講師)

弘法大師空海が開いた真言密教の本尊である大日如来、その大日の真言が真言宗高野山派に属する 獅子窟寺にあることは、永禄の頃のこの獅子窟寺が果たしていた役割がうかがえて興味深い。

「金石文としても貴い」(平尾兵吾「北河内史蹟史話)ものである。


獅子窟の男の石

獅子窟寺の山は全山花崗岩質の山である。梵字の碑の大岩を上にあがると、東から西側に突き出した巨石はまさしく男の石である。つけ根から先まで四メートル五十センチである。


この下から西側に降りると、金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)・獅子窟(ししくつ)である。 獅子の口に似たとして獅子窟(ししくつと言われ、現在の寺号が出来たと伝えられている。
この岩にこもって、弘法大師が修行された。


金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)・獅子窟(ししくつ)獅子窟の女の岩 獅子窟の奥にある、弘法大師の石造

嵯峨天皇(弘仁年間 810〜824年)のころ、弘法大師が交野地方に来られた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れて落ちたと言われている。
八丁三所に星が降った

この岩の奥には、弘法大師の小さな石像があり、昔の伝説がよみがえる思いがします。


国宝獅子窟寺薬師仏 案内図 薬師堂
獅子窟寺薬師仏
獅子窟寺の御本尊で国宝。
その鋭い彫法に弘仁期の様式を見せながら、 おだやかな面相、流麗な衣文に藤原期の様式をただよわせた、両時代過渡期の作である
獅子窟寺の案内図

  獅子窟寺への上り口に掲示されている
薬師堂
獅子窟寺薬師仏は事前に予約をすれば拝観できる
TEL 072-891-6693
安産地蔵

安産地蔵

獅子窟寺の参道の中ほどの山側に室町時代の作と思われる丈52センチの首なし地蔵がおられる。私市の老婦人たちは、この地蔵を「安産地蔵」と呼んでいる。
昔、臨月になると、妊婦がここまで上がってきて、「元気な子どもを産まして下さいますように。子どもが出きたら、いいお乳(母乳)が出ますように」と祈ったという。明治のはじめ排仏毀釈の運動が起こった時、この石仏の上部を飛ばしたのではないかといわれている。

弘法大師の水 地蔵堂 天福岩
弘法大師の水
誰が言うともなしに、この谷(男石と女石)から出る水を弘法大師の水と言われてきた。
地蔵尊
西国三十三観音の三十三番札所の谷汲山華厳寺が祀られている
天福岩
この岩を抱えて願いを唱えると叶うといわれる
王の墓

獅子窟寺への山道を登って行くと寺の約150M手前、少し開けた所に仁王門跡の石組みがあり、左へ山道を下り、六体地蔵の前を抜けると、湾曲に突き出した所に、亀山上皇と皇后の供養塔・王の墓が重厚なたたずまいを見せている。

王の墓

この付近は、見晴らしの良い所から百重が原と呼ばれ、亀山院の分骨陵とか、後亀山天皇陵などと言われていた。辺りには古木が多く、かって王の墓の上のシイの大木の枝を切り落とそうとしたところ、「キイキイ」と泣き、木に触れただけで腹痛を起こしたといういわれがある。
昼なお暗い木立の中にたたずむと、中世の栄華がしのばれる。


梵文光明真言刻銘瓦質土器
(ぼんもんこうみょうしんごんこくめいがしつどき)
(室町時代)
出土地  獅子窟寺(裏山)
       交野市私市

器高16.9cm、口径21.0cmの瓦質土器。器の表面には、細かい錐状の工具で浄土変真言や光明真言等の有り難いお経が、2行1単位で21回も書かれています。もとは土砂加持かじの際に使用される容器と考えられますが、後に蔵骨器に転用された可能性の高い土器です。平成12年、交野市指定文化財に指定された。
公開日 水曜から日曜 午前10時から午後5時(入室は4時30分)
      交野市立歴史民俗資料室に展示してあります。
梵文光明真言刻銘瓦質土器
ちちんぷいぷい!の雑誌の取材で
交野歴史健康ウォークで獅子窟寺を訪ねた

交野広報・交野市史・寺の掲示を参照

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