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交野古文化同好会40周年記念
交野歴史健康ウォーク  121回
ふるさと交野を歩く パートU
交野ドーム〜第二京阪国道〜免除川〜
機物神社〜ニ平川の洗濯場〜環濠水路〜
四軒垣内〜村中迷路〜交野市歴史民俗資料室見学



案内人:平田 政信氏(交野古文化同好会副会長)

交野歴史健康ウォーク始まって以来、47名の多くの方々に参加頂きました!
古文化同好会結成40周年の始まりであり、これからが古文化同好会の正念場です。
 日時 : 2012年6月9日(土) 午前10時 交野ドーム集合  参加者 47名

 行程 : 交野ドーム〜第二京阪国道〜免除川〜機物神社〜ニ平川の洗濯場〜環濠水路〜
       四軒垣内〜村中迷路〜交野市歴史民俗資料室見学
     12時解散
 2012年6/9(土)、天候 曇り。交野ドーム(いきいきランド)に集合、午前10時出発。
黒田事業部長の司会で始まり、中会長からは古文化同好会40周年記念行事に沢山の方々に参加頂き盛大に開催されたことに対し謝意が述べられました。本日の案内人平田副会長からは、先ず交野三山のことなどを楽しくお話し頂き元気な声を合図に、いきいきランドを出発して交野ドーム〜第二京阪国道〜免除川〜機物神社〜ニ平川の洗濯場〜環濠水路〜四軒垣内〜村中迷路〜交野市歴史民俗資料室見学まで、周辺の史跡・遺跡の解説を聞きながらゆっくりと歩いてきました。
 当日の参加者は「広報かたの」や「40周年事業計画などの案内」を事前に見られた方を含めて、総勢47名(会員34名)の元気な皆さんでした。

 前日は夕方より雨で当日の空模様が気がかりでしたが、朝から天候が回復してまずまずのウォーク日和となりました。
 沢山の参加者の皆さんから一様に参加して良かったと感動の声を頂きました。
交野の町の歴史、倉治のことなどが少しでも分かった様に思います。平田さんのお話はとてもお上手で、地名や史跡について大変興味深く聞かせて頂き、足元の普段あまり気に掛けないものにも色々な歴史があることが分かりました。今日は本当に楽しい一日でした、と言われたことが印象に残りました。


当日のウォークマップ


交野三山を背景に元気に集合写真
中会長からは古文化同好会40周年記念行事に沢山の方々に参加頂き
盛大に開催されたことに対し謝意が述べられました。

平田副会長からは、先ず交野三山のことなどを楽しくお話し頂きました
平田副会長からは、先ず交野三山のことなどを楽しくお話し頂き元気な声を合図に、
いきいきランドを出発して交野ドーム〜第二京阪国道〜倉治へと向かった。

第二京阪国道沿いを歩く、前方は交野山


第二京阪国道の大きな額縁の交野三山


デイサービス「あおやま」、手前の建物が増設され8月にオープンの予定です。
いよいよ、7月2日、交野警察署オープン!
大阪府警察では、現在の枚方警察署管内を分割し、府下65番目の警察署の開設に向け、本年4月に「交野警察署開設準備室」を設置しました。
開設準備室では、交野警察署の開設に当たっての人員・装備・システム等の整備、関係機関・団体等との連携、各種広報活動の実施など、様々な活動を行い、スムーズな開設に向けて全力で取り組んでいます。


交野警察署の位置や管轄区域

1 新警察署の位置
    交野市倉治一丁目40番1号  電話 072−891−1234
2 管轄区域
    交野市の全域、枚方市の東部
3 管轄境界線
   国道1号から府道枚方交野寝屋川線を経て、枚方市と交野市の行政境界線を結ぶ線


(大阪府警HPを参照)


新築された交野警察署


免除川の堤防の上から倉治方面を見下ろしながら説明を受けました。
 府道久御山線に架かる橋が「荒神橋」で、下を「がらと川」が流れている。そこからすぐ左に見えるのが「外池」、橋を渡り右手に現在は、関西スーパーになっているが(その前はレストラン「フェスト」になっていた)が、ここに大きな「かご池」があった。
 近くで良質の粘土が採集できず、はがね(粘土のフィルムで池の側面を覆うこと)が施されず、水位が増すと、かごに入れた水のようによく水が漏れたためにこの名がついたという。
関西スーパーの北側、久御山線沿いにかご池跡石碑があり、「石つき唄」が彫られている。
 「わしの若いときゃ 津田までかよた 倉治かご池で夜が明けた 面白ひょうたんや おおあげおおあげ」
 この唄は昔、倉治の「若い衆」が晩、津田の女性の宅に遊びに行くことが楽しみやった。時間も遅くなって帰って、ここの堤に来たら交野山の頂きに朝日が上りかけていたという歌詞で、お嫁入りとか、新築祝いには、必ず出る祝歌であったそうです。
地名・倉治とは?

<広報かたの6月号・地名に歴史ありを参照>
 倉治の名前の由来には、さまざまな説があります。「クラ」は岩や断崖、または倉庫や山の鞍部を指します。崖の下の扇状地に村があることや、蔵が立ち並ぶ地であったことから倉治とついたとも言われています。
 倉治では古墳時代後期の古墳群や山中に造られた寺院跡などが発見されており、また集落は現在でも江戸時代の古い町並みの面影を濃く残し、複雑に入り組む道は迷路のようです。


当日のウォークマップ
 府道久御山線に出て、倉治小学校の西で、浜の池地蔵(バイパス地蔵)にお参りする。交野山を背に良いお顔をしておられる。機物神社の前の信号を西に渡り、山根街道を少し西へ進み最初の辻を右へ曲がり、北へ行ったところに「二平川の洗場」
 ここの四辻に立って見える風景はいい。小川が流れ、石垣に板壁、白壁の家と昔懐かしい家並みである。少し歩くと、へっついさん(台所)の煙出しを備えた大屋根の家、茅葺の家、どっしりとした門構えなど、素晴らしい家々が並ぶ。

 「光明院」付近の四辻からは、前が見通せない。昔、ここに泥棒が入ったが、村から出るに出られず捕まったとか。
 時代を感じさせる、交野教育会館(交野市歴史民俗資料展示室)の玄関前で、開元寺の礎石に触れる。天平時代のものだという。いつまでも大事にしたいものだ。
 奈良の大仏建立に関わる歴史を今に伝えると言う、どう前大仏坂付近で、いろいろと歴史ロマンを教えて頂いた。
地名・東浦 旧倉治の集落一帯を東浦と呼びます。「浦」という字には畑という意味があります。「浦」は表裏の「裏」の意味も持っており、集落の東の裏手にある畑を指しています。
 他にも、この地名からは倉治が防衛機能を備えた環濠集落であった可能性が考えられます。環濠集落には「浦」「代」「口」のつく地名が多くみられ、倉治にも東浦を中心に「北代」「西口」などの地名が残されています。集落は北にがらと川、南は中川に挟まれており、中を通る道は狭く、カギの手に折れ曲がっていて、防衛に配慮した造りになっています。
《浜の池地蔵<バイパス地蔵>とも言います。
 機物神社の西南で、府道交野久御山線と交野中央線が交差する。そこからバイパス沿いに南へ50m行くと路肩より一段低い東側に、仏高30cmの阿弥陀さま(浜の池地蔵)がおられる。石自体は小さいが顔はよく残されており素朴で力強い。背後には倉治小学校、さらには交野山の頂きが見える。久御山バイパスの交通安全と子供たちを見守って下さる有り難い仏様である。


バイパス地蔵さん
《機物神社》
 昔は、東も西も入り口が閉ざされていて、南の入り口で拝礼していたようで今のご神殿には近寄れなかった。また、機物神社の西の鳥居の入り口から源氏の滝の付近までの道の両側と、機物神社の神殿から南(現在の倉治小学校の南)にあった鳥居までの両側は、松の並木道であったという。
 機物神社は、大和の三輪山と同じで交野山の山と巨岩を拝む古い形式で、鳥居の中央にぴたりと交野山の巨岩がおさまり、その方角はたつみ(東南)の線上にあり大変おめでたいと書かれている。


機物神社の中軸線に交野山の巨石を仰ぎ見ることができるのか?
A:以前は見ることが出来た。今は参道の両脇の木が生い茂り見えなくなった。

もともとは社殿もなく、交野山を御神体とする拝殿だけの神社であったのでしょう。
また、鳥居の延長線上、源氏の滝入口の東裾に「糸吉神社」がある。
今は拝殿だけでお稲荷さんがまつられているが、由来はほとんど分からない。
しかし、糸吉というからには「七夕姫」と関係があるのでは。機物神社と関係が・・・?
(平田政信さんのよもやまQ&Aより)


村中の旧宅の屋根に「水」印が

今は子供の遊び場になっているが、昔は郷倉(ごぐら)があったところ。

「昔、中の郷倉付近に泥棒がはいったので、近くの青年たちが追い回したところ、
ついに捕まった。泥棒の言うのには、『道がわかりにくくて残念だった』という。
《二平川の洗場
 機物神社の北側の道を東から西へ、久御山線の信号を越し直ぐに20mばかり北へ進み、小川が流れる小路を西へ行くと、石橋があり、その東側に「二平川の洗場」がある。この洗場の西側にある家の屋号が「二平」といい、流れる小川が二平川という。
 「この洗場は、村の人々の語らいの場であり、コミュニケーションの場であった。家で親夫婦、年寄りが昼寝をしている間にそっと洗濯にくるのが二平川の洗場だった」と平田副会長は説明された。

ここにも、小さな洗い場がありました!

大屋根に「水」印
《倉治の迷路・光明院付近
 
光明院
の境内には、沢山の石仏が祀られている。交野にたくさんある石仏の中でも美しい阿弥陀様の坐像がある。室町時代の作だという。
 平田副会長より、以前に光明院の宮参りのお話を伺ったことがある。
 『男は28日目、女は30日目に宮参りした。拝殿で神主の祝詞を頂いてから、ご神殿のぐるりを男は左、女は右から3回廻った。また、赤子が散髪が嫌いにならないように「金(けい)」を頭にかぶせてもらった。

 交野の古い村々の中で、倉治の光明院付近の道が特に分かりにくい。
 古い道は、T字型に結ばれていて、遠見遮断(辻から辻が曲がっていて見えない)になっているうえ、くねりが細かい道かと思って飛び込んだら家で閉ざされた袋小路であったりする。

 倉治の集落は、北のがらと川と南の倉治中川とに囲まれて密集した形態をしており、環濠集落ではないかという。道路も狭く、カギの手にいくつも分かれた防御的配慮がなされている。村から出る道は、北は津田道、春日道、西は郡津道、南は私部道、東は機物神社への参道である。(交野市史より)
《倉治の迷路・光明院付近》 光明院
少し北進して立派な土塀の見える辻にでる。こ兵衛さんの屋敷の土塀である。
 倉治の子守唄 
『こんや来るなら 高い塀をこして 千両椿をおらんように』 
歌詞の意味は少し複雑に聞こえるが、なんとなく哀愁を覚える。
倉治の静かな町並み

板塀や白壁の昔を偲ばせる建物があちこちに建っており、
道路は遠見遮断で一度通っても、同じ道を通るのは難しい。


国の登録有形文化財の交野市立教育文化会館
交野市立歴史民俗資料展示室(交野市立教育文化会館)
所在地 交野市倉治6丁目9番21号 電話(072)810−6667
交通機関 JR学研都市線「津田駅」下車 徒歩10分
京阪バス京阪交野市駅行き、 南倉治下車1分、又は香里園行き大仏町下車徒歩5分
開室日時 毎月水曜日〜日曜日 10時〜17時。ただし入室は16時30分まで。

       
  教育文化会館・・・交野無尽(近畿大阪銀行の前身)の昭和初期の建物

          
 昭和4年(1929)に建てられる
        昭和17年 交野町へ庁舎として寄贈される
        昭和45年(1970) 庁舎移動に伴い、交野市立教育文化会館
                   と改名し文化的な活動施設として利用される
        昭和16年(2004) 交野市歴史民俗資料展示室を開設する
        昭和19年(2007) 国・登録有形文化財に登録される


   

  金澤泰治・加地高貞・新庄武治郎・奥西源五郎と共に交野金融合資会社を大正三年八月に金沢泰治氏(当時27歳)の邸内に創立。同十二年一月株式組織に改め交野無盡金融株式会社と称し、金澤氏が取締役社長に推され、昭和十五年三月大阪産業無盡を合併し又府下枢要の地に八支店を設置し、一意庶民金融の使命達成に邁進す。
 創業以来、総契約高実に1億6千2百余萬円に社礎愈々強固内容益々充実今や全国無盡業界屈指の地位を占むるに至る。蓋し社長が30年に亘り終始一貫天賦の才略と不屈の信念とを以って日夜経営し而も徹底せる大家族主義に依り明朗、親和、渾然一体の活動を為せしに因る。
  今や時局下社長自ら率先府下優良四社と謀りて合併を敢行し光栄ある当社は茲に発展的解散を遂ぐ、乃ち、社長の発意に依り昭和17年11月3日、明治の佳節とし本店土地建物全部を其の発祥の地交野町に、金品を各種公共団体に寄付す、願う所は地方自治の向上と発展と銃後・士気の鼓舞に在り以て天業翼賛の微衷を表するのみ。解散に当り其沿革を略記す。  (南の端の碑文より)

                                創業者・金沢泰治氏の銅像 ↑



交野無尽 創業者・金沢泰治氏の銅像 ↑
《大仏坂・どうの前》
 倉治の教育文化会館前の道を南にとるとすぐ四辻に出る。下を倉治中川が流れている。この角を「どう前」と呼んでいる。ここを過ぎて、なお南へ行くと信号のついた四辻に出る。ここに京阪バスの「大仏町」のバス停がある。この交差点を南へ渡るとだらだらと下り坂になっている。この下り坂を「大仏坂」と呼んでいる。
 この地は、奈良の大仏建立に関わる歴史を伝えているのではないかと、故奥野平次氏は「ふるさと交野を歩く・ひろい話」の中で次のように書かれている。
 大仏様の大体の形が出来て、鋳型に銅を流し込もうとしたが、どうも上手くいかない。東大寺では困って、宇佐八幡宮の付近にいる技術者(渡来人)に来てもらった。その技術者のターミナルとなった所が、枚方市、中宮の百済寺と、私市の獅子窟寺である。
 どちらからも、交野市の傍示に上り、生駒市の傍示に通じる「大仏の道」を通って、東大寺に急いだのでした。奈良で大仏の仕事を終えた技術者がここの地区で鋳型に銅を流し込んだ仏様を作ったのでは、または、その技術者が住み着いたので大仏の地名がついたのではないかと。 

国の登録有形文化財の交野市立教育文化会館

常設展で説明される平田副会長

入口入ったところには、「交野無尽時代の史料」が展示されている


特別展「交野市指定文化財展」開催中



 故奥野平次氏が著された、「ふるさと交野を歩く(里の巻)(ひろい話)」の倉治編などをじっくりと味わうことが出来た楽しい歴史ウォークでした。 

 次回の歴史健康ウォークは、7月14日(土)ふるさとウォークのパートV「私部の寺社巡り」、集合はいきいきランド噴水広場、午前10時です。皆さん、奮って参加下さい。
 
 是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!
最後までご覧いただき有難うございました

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