伝・寝屋長者邸跡・打上弘法井戸・石の宝殿


寝屋川市の公式ホームページを参照


伝・寝屋長者屋敷跡
寝屋長者屋敷の想像図
 JR星田駅西出口から南へ100m行き、山根街道を西へ行くと、伝・寝屋長者邸跡がある。
室町時代の御伽草子のうち、「鉢かづき姫」物語の舞台となったところと伝えられる所。
 ●御伽草子:
 1.室町時代を中心に、300年ほどの間に、沢山の物語が生まれた。
 2.ほとんど作者不明。
 3.時代背景としては、戦に明け暮れ、人々が不安な日々を過ごしていた社会環境のなかで生まれた「ものがたり」が多い。物語はハッピーエンドで終わる。

打上弘法井戸

 空海は、774 年に讃岐国(現在の香川県)に生まれました。2年間中国で真言密教(しんごんみっきょう)を学んだ後帰国し、紀伊国(現在の和歌山県)の高野山金剛峯寺を創建し、後に弘法大師と言われました。
 空海は水なき所に池を掘り、橋なき所に橋を架け、道なき所に道をつけ、食の貧しい者には食を得る方法を教え、病む者のためには良医となり、人々の苦しみを解決しようとしました。
 こうしたことから、弘法大師にまつわるお話は全国各地にあり、「弘法井戸」と呼ばれる井戸もいたる所に存在します。寝屋川市内にも打上・田井・国松・郡(湯屋が谷=やがたん)の4カ所に弘法井戸があります。
 打上の弘法井戸は東高野街道沿いにあり、現在でも清水がわずかながら湧き出ています。この井戸はいくら日照りが続いても枯れることはなかったと言われており、東高野街道を通って弘法大師ゆかりの高野山へお参りする人々ののどを潤していたことでしょう。
石の宝殿(打上1875番地の1)

 石宝殿(いしのほうでん)古墳(国指定史跡)は、飛鳥の鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳と同じ構造の非常に珍しい墓室をもつ7世紀の古墳です。
 寝屋川市東端の打上(うちあげ)の集落の中を通って裏山へ続く道の終点は高良神社ですが、この神社の東側の細い山道を100mほど進んだ所にある巨石が、石宝殿古墳です。
 石宝殿古墳は生駒山地からのびる丘陵に築かれた古墳です。
 巨大な花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)という硬い石をくり抜いて「石槨(せっかく)」と呼ばれる死者を葬る部分が造られています。石槨は、上面を平坦に加工した底石(下石)の上に直径3m、高さ1.5mの内部をくり抜いた蓋石を重ねたものです。
 内部は幅1m、高さ0.6m、奥行き2.3mで南側に入口があります。入口部分には左側の上下に丸い凹みがあり、本来は扉のようなものがあったと考えられます。この石槨の前には1.5mの間隔で板石が立てられており羨道(せんどう)と呼ばれる通路部分を造っています。
 同様な形をした横口式石槨は、奈良県斑鳩町の御坊山3号墳、明日香村の鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)(厠(かわや))が知られているだけで、きわめて珍しい構造をもっています。  石宝殿古墳の築かれた7世紀には、奈良県の飛鳥地域および「近つ飛鳥」と呼ばれる大阪府羽曳野市・太子町・河南町に集中して天皇・皇族やその側近が葬られていると考えられる古墳が築かれており、近畿地方の他の地域では古墳の築造はほとんど行われなくなります。この時期に北河内地域で唯一築かれた石宝殿古墳は、古墳の形や埋葬施設からも、かなりの有力者が葬られていたと考えられます

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