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第3回 交野歴史健康ウォーク

 いきいきランド交野ドーム→浜の池地蔵→機物神社→二平川の洗場→
光明院→交野教育会館→大仏坂→いきいきランド交野ドーム
 

9/16(土)、 いきいきランド交野ドーム噴水前の石造りのテーブルに腰掛け、先ずミーティングが始まる。午前9時15分、ドーム前をスタート。
 府道久御山線を北へ、倉治を目指す。倉治小学校の西で、浜の池地蔵にお参りする。交野山を背に良いお顔をしておられる。機物神社の前の信号を西に渡り、府道を少し北へ直ぐに左へ、小川沿いに小路を西へ行ったところに「二平川の洗場」
 ここの四辻に立って見える風景はいい。小川が流れ、石垣に板壁、白壁の家と昔懐かしい家並みである。少し歩くと、へっついさん(台所)の煙出しを備えた大屋根の家、茅葺の家、どっしりとした門構えなど、素晴らしい家々が並ぶ。
 「光明院」付近の四辻からは、前が見通せない。昔、ここに泥棒が入ったが、村から出るに出られず捕まったとか。
 時代を感じさせる、交野教育会館の玄関前で、開元寺の礎石に触れる。天平時代のものだという。いつまでも大事にしたいものだ。
 奈良の大仏建立に関わる歴史を今に伝えると言う、どう前大仏坂を下りながら、いろいろと歴史ロマンを教えて頂いた。
 大空に向かって伸びやかに育った、ひまわりの花。今日も、交野山は我々をちゃんと見守っていて下さる。
 9月も半ば、やっと秋の気配があちらこちらに感じられる季節になり、気持ち良い爽やかな1時間でした。
 平田会長の軽妙な説明に感動し、交野の古い歴史を肌で感じた、また故奥野平次氏が著された、「ふるさと交野を歩く(里の巻)(ひろい話)」の倉治編をじっくりと味わうことが出来た楽しい歴史ウォークでした。
 次回(9/23)が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。
 是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!


《浜の池地蔵
 機物神社の西南で、府道交野久御山線と交野中央線が交差する。そこからバイパス沿いに南へ50m行くと路肩より一段低い東側に、仏高30cmの阿弥陀さま(浜の池地蔵)がおられる。石自体は小さいが顔はよく残されており素朴で力強い。背後には倉治小学校、さらには交野山の頂きが見える。久御山バイパスの交通安全と子供たちを見守って下さる有り難い仏様である。

《機物神社》
 昔は、東も西も入り口が閉ざされていて、南の入り口で拝礼していたようで今のご神殿には近寄れなかった。また、機物神社の西の鳥居の入り口から源氏の滝の付近までの道の両側と、機物神社の神殿から南(現在の倉治小学校の南)にあった鳥居までの両側は、松の並木道であったという。
 機物神社は、大和の三輪山と同じで交野山の山と巨岩を拝む古い形式で、鳥居の中央にぴたりと交野山の巨岩がおさまり、その方角はたつみ(東南)の線上にあり大変おめでたいと書かれている。

《二平川の洗場
 機物神社の北側の道を東から西へ、久御山線の信号を越し直ぐに20mばかり北へ進み、小川が流れる小路を西へ行くと、石橋があり、その東側に「二平川の洗場」がある。この洗場の西側にある家の屋号が「二平」といい、流れる小川が二平川という。
 「この洗場は、村の人々の語らいの場であり、コミュニケーションの場であった。家で親夫婦、年寄りが昼寝をしている間にそっと洗濯にくるのが二平川の洗場だった」と平田会長は説明された。

《倉治の迷路・光明院付近
 
光明院
の境内には、沢山の石仏がおられる。交野にたくさんある石仏の中でも美しい阿弥陀様の坐像がある。室町時代の作だという。
 平田会長より、光明院の宮参りのお話を伺った。
 『男は28日目、女は30日目に宮参りした。拝殿で神主の祝詞を頂いてから、ご神殿のぐるりを男は左、女は右から3回廻った。また、赤子が散髪が嫌いにならないように「金(けい)」を頭にかぶせてもらった。

 交野の古い村々の中で、倉治の光明院付近の道が特に分かりにくい。
 古い道は、T字型に結ばれていて、遠見遮断(辻から辻が曲がっていて見えない)になっているうえ、くねりが細かい道かと思って飛び込んだら家で閉ざされた袋小路であったりする。
 倉治の集落は、北のがらと川と南の倉治中川とに囲まれて密集した形態をしており、環濠集落ではないかという。道路も狭く、カギの手にいくつも分かれた防御的配慮がなされている。村から出る道は、北は津田道、春日道、西は郡津道、南は私部道、東は機物神社への参道である。(交野市史より)

《大仏坂・どうの前》

 倉治の教育文化会館前の道を南にとるとすぐ四辻に出る。下を倉治中川が流れている。この角を「どう前」と呼んでいる。ここを過ぎて、なお南へ行くと信号のついた四辻に出る。ここに京阪バスの「大仏町」のバス停がある。この交差点を南へ渡るとだらだらと下り坂になっている。この下り坂を「大仏坂」と呼んでいる。
 この地は、奈良の大仏建立に関わる歴史を伝えているのではないかと、故奥野平次氏は「ふるさと交野を歩く・ひろい話」の中で次のように書かれている。
 大仏様の大体の形が出来て、鋳型に銅を流し込もうとしたが、どうも上手くいかない。東大寺では困って、宇佐八幡宮の付近にいる技術者(渡来人)に来てもらった。その技術者のターミナルとなった所が、枚方市、中宮の百済寺と、私市の獅子窟寺である。
 どちらからも、交野市の傍示に上り、生駒市の傍示に通じる「大仏の道」を通って、東大寺に急いだのでした。奈良で大仏の仕事を終えた技術者がここの地区で鋳型に銅を流し込んだ仏様を作ったのでは、または、その技術者が住み着いたので大仏の地名がついたのではないかと。 


浜の池地蔵
倉治小学校西側にある
(府道久御山線東)
倉治の二平川の洗場 光明院
この付近の道路は
特に分かりにくい
交野教育会館
(倉治の旧役場)
開元寺の礎石
(交野教育会館前にある)
大仏坂付近・大仏町
歴史のロマンを秘めている


第3回 交野歴史健康ウォーク行程図


倉治の家並みと路地の写真


  

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