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光林寺
交野市星田1−26

 光林寺は、山号は降星山。 以前は大念仏宗佐太来迎寺末であったが、西山浄土宗粟生光明寺末となった。本尊は阿弥陀如来である。当寺境内の森は、妙見山、星の森とともに三ヶ所の降星のあった所と伝えられている。光林寺本堂
  光林寺の寺号につて、私部山添家所蔵文書に「寛永14年(1637)市橋下総守殿地改帳に星の道場とあるところ、寛文元年(1661)より降臨寺と相改め候」とあって、最初の頃は念仏の道場で、本山の許可を得て寺号を称したが、降星の森にある道場であったから、始めは降臨寺とし、後、同音の光林寺と変わった。
 山門の蟇股(かえるまた)は、室町時代のものと言われ、本堂前の松の大木は、「星田名所記」に老松と歌われ画かれている名木でる

その昔、八丁三所に星が降った。 そんな素敵な伝説があります。光林寺の老松

嵯峨天皇(弘仁年間 810〜824年)のころ、弘法大師が交野地方に来られた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れて落ちたと言いいます。

それが高岡山の東の星の森、光林寺の境内、星田妙見宮のご神体の三ヶ所で、神仏が姿を変えてあらわれた影向石(ようごうせき)として信仰されるようになったと伝えられています。

星田妙見宮
星の森
光林寺


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