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3.星田妙見宮

2005年5/6   星田神社と星田妙見宮のHPが誕生!

交野市星田9−60−1
TEL 072−891−2003
京阪バス・妙見口下車徒歩5分

☆ 7月7日の「七夕祭」 ☆
午後1時より、拝殿で七夕祭り祭典、湯立神楽、式神楽、朝日舞の奉納など
夕方6:30よりから七夕ビンゴゲーム、妙見星太鼓の奉納など


☆ 7月23日の「星降り祭」 ☆

午後1時より、星降り祭祭典・一般拝殿御祈祷
夕方7:00よりイベント、和太鼓奉納、民謡、鼓響の太鼓奉納など
 

妙見山の御神体
影向石(ようごうせき)
星田妙見宮
拝殿
本宮への石段


70年ぶりに「三大星の祭典」・「星祭」 が平成9年2月8日行われ、1,000人を超える参拝者で賑わった。
「星祭」は、年の始めに一年の幸福を祈るもので、7月7日の「七夕祭」7月23日の「星降り祭」とともに、「三大星の祭典」とよばれている。


星田妙見宮由緒書
「正式名」 小松神社
「創立」 平安時代(弘仁年間)に創建、
明治三十九年十一月に星田神社境外社となる

太古より生駒山系は岩座信仰が盛んであり、この中にあって、当宮は現在残る数少ない岩座信仰の霊場です。平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810〜823)に、弘法大師が交野へ来られた折り、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、仏眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、それが三ヶ所に分れて地上に落ちたといいます。この時よりここに、「三光清岩正岩の妙見」として、祀られるようになったと言います。

平安時代には「神禅寺」称されており、河内長野の天野山金剛寺の古文書には、「嘉承元年(1106)九月二十三日 星田神禅寺」と見えます。
また「東和久田系譜」延宝六年(1678)には、「采女迄三代妙見の別当ショクニシテお供燈明捧御山守護致由候緒也」と記されており、応永九年(1402)生まれの和田出雲安直、将監安道、采女安国の三代にわたり、当宮の別当職であったことがわかります。天文四年(1535)の神明帳には、小松大明神と記されています。

星田妙見宮にまつわる詳しい伝説
については、ここをクリックして下さい

五十二代嵯峨天皇の弘仁年間(810〜823)、弘法大師は京都を旅発たれ、ところどころの霊場を訪ね回っておられたが、ふと河内の国私市(きさいち)の観音寺へ立ち寄られ、ここで虚空蔵菩薩求門持(こくぞうぼさつぐもんじ)の法を修められた。すると、その法力によって、その夜、山の手に仏眼仏母の光明が輝いた。そこで、夜明けになってから山に登り、獅子窟寺山の吉祥院にある獅子の岩屋に入って、仏眼尊の秘法を唱えられた。

すると、不思議にも、大空から、七曜の星(北斗七星)が降り、それが三つに分れて落ちた。
八丁三所と言われている。その星の降った所を探してみると、星田の高岡山の南にある星の森、光林寺の境内の森、そして今一つはこの妙見山の頂にある三つの巨岩である。以来、これらの石を影向石(ようごうせき)として祭ることになったと言われている。
(妙見山影向石略縁起)による。

影向石(ようごうせき)とは、神仏がその姿をこの石の上にあらわしたという石で、八丁(872b)とは、三ヶ所の影向石の間が八丁隔たっているという意味である。


みんなで愛して欲しい妙見の森
現在に残る、縄文時代を偲ぶ貴重な妙見の森!!
星田神社社務所の「ちらし」を参照

交野の妙見川ぞいの道を下ると星田妙見宮にでる。
生駒山を主峰とする生駒山山系第一列目の北端にあるこの地点は、東に磐船の渓谷を流れる天の川、天の川に沿って走る岩船街道を眼下にし、北は平安の頃、宮人たちの狩猟した交野が原を一望し、遠く北摂の山々と淀川の流れを望む、妙見山(標高162m)に位置している。

この山裾1.5キロ〜2キロには、星田旭の縄文中期の遺跡があり、坊領、天田の宮森の弥生後期の遺跡があり、北方4キロには、藤田山古墳・北北東約3.5キロには丸山古墳が、南南西約4きろには忍ヶ丘古墳があり、この妙見山にも昭和43年12月の調査により、ひすいの勾玉、剣、刀子、円筒埴輪の破片等が発見された。
いずれの古墳も前期古墳であり、4世紀前半のものであった。かって、弘法大師が、七曜星の降るのを見て、星の霊場としたと伝えられる宮である。

妙見川の川沿いの妙見川原には、春ともなれば、桜のトンネルを花見の人たちで賑わう。桜とレンギョウやユキシダレの花がいっせいに、今が春よと咲き誇っている。ところが、妙見宮の鳥居をくぐると、照葉樹林の林が、全く違った装いを見せる。

かって、星田妙見宮は、妙見台住宅が出来るまでは、山と一続きであった。
この尾根筋を辿れば、菖蒲滝に出られた。昔は、妙見宮にお参りして、この尾根筋を辿って滝に行く径があった。だが、今では孤立した森になってしまった。正面の鳥居をくぐると、杉の大木が、両側に立ち並ぶ。
しかし、地下水脈が妙見台住宅開発の後に断たれてしまったのか、杉の立ち枯れが目につく。

鳥居をまっすぐに進むと、奥に水の枯れた滝がある。昔はこの滝も水が豊富であった。手前の道を行くと手水があり、そこより121段の石段を登りきると、社務所があり、北摂の山々や、そして交野が原が眼下に見下ろせる。実に素晴らしい眺めである。この場所に佇んでいると、太古の昔が偲ばれる。しかし、今は時も流れ、ふと我に返ると、長く伸びる道筋に自動車がひっきりなしに走るのが小さく見える。

縄文の大阪平野には、照葉樹林が一面に生い茂っていたという。そこに人が住みついて幾千年。今はわずかな田畑と、やたらに家が建ち並び、昨年は大阪府公害監視センターと、大阪府立農林技術センターが、地球環境問題として、酸性雨の影響調査で、この森を調査定点としている。

森もどんどん少なくなっている。近年、よからぬ人たちがこの森に夜な夜な古いバイクや自転車を捨てに来る。ハイカーは、草木を抜き、ゴミの数も増えてきた。

かって、天野史郎氏がこの森の植物を調べたら、当時約350種類もの数を確認された。シイ林内の植生は安定し、四季を通じてそれほど変化もなく、林緑部では四季折々に色々なものが見られ、行くたびに、色々の新しい発見があったと言う。

特に、この350種類の内、シダは50種を占め、林床の保護された森としては貴重な森であると言う。ここには、よそでは消えてしまった古代の大阪平野の植物と、その林の様相が今も残こされている。現代大阪に残されている縄文時代を偲ぶ貴重な第一級の森だと折り紙のついた森であることを知る人は少ない。

天野史郎氏の調査によると主なものとしては、アマクサシダ、クジャクフモトシダ、ナガバノイタチシダ、オオカナワラビ、オニカナワラビ、トウゲシバ、オオキジノオ、キジノオシダ、ハカタシダ、オクマワラビ、オオイタチシダ、ヤマイタチシダ、マルバベニシダ、イノデ、アイアスカイノデ、ミドリヒメワラビ、イワガネゼンマイ、イワガネソウ、フモトシダ、フユノハナワラビ、などである。

太古の縄文の時代にはシダ類も多く生殖していたのである。
特にアマクサシダは、大阪府下においては殆ど見ることの出来ないものです。このアマクサシダもナガバノイタチシダもいずれもが暖地性のものであり、気候が温暖だった縄文の頃から、今に残っているのだろうと氏は言う。妙見山の中でも、場所により色々な変化を見せてくれる。

枯れた木々の下からまた新しい芽が芽生え、本当に森は生きていると感じさせてくれる。太古から今に至るまで生きてきた森である。決して森を死なせてはならない。みんなで守らなければならない森である。

心ない人々によって傷つけられないことを切に祈りたい思いである。この日本は世界に類のないほどシダに恵まれた国であり、これが日本の太古からの自然である。この森を本当に愛して欲しいと思う。みんなで守って欲しいと思う。


交野市史、かたの広報,星田妙見宮由緒書を参照

 星田妙見宮の神々
 
平成27年1月2日の古文化同好会の初歩きで、
平研氏にご案内頂いたことを掲載しています。


 
 ここ星田妙見宮は、諸々の宗派を超えた神仏が祀られており、神仏習合の固まりのようなお宮さんです。(妙見宮と豊臣稲荷)

1、妙見信仰とは−北辰妙見菩薩信仰(北辰妙見菩薩―道教の北辰信仰が仏教に入って北辰妙見菩薩となった。神道に入っては、天御中主神と習合した)(妙見=妙なる視力→事の善悪や真理をよく見通す)
  *道教の北辰信仰−北極星(北辰)は宇宙のすべてを支配する最高神(天帝)で、その乗り物の北斗七星は人々の行状を監視し、その生死、禍福を支配する。 「北辰、北斗への祈り→百邪を除き、災厄を逃れ、福がもたらされ、長生きできる」

2、星田妙見宮の神仏(拝所)
   30に近い神仏(拝所)が祀られている。それぞれに神格、ご利益、ご霊験(―職務分担)が異なる。

(1)妙見菩薩=(妙見菩薩の名の仏は見当たらない) 豊臣稲荷(奥宮―宮司)と習合?(道教、仏教、神道)
 
(2)稲荷社=ここに3社がある。食物、豊穣、商売繁盛、生産増強、屋敷安泰、交通安全、他(万能の神)
     (空海は、稲荷神を東寺の守護神とした)(神道)
 
(3)太上鎮宅霊符神=道教の北辰、北斗を神格化したもの。陰陽道とも関係(お札)―家内安全・厄除け、招福 (道教、陰陽道)
 
(4)三宝荒神=日本古来の荒神(災いをもたらす神)、密教に取り入れて三法( 仏、法、僧)を守る守護神とした。後に、氏族、地域、屋敷、竈をも守る神となった。(古神道、仏教)

(5)磐座=古代自然信仰の磐座が、降星伝説と結び付いて七夕石(織姫石)、道教の北辰、妙見菩薩と習合している。(古神道、道教、仏教)―主祭神?

(6)祖霊社=神社に寄与した神官、氏子などの祖霊を合祀した社。(神道)

(7)延命地蔵=新生児を守る、若死に、短命を免れる。

(8)庚申社=道教の三尸説から庚申の夜、会食して眠らずに過ごした(庚申堂)。ここには猿田彦大明神を祀る。(道教・神道)
(9) 竜王社=龍を祀る社が4社(インドのヘビ信仰は、中国で龍となり、日本へ伝わって日本古来の水神<ヘビ>と習合して水を司る竜神<農耕、豊穣、雨乞いの神>となって日本各地で祀られている)。(神道)

(10)登龍の滝と不動明王=密教では滝に打たれて祈る行場がある。その行場には不動明王(密教特有の仏、大日如来の化身)が立つ。密教と修行者に仇なす悪を撃破する。外道に進もうとするものを内道に引き戻す。(仏教)

(11)烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)=古代インドの不浄を炎で焼く尽す炎の神、密教に取り入れられて密教守護の神、一般には怨霊の侵入口のトイレに祀り、その烈火により侵入を防ぎ、清浄に保つ。(魔除け、金運がよくなる)(仏教)

(12)七星如意輪観音=空海の降星伝説をもとに祀られた。北斗七星と如意輪観音とが習合、生まれた年により本名星、元辰星が決まり、その星に祈ればすべての願いがかなえられる。(道教、仏教)

(13)親子杉=注連縄を張り、お祈りすれば、神はこの親子杉に降りてきて、願いを聞いてくれる。(家内の幸福、子宝)(古神道)

(14)大杉=この鎮守の森を代表する神木(神の依り代)、神格を与えられている。(古神道)

(15)お百度石=2か所にある。百日参り(切実な祈り)を一度で済ます。祈りの対応神は、この森のすべての神仏。(民間信仰)
 祭り

(1)歳旦祭(1月1日)=年の初めに1年の幸を祈る。(神、仏、道)

(2)星祭(2月8日)=個人の本名星を祈り、災いを除く。(道)

(3)稲荷ふいご祭り(5月20日)=火を使う人たちの祭りであるが、ここでは稲荷祭り(神)

(4)七夕祭り(7月7日)=この妙見宮の存在を、七夕伝説に重きを置いてPRしているので、盛大に行われている。(仏)

(5)星降り祭(7月23日)=弘法伝説の星が降ったという7月23日に護摩を焚いて星の霊力に祈る。(道、仏)

(6)地蔵祭り(8月24日)=地蔵盆(子供と地域の守り神としての地蔵の祭り。(民俗神仰と仏教の習合)

(7)祖霊祭(9月23日)=妙見宮に関係の深かった人、戦没者たちの霊を祀る。(神)

(8)年越し大祓い(12月31日)=新年を迎えるために、身に積もった穢れを落とし、心身を清める。(神道)

 
 


星田妙見鎮座1200年奉祝祭

星田妙見さんに七曜星が降臨してから、平成28年7月23日で1200年を迎える。
当社は七曜星降臨の北辰祭祀の霊場であり、七夕伝説の継承地として護持し、
降臨伝説と弘法大師空海上人の信仰を縁起として、星田妙見宮が創建された。

 
庚申社・祖霊社・地蔵尊
 
 
 
 
 
   
   
 
金色龍王社 
 
登竜の滝と不動明王の前で説明を聞く
 
講師の平研氏
 
 
 
 
 
 
 
 
烏枢沙摩明王
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)=古代インドの不浄を炎で焼く尽す炎の神、
密教に取り入れられて密教守護の神、一般には怨霊の侵入口のトイレに祀り、
その烈火により侵入を防ぎ、清浄に保つ。(魔除け、金運がよくなる)(仏教)

 
太上鎮宅霊符神=道教の北辰、北斗を神格化したもの。
陰陽道とも関係(お札)―家内安全・厄除け、招福 (道教、陰陽道)

 
 
色々なお札が売られている
 
 
 
 
拝殿
 
拝殿の垂れ幕には、北斗七星と八つ目の補星が描かれている
 
拝殿の奥に、 ご神体の影向石(ようごうせき)が拝めます
 
 
 
 
太上鎮宅霊符神
道教の北辰、北斗を神格化したもの。
陰陽道とも関係(お札)− 家内安全、厄除け、招福(道教、陰陽道)
 
三宝荒神=日本古来の荒神(災いをもたらす神)
密教に取り入れて三法(仏、法、僧)を守る守護神とした。
後に、氏族、地域、屋敷、竈を守る神となった。(古神道、仏教)

 狛犬は「高麗犬」、「胡麻犬」とも書き、神社の入り口や拝殿の前などに置かれている一対の獣像で、原形はインドにおけるライオン像。それが中国大陸から朝鮮半鳥を経て日本に来ました。沖縄県では「シーサー」といわれる獅子が各家の屋根に魔除(まよけ)として置かれていますが、神社の狛犬も同様に守護と魔除のために置かれています。

彗星捜索家「木内 鶴彦」氏
推理する「交野が原」の壮大な歴史ミステリー

宇宙(そら)の記憶をお読みください。

  交野ではその昔、八丁三所(はっちょうみところ)に星が降ったという伝説が語り継がれて来ました。嵯峨天皇(弘仁年間810〜824)の頃、弘法大師(空海)がこの地方に来られた時に、獅子窟吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、高岡山の東にある「星の森」と、光林寺の境内、そして星田妙見宮の三カ所に落ちたという言い伝えです。星田妙見宮の参道である石段下の右手を少し入ると『登龍の瀧』がありますが、大昔(おそらく西暦900年から1000年の間ではなかったと思うのですが)ここに隕石が落ちたことは間違いない事実だと私は考えています。 滝壺となっているのがクレーターでしょう。 
    ※興味のある方は宇宙の記憶をお読みください。

 
 
 
拝殿前より、市内の素晴らしい展望
 
 稲荷社=ここに3社がある。
食物、豊穣、商売繁盛、生産増強、屋敷安泰、交通安全、他(万能の神)
     (空海は、稲荷神を東寺の守護神とした)(神道)
 
青龍大明神
 
豊臣稲荷大明神
 
 
白玉稲荷社 
 
豊正龍王 ・ 豊玉龍王社
 
 
鳥居の額は、妙見山 豊臣稲荷
豊臣とは、秀吉に関係なく、民を豊かにするという意。
 

平先生より、「星田妙見宮の神々」について、隈なく案内頂き詳細にご説明いただきました。
誠に有難うございました。平先生は今年めでたく米寿を迎えられたそうです。


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