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星田妙見宮にまつわる伝説
星田妙見宮・光林寺・星の森の三所に星が降った

星田妙見宮・佐々木久裕氏の文を参照
星田の村に星が降った伝説

むかし、交野の観音寺というお寺で、弘法大師という、立派なお坊様が、ほとけさまにお祈りをしていましたら、その夜、寝ておりました枕元に、大きなお姿で、ほとけさまが現れまして、周りが眩しいばかりの光をおだしになりました。
おぼうさまは、何とありがたいことかと思っていると、すーと、お姿が消えました。おぼうさまは、あまりにも素晴らしいこのほとかさまのお姿を見たものですから、眠りにもつけず、まだ薄暗い夜明けに、そのほとけさまは何処かおいでになられたのかと、たづね歩きました。
星の森
星の森
京阪バス停・星の森前

そして、交野の山の中にある獅子窟寺というお寺にたどり着きますと、そこにおまつりしてありました、仏眼仏母尊(ぶつがんぶつぼそん)とおっしゃるほとけさまであることがわかりました。
それで、この寺にあります大きな岩の穴で、このほとけさまにお祈りしました。

すると、天から七つの星が、この星田の村の三つの場所に降ってきました。一つは、星田妙見宮の山頂に、そして、あとの二つは、星の森と、村の中にある光林寺というお寺でありました。 星の森

おぼうさまは、余りの不思議さにこの星の降りました星田妙見山に登りますと、そこには大きな岩が二つありました。静かに、この岩の前に座りますと、どこからとなく声が聞こえます。

「私は天を北に輝く七つの星である。昔よりずっとこの大きな岩に降りてきて、静かにみんなを守ってきたけれど、それを知らせるほどの立派なものは少なかった。いま、お前に告げよう。この大空に輝く太陽の恵みと、夜空に輝く月と星たちの恵みを、そして、苦しい時に打ち勝つ勇気と力を、今日より、この大岩から授けよう。」とそう言ってその声は聞こえなくなりました。

おぼうさまは、この貴いお声の主を、妙見様とお呼びになり、一生懸命にお祈りされました。そののち、このお坊様は、高野山という山に登られ、お寺を建てられ、人々に立派な教えをなされ、再びこの妙見様に手を合わせてお祈りされたと言います。いまも、この大岩には、この時の妙見様が、静かに、みんなを守って下さっていると言います。そして、この村は、星が降ったところから、星田と言うようになったそうです。

星田妙見宮のお社(おやしろ)

星田妙見宮には、妙見様の神様にお祈りする為の建物(拝殿)はあるのですが、妙見様の神様のお家(お社)はありません。普通はどの神社でも、神様のお家として、お社がありますが、なぜ、ここにはないのでしょうか。実は、こんなお話があります。

これも昔のことです。
白河天皇というお方が、寝ている時に、夢の中で、この妙見宮の神様が出てこられました。
白河天皇は、ありがたいことだと、このお山に登ってこられ、お祈りをされました。

そして、神様のお家が無いというので、そのお社をお建てになりました。ところが、建てたにもかかわらず、その夜に火事で燃えてしまいました。そこで、また、お建になりますと、また、その夜に燃えてしまいました。白河天皇は、これはどうしてであろうかと考えました。神様は、お社を建てるのを嫌われているのに違いない、と思われました。きっと、この岩そのものが、神様のお家であり、いつでも天からこの岩に神様が降りてこられるから、人間の手で、お社を造るのは恐れ多いことだと思われて、造られるのをやめられました。

その後、大膳亮(だいぜんりょう)という人が、神様に、災難から守って頂きたいので、なんとかお礼をしたく思い、神様のお社を造りましたが、その夜にまた燃えてしまいました。不思議なことだと、神様にお祈りをして、そのわけを聞こうとしましたら、17日目の夜、夢の中で、神様が、造ることはならぬとおっしゃるので、造ることをやめ、みんながお参りすることが出来るようにと、お祈りの為の建物を造られました。今も、拝殿だけがあるのはこのためです。

これは、今から800年ほど前のお話です。