[長野・富山時代の山歩き] [戸隠山][黒姫山][妙高山]

斑尾山(まだらお)


斑尾山図

斑尾山は、北信五岳のうちで標高は一番低く 1,400mに及ばないが、志賀高原側から見ると、他の2,000m級の山に比べても同等のスカイラインで、堂々と少しもひけをとらない。

斑尾山の東麓の斑尾高原には、ホテルやペンションが点在、スキー場、プール、テニスコート、ゴルフ場と四季を通じて若者のグループや家族連れで賑わっている。


10月の初旬、朝から曇り勝ちであったが、北信五岳の最後の山・斑尾山を目指した。
午前11時、荒瀬原の登山口から緩やかな稜線を登る。
林道が登山道と交差しながら上がっている。

中腹からは、雲を抱いた妙高連峰、黒姫が素晴らしい。
野尻湖が直下に青く、山頂を目指す足取りもいつもより軽い。
峰をいくつか越え、蟻の塔渡り、大阿神岳を過ぎ、最後の登りを急いだ。

頂上では、十三体の薬師様が迎えてくれた。13時登頂。
頂上は、一等三角点と、斑尾山山頂と書いた木の札があるだけで、
木々に遮られて何も見ることが出来なかった。
見晴らしのない頂上だった。

しかし、中腹から眺めた野尻湖や、志賀高原・頚城の山々の姿は、忘れることが出来ない。


岩波書店の「日本の山」によれば、明治8年(1875)に来日して、長野県を旅したドイツの地質学者E・ナウマンは、八ヶ岳山麓の高原から南に連なる赤石山脈が、2,500m近い高度差で、甲府盆地を流れる釜無川の谷に、鋭い急斜面を以って迫っているのを見た。
それから松本、大町とゆき、飛騨山脈にも同じ現象を見て、日本列島を横断する大きな断層線が走ったことを考える。

フォッサマグナ、裂け目、または陥没地帯として発表され、1,700万年から1,000万年前に、日本海と太平洋の水は一つになって、糸魚川から静岡を結ぶ海水浸入地帯を持ったことがわかった。
この海底に堆積したものが隆起して1,500〜2,000mの山地になった。
妙高、黒姫、飯綱をふくむ西頚城(にしくびき)山地、入笠、甘利、櫛形山のある巨摩(こま)山地など。
そして、西頚城山地にはその上に富士火山系の火山が噴出した。

戸隠表山の1,911mは、それらの火山より古く、海底にあった時の火山が隆起したもので、侵食が激しく、凝灰角礫岩の、鋭い岩礁となっている。

斑尾は、飯山山地だが、その東南にある1,352mの高社(たかやしろ)山とともに、やはり富士火山系で美しい成層火山の形を示す。
斑尾は、1,382m。その噴火によって、堰止(せきどめ)湖の野尻湖ができた。

野尻湖は、芙蓉湖とも呼ばれ、岬の多い湖岸線の複雑さに、妙高や黒姫が山影を映して端麗な湖は、
柏原の俳人小林一茶の句の中にも詠まれている。

  「しづかさや   湖水の底の   雲のみね」
「花の百名山」 田中 澄江著より引用

斑尾山
斑尾山
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