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富山時代の山歩き

大伴家持像
平成4年4月〜平成6年3月
富山支店に単身赴任中に歩いた山々


       「  立山に      降りおける雪を      常夏に
                   見れともあかす      神からならし  」     大伴家持


呉羽山から見た立山連峰と富山市街
呉羽山から見た立山連峰と富山市街

富山と言えば、「立山」である。
富山市街から望む立山連峰は素晴らしいの一語に尽きる。
雪の大谷 また、呉羽山から見る立山連峰と富山市街、その立山連峰からの「日の出」はまた素晴らしい。

私は、日曜日の朝早く目を覚ますと身支度ももどかしく、丸の内のマンションを飛び出し、神通川を渡り 50分ばかり歩いて呉羽山の展望台に登り、「日の出」を拝んだものだ。
今日一日の無事を祈り、遠く離れた家族の安泰と仕事が順調に進むことを願った。

富山に赴任してまもない4月下旬、立山黒部アルペンルートの開通日に美女平からバスに揺られ、 20メートルを越す雪の壁・雪の大谷から室堂に行った。→
一面雪に覆われた雄山・浄土山・別山、剣岳、大日岳などこの世のものとは思えないものだった。

立山連峰縦走コース

8月のある土曜日、室堂から立山連峰を縦走した。
標高2,450メートルの室堂を10時出発、浄土山の北側斜面を真っ直ぐに夏でも残る雪渓を越え、徐々に傾斜を増す登山道を登る。下を見れば室堂平が奇麗だ。約1時間で一の越山荘に着く。

一の越からが雄山登頂へのクライマックス。登山道は、岩また岩の連続で息があがる。
最後の急登の四ノ越で少し休み、後は一気に雄山山頂の社務所に登った。丁度時計は12時を指していた。
沢山の登山客で座る所もない。
一の越山荘

社務所では雄山神社の御守護のお札を記念に買い、雄山頂上で神主さんの厳粛な御払いを受けた。

立山連峰の最高峰・大汝山(3,015メートル)からの眺望は素晴らしく、直下には青く輝く黒部ダムが見え、北方には真砂岳、別山、その向こうに剣岳の雄姿が・・・。
堂々とした剣岳 ただっ広い真砂岳を越え、息を切らして登った別山から見る剣岳はまた格別だった。
やっと着いた剣御前小屋の前では、近くに見える堂々とした剣岳を飽きることなく堪能する。
帰りは一気に雷鳥沢を下り、雷鳥荘を通り室堂に。もう16時近くだった。

立山黒部アルペンルートの詳しい情報は次をクリックして下さい。

1.立山黒部アルペンルート(立山黒部貫光(株))
2.Tateyama Kurobe Alpine Route(パンフには載っていない生の最新情報)

3.富山県・立山の一般観光客が見られない珍しい写真があります

雄山神社山頂立山連峰から見下ろす室堂平
立山のシンボル雄山神社山頂立山連峰から見下ろした室堂平全景
大汝山より黒部ダムを望むミドリが池から仰ぎ見る立山連峰
大汝山より黒部ダムを望むミドリが池から仰ぎ見る立山連峰

田中澄江は著書「花の百名山」の中で、「立山」を次のように書いている。
立山の名は、娘の頃に読み始めた「万葉集」巻十七にある大伴家持の「立山の賦」の一編を知っていらい忘れ難いものになっていた。

高岡市・二上山万葉ラインからの立山連峰

「天離れる鄙に(あまさかるひなに)、名輝す越の中国内ことごと、山はしもししにあれど、川はしもさはに行けども、すめがみのうしきいます、新川のその立山に、常夏に雪降りしきて、おばせるかたかひ川の清き瀬に、朝宵ごとに立つ霧の、思ひ過ぎめや、いや年のはに外のみもふりさけみつつ、よろづよの語らひぐさと、いまだみぬ人にも告げむ。音のみも名のみも聞きて、ともしぶるがね。」ーー

この越中には山が沢山あるけれど、川もいっぱいあるけれど、中でもまるで神の山のような立山は、夏でも雪があって素晴らしいし、その麓を流れる片貝川は、朝夕に霧が立って、神の川のように清らかだ。いつも眺めて千年万年ののちまで、この山の良さを語り伝えたいものだ。この山を知らない人たちが、羨ましがる位評判をたてたいものだ、というような意味であろうか。−−

高岡市・雨晴海岸から見える立山連峰

大伴家持が、越中守に任ぜられて、現在の高岡市にあった国府にやって来たのは、天平18年(746年)、まだ30歳にならぬ青年の時であった。この歌は翌19年につくられたが、751年に帰京するまで、よく国内を巡行した家持は、新川郡に至って雪に被われた立山の雄姿を仰ぎ、大きな感動にそそられたのであろう。

「万葉集」の中では山部赤人の富士山の大きさを讃えた歌も有名である。しかし、家持のおかれた状況を考え合わせると、この立山の賦には立山への驚きとおそれ以上に、新任地における家持の意気込みがにじみ出ているようで味わい深い。
私は、この歌の若々しさが好きである。そして、この憂愁の歌人と言われる家持の眼にきざまれた立山の姿を、いつか必ず眺めたいと思いつづけていた。