「 立山に 降りおける雪を 常夏に 見れともあかす 神からならし 」 大伴家持
富山と言えば、「立山」である。
私は、日曜日の朝早く目を覚ますと身支度ももどかしく、丸の内のマンションを飛び出し、神通川を渡り
50分ばかり歩いて呉羽山の展望台に登り、「日の出」を拝んだものだ。
富山に赴任してまもない4月下旬、立山黒部アルペンルートの開通日に美女平からバスに揺られ、
20メートルを越す雪の壁・雪の大谷から室堂に行った。→
8月のある土曜日、室堂から立山連峰を縦走した。
一の越からが雄山登頂へのクライマックス。登山道は、岩また岩の連続で息があがる。
社務所では雄山神社の御守護のお札を記念に買い、雄山頂上で神主さんの厳粛な御払いを受けた。
立山連峰の最高峰・大汝山(3,015メートル)からの眺望は素晴らしく、直下には青く輝く黒部ダムが見え、北方には真砂岳、別山、その向こうに剣岳の雄姿が・・・。 |
立山のシンボル雄山神社山頂 | 立山連峰から見下ろした室堂平全景 |
大汝山より黒部ダムを望む | ミドリが池から仰ぎ見る立山連峰 |
田中澄江は著書「花の百名山」の中で、「立山」を次のように書いている。
「天離れる鄙に(あまさかるひなに)、名輝す越の中国内ことごと、山はしもししにあれど、川はしもさはに行けども、すめがみのうしきいます、新川のその立山に、常夏に雪降りしきて、おばせるかたかひ川の清き瀬に、朝宵ごとに立つ霧の、思ひ過ぎめや、いや年のはに外のみもふりさけみつつ、よろづよの語らひぐさと、いまだみぬ人にも告げむ。音のみも名のみも聞きて、ともしぶるがね。」 この越中には山が沢山あるけれど、川もいっぱいあるけれど、中でもまるで神の山のような立山は、夏でも雪があって素晴らしいし、その麓を流れる片貝川は、朝夕に霧が立って、神の川のように清らかだ。いつも眺めて千年万年ののちまで、この山の良さを語り伝えたいものだ。この山を知らない人たちが、羨ましがる位評判をたてたいものだ、というような意味であろうか。−−
大伴家持が、越中守に任ぜられて、現在の高岡市にあった国府にやって来たのは、天平18年(746年)、まだ30歳にならぬ青年の時であった。この歌は翌19年につくられたが、751年に帰京するまで、よく国内を巡行した家持は、新川郡に至って雪に被われた立山の雄姿を仰ぎ、大きな感動にそそられたのであろう。
「万葉集」の中では山部赤人の富士山の大きさを讃えた歌も有名である。しかし、家持のおかれた状況を考え合わせると、この立山の賦には立山への驚きとおそれ以上に、新任地における家持の意気込みがにじみ出ているようで味わい深い。 |