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満開の桜も散り始め桜吹雪の中、22名の元気な仲間がいきいきランドに集まり、第182回の交野歴史健康ウォークは盛大に開催されました。高尾部長の挨拶で始まり、平田会長のユーモア一杯の開会の挨拶を合図に石仏の道へと出発しました。 先ず私部のお墓に寄り、付近の宅地開発で無くなる恐れがあった官田のお地蔵さんを訪ねた。整然と祀られた無縁墓の中に綺麗なお顔をされていて、ひときわ目立つ存在である。いつまでも大事にいて下さいと祈るばかりである。 「つづり方兄妹」のふうちゃんのお墓も久しぶりにお参りしました。平田さんより、当時の詳しいいきさつの話をして下さり、「つづり方兄妹」の映画が見たくなりましたとの話で盛り上がりました。機会があれば是非とも再上映したいと思います。 上河原の私部村落跡〜神宮寺の賽ノ神〜石仏の道へと進み、開元寺跡碑・神宮寺遺跡など詳しく説明を受けた後、岩倉開元寺への参拝道をゆっくりと上りながら5体の石仏を案内頂きました。交野山への登り口まで急坂を上がり、ゆっくりと下り、第二京阪国道が見渡せるところで全員で記念撮影。最後は、旧交野中学プール跡の上に祀られている石仏群を訪ね、いきさつや由来などが不明で宿題となり、倉治公園で柔軟体操で身体を整えて解散となりました。 レジメの作成や現地の案内など高尾秀司氏に大変お世話になりました。 記して感謝申し上げます。 |
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![]() 石仏の道への登り口で記念撮影 |
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![]() 高尾部長の挨拶で始まり、平田会長のユーモア一杯の開会の挨拶を 合図に石仏の道へと出発しました。 |
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![]() 上河原旧私部村落跡の碑 |
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旧私部村は上河原にあったが、元禄時代よりも古い貞享年間、(1684〜1687)山の出水のため山砂の下に埋もれたといわれる。此の事は昭和44年十月の大雨で想善寺の本堂の屋根が崩れ古位牌と共に古文書が見つかり、その古文書から上河原には光蓮寺というお寺があったことが分かり、そのことから旧私部の村がその時、埋もれたことが類推されることになった。 その古文書は一旦住吉神社内にあった現光寺に移り明治の神仏分離で廃寺となり、その後想善寺に移ったと考えられている。 |
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![]() さいのかみ(塞の神)が祀られている |
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神宮寺1丁目の角地(地蔵の辻)に、さいのかみ(塞の神)が祀られている。村に悪魔を入れないように守っていただく神様だと言う。いつもお花が飾れ手入れされている。この辻を東に神宮寺2丁目の住宅街に入り山へと登れば、交野山への石仏の道に続く。 この山麓には、今から約9000年の昔、縄文早期時代に人々が居住していたという。ここに神宮寺縄文早期居住跡、天平時代の開元寺跡の石碑がある。 |
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神宮寺の村から廃岩倉開元寺へと通じる道が石仏の道である。 この石仏の道に存在する弥勒仏坐像石仏、二尊石仏、三尊磨崖石仏、阿弥陀如来立像石仏、阿弥陀三尊磨崖石仏、の5点が、平成14年9月1日付けで「廃岩倉開元寺関係石仏群」として交野市の指定文化財になった。 石仏の道をあがると、右側に東面して花崗岩の自然石に刻まれた弥勒菩薩(第一石仏)がある。この弥勒菩薩は坐像で、右腕を前に出してまげ、掌を外側に開き、左手は組んだ膝の上で掌を下に向けておいて、くつろいだお姿でおられる。リアルで緻密な線刻描画は、大阪随一の秀作と評され、鎌倉初期の作と言われる。 まわりは竹薮に囲まれ、しっとりとした趣はいつまで眺めていても飽きない。 山裾の藪(神宮寺の宮跡)のある北から里のかけて、奈良時代に開元寺と言う大寺が建ち、その寺が鎌倉時代の頃に、交野山の山頂に寺を移し岩倉開元寺と名を変えたといわれており、この道は岩倉開元寺への参道であった。往時、沢山の僧やお参りする人々が通った道である。 弥勒菩薩から登山道を登ると、右側に細長い池があり、この池の東端の小道に、二尊石仏(第ニ石仏)が西面している。さらに第二の山池を左に見て進むとぐっと南に山道は曲がるが、ここからすぐ右側に大石の頂部が見える。この大石の上部中央に南面して、半円の光背に阿弥陀三尊(第三石仏)が刻まれている。 本尊は阿弥陀如来坐像、脇侍は観音・勢至の両菩薩の立像で、文明11年(1475)と彫られている。室町中期である。現在、交野山への登山道(石仏の道)は、この磨崖仏の北側を通っているが、昔は南側の小川に沿って、眼の上に阿弥陀三尊を拝みながら「なんまいだ、なんまいだ」と唱えながら登ったと言う。 見落としがちなので、要注意。 道の左手に、頭部が少し欠けた阿弥陀さんがおられる。阿弥陀如来立像石仏(第四石仏)である。石仏の頭部右半分や光背の上部を欠損しているが、衣は通肩で来迎印を結んでおられ制作年代は室町時代とされている。石仏のある北側斜面は「鳩が谷」とも呼ばれ、以前ここから骨壺が出土したといい、開元寺の墓地であった可能性があり、この石仏も墓地に伴う供養のために造立したと考えられている。 この山道を更に、登ると左に傾いた大石がある。その上部切り込みの光背の中に阿弥陀三尊(第五石仏)が刻まれている。高さ3mほどの花崗岩に、仏の高さ40cmの本尊阿弥陀如来が蓮華座に坐し、これよりやや下側の両脇には、第さん石仏同様、観音菩薩と勢至菩薩の二仏が蓮華座の上に立っている。また、第二石仏同様に室町時代中期の作といわれている。右側の菩薩が赤茶けているのは、開元寺の火災の時のものともいわれている。 雨上がりの朝、こもれびが射す頃の石仏の美しさを皆さんも是非ご鑑賞下さい。きっとご満足されるでしょう。近いうちに、是非とも石仏の道をお尋ねください。 |
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廃岩倉開元寺石仏群・石仏の道 交野市指定文化財 平成14年9月1日指定 言い伝えによると岩倉開元寺は神宮寺にあった開元寺を移したといわれている。 最近ではその開元寺の存在が疑われております。しかし岩倉開元寺が存在したことは発掘調査の結果、その実在が確認されております。この山道に石仏は五体祀られております。 |
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![]() 弥勒菩薩坐像(第一の石仏) |
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弥勒菩薩坐像(第一の石仏) 「石仏の道」を登って開元寺跡の石碑や縄文時代住居跡の石碑を過ぎて、山手にさしかかる所に弥勒菩薩坐像(市指定文化財)があります。この石仏は、やや稚拙さが感じられるものの、おおらかでゆりたりとした表情をしています。造られたのは鎌倉時代の始めごろとされ、山頂近くにあった岩倉開元寺の境界を示す傍示石と考えられています。この石仏群では一番古いものである。 |
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![]() 二尊石仏 (市指定文化財・第二の石仏) |
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二尊石仏 (市指定文化財・第二の石仏) 弥勒菩薩坐像石仏から更に登ると南に分かれる小道があり、その分岐点付近に西面して当石仏はある。高さが40cm程の小さい石仏である。向かって右側の像は比丘形左側は阿弥陀如来像とみられるが磨耗が激しいためその姿をよく知ることは出来ない。比丘とは托鉢する修行者や出家得度して修行した人をいう。 |
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![]() 三尊磨崖石仏 (第三の石仏) |
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三尊磨崖石仏 (第三の石仏) さらに登ると「文明十一年」(1479年)の銘が入った第三の石仏がある。三尊磨崖石仏(市指定文化財)が石仏の道に背をむけた形で立っている。以前には向いに登山道があったといわれる。高さ3.4m、幅3.7mの巨石に阿弥陀三尊を半肉彫し、枠の外側の脇には阿弥陀如来の種字「キリーク」が刻まれている。真ん中に阿弥陀如来、右側に観音菩薩、左に勢至菩薩(この逆の位置という説もある)を従えていると見られるが、研究者によっては両脇を比丘形とする意見もあります。 |
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![]() 阿弥陀如来立像 室町時代の作・全高43cm |
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阿弥陀如来立像 (第4の石仏) 第三の石仏の直ぐ北側、道をへだてて、阿弥陀如来立像(市指定文化財)があります。この石仏さんの後ろの斜面は「鳩が谷」と呼ばれ、以前にここから骨壷が出土したと伝えられており、岩倉開元寺の墓地の入口であった可能性もあります。「鳩が谷」という名前も「墓が谷」がなまったものではないかとも思われます。残念ながら、この石仏の右頭部が少しかけております。 |
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![]() 磨崖阿弥陀三尊像 (室町時代の作) |
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磨崖阿弥陀三尊像 (第5の石仏) 山道をさらに登り、標高160mほどのところに岩倉開元寺の寺域への登りロがあります。この登りロの手前に第5の石仏さん、阿弥陀三尊磨崖石仏(市指定文化財)があります。高さ2.5m、幅2.1mの巨石に彫られており、真ん中に阿弥陀如来坐像、右側に観音菩薩立像、左に勢至菩薩立像が彫られています。(逆の説もある)この石仏さんは西に面していることから、西方極楽浄土への往生を願って作られたのでしょう。 |
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石仏への道を上がり、神宮寺縄文時代住居遺跡の石碑を右手に折れて、次の辻を左へ行くと、右手の田圃のあぜ道に「牛まわしの石」がある。昔、1月3日に農耕用の牛を連れてきて今年もまた1年、牛が健康でよく働きますようにと祈ってこの石の周りを何度も回ったと言う。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() 神宮寺の塞ノ神 |
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![]() 旧交野中学のプールの上に交野里山ゆうゆう会の作業場が建てられている |
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謎の石仏? 分かりましたら教えて下さい! 旧交野中学のプールの上に祀られている |
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![]() 三光明神さん? |
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![]() 岩浪明神? |
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倉治公園で柔軟体操後解散しました | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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最後までご覧いただき有難うございました |