大工さんの雑学講座 U
Ohgu's Zatugaku
阪神タイガース大好きの奈良市の大工(おおぐ)さん

index 2004.5.1〜6.30 2004.4.〜4.30 2004.3.1〜3.31 2004.2.1〜2.28
2004.1.1〜1.31 2003.12.1〜12.27 2003.11.4〜11.30 2003.8.11〜11.03
2004.8.10  私の雑学ばなしは一年になりました!
                   しばらくお暇を頂戴します

昨日は体調が優れず、メールをサボりました。今日も必ずしも体調万全とは言えませんが、私がホームページ”星のまち交野”へメールを送リ出して、今日で丁度1ヵ年になります。年をとってから始めたパソコンも最初はホームページを立ち上げてとまで思っていましたが、70歳台後半になると老化は急速に進みだし、親しい人へメールする程度にとどまっていました。
そんな時、村田義朗くんから、彼のホームページへ寄稿してはと誘われました。そして始めたのが、昨年の8月11日でした。即ち今日で丸1年目になるわけです。
そんな事で、今日は敢えてご挨拶のメールを入れました。

ここでしばらく夏休みを頂戴しょうかと思います。
お盆も過ぎ少し秋の風を感じる頃には再び、駄文を見ていただきたいと思っています。
今しばらくは残暑も厳しいと思いますが、皆さんご自愛くださるよう祈っています。

(^。^)、村ちゃん、
大工さん、雑学講座1年間、休むことなく続けて頂き本当にお疲れ様でした。1周年記念でも何か出来ないかと考えてみましたが、何も出来ず申し訳ありません。
兎に角、ここで一休みして戴く事が肝心と勝手に決め込んでいます。
また、涼しくなり始めた頃、再び大工さんのお話が聞けることを楽しみにしております。
いろんな楽しいお話、本当に有難うございました。


2004.8.5  幕末の大和は地震やコレラで不安動揺…天理教起る

昨日メールを送った頃は潮岬の南にあった熱帯性低気圧が、午後急にテレビが台風11号となって北上中と言い出し、大雨が続いた後だけに各地とも緊張をしたようです。進路は予想より少しずつ西にずれて深夜徳島・阿南市に上陸、兵庫・相生市に再上陸して日本海へ出ました。

この辺りは然したる風も吹かず、雨も期待したより少ない有様でした。
奈良県は南部、特に十津川村や大台ケ原は大雨では名高いのですが、京都府との境に当たる此処は、雨も風も、雷すらも避けるようです。
夏の夕方曇って、ゴロゴロと遠雷が鳴っても、いつも降り損ねで却って蒸し暑い夜を迎えることが多いのです。そんな時は、奈良側の田原本市界隈や、京都側の城陽市辺りが雷雨に見舞われている時です。地形の関係なのでしょうね。雷に見捨てられた場所です。今朝も台風一過とは言えない蒸し暑い嫌な空模様です。

奈良県の北西部は天災、特に台風洪水に強いという事で、私はこの地を選んだのですが、今朝もテレビを見ていて、大雨注意報の表示が、奈良県北東、南東、南西と出ていて北西の無いのが、良かったような、それでいて詰まらないような気持ちになりました。

もっとも、地震の被害は、むかし、あったようです。
嘉永7年(1854)6月に、近畿地方の中南部に大地震が起こって、大和の各地は大変な被害を被ったといいます。奈良では春日神社の(あの数多い)灯籠がバタバタと倒れ、下敷きになって怪我をする人もあったといいます。奈良町の町屋の一割ほども倒れ、数百人が死んだとも言われています。家を失った人々は町はずれの野原や道端に小屋がけして雨露を凌ぎました。また、添上郡古市村では、村の東にある山の谷あいをせき止めて溜池を作っていましたが、その堤がこの地震で切れて、流れ出た水で人家が押し流され、多数の死者が出たと言うことです。
さらに、地震の恐怖に続いて、今度はコレラが大流行しました。安政五年(1858)の夏に大阪で流行りだしたコレラは、またたく間に大和にも飛んで猛威を奮ったのです。人びとは神や仏に縋ったり、効果もわからない怪しげな薬を服用してコレラから逃れようとしました。しかし、そのようなものが役に立つ筈も無く、最盛期には田原本近くの墓地で一日に42回の葬式があったと伝えられています。
コレラは翌六年の秋口にはようやく治まっていきましたが、人びとの不安は広がる一方でした。

こうした厳しい現実の生活から逃れるために、神や仏に救いを求めようとする人びとも現れました。幕末に大和で起こった天理教は、そうした不安に打ちひしがれた人びとの心の拠りどころの一つになったのです。

天理教は山辺郡庄屋敷村の主婦であった中山みきが天保九年(1838)に神の啓示を受けて始めた宗教です。幕末になると、度々起こった飢饉や災害に苦しめられ、また物価の上昇によって生活の不安に心を悩ませる人びとの関心を集めるようになって、慶応三年(1867)に京都の吉田神道家から「天輪王明神」の神号を伝授され、新しい神として認められるようになったと言うことです。 
… なお、私は天理教の信者ではありません。念の為 …

明日の金曜日は病院の予約診察日です。メールは送りません。
来週月曜日までゴキゲンヨウ。

追伸、先ほどのメールに安政地震の事を書き忘れました。
安政の大地震と言うのは、安政初年に起った地震で、
 @安政元年(嘉永7年)(1854)11月4日、東海道の大地震(安政東海地震)。
   震源地遠州灘沖。マグニチュード8.4。死者約二千〜三千人。
  A同年11月5日、南海道の大地震(安政南海地震)。
    震源地土佐沖。マグニチュード8.4.死者数千人。
  B安政2年10月2日、江戸の大地震(江戸地震)。
   震源地江戸川河口。マグニチュード6.9.死者四千余人。(藤田東湖ら死亡)

  私の書いた嘉永7年(1854)6月の近畿地方の中南部の大地震は、この一連の地震と思われます。 また、この安政の大地震は、東京から土佐沖に至る太平洋岸沖が次々に割れたと謂うもので、私が昨年9月2日に取り上げた「稲村の火」も、この時の庄屋濱口儀兵衛が機転で「いなむら」に火を放ち村人を津波の被害から救った話でした。
 いま、東海道沖・南海道沖の地震が喧しく言われ、地震予知、防災対策が叫ばれ て賑やかですが、東京直下、東海、南海が一斉に割れたらどの様になるでしょうね。
  ……桑原、桑原、(これは雷除けでした)   笑い事ではありませんね。

(^。^)村ちゃん、台風11号はあっというまに発生し、一日にして日本海へ抜けましたが、四国や紀伊地方にはかなりの雨を降らし土砂災害が心配されています。今回の豪雨も同じ地域に集中する形で次から次へと雨雲が襲っているようで、本当に怖いですね。
幕末の自然災害、病魔、世情不安な中に、天理教が生れたそうですが、頷けることですね。
1週間なんて、あっという間ですね。また、来週よろしくお願いします。
2004.8.4  ことわざに、「久米仙」と謂うのがありました A完

昨日の天気予報の午後雨というのは嘘だったのかと思うような天気は宵に入って、静かに雨が、少し降っていました。
阪神は昨日から苦手のロードに出て、昨夜は広島と戦いました。テレビ8チャンネルで見ていましたが、1点を取られた阪神の打線は力なく、9時にテレビが終わったので、どうせ駄目だろうとシャワーを使って寝床に入りました。…何と今朝テレビは、9回表で阪神逆転を伝えていました。
ロード初戦での勝ち試合、幸先良しと希望が持てました。それにしても、テレビも試合最後まで時間延長で放映し、ファンを楽しませる局、いい所でプッンと切る局、色いろですね。一番頭に来るのは、コマーシャルを幾つも入れて、その後ゲームを見せるのかと思わせながら終わる番組構成です。民放には料金を払っていないから文句も言えませんがね。

東大和…高市郡、吉野郡の辺りには、久米仙人の事跡が伝承されています。昨日は、その前段をお話しましたが、その続きをお話します。

芋を洗う娘の白い脛(はぎ)を見て神通力を失った久米は、この娘と夫婦(めおと)になって平和に暮らしていました。
その頃、天皇は高市郡に新たな都を造営しょうとされていました。当地の住民たちは、こぞって夫役(ふやく)に駆り出されたので、久米もその人夫の群れに混じって工事に従事していました。
ところが、そんな久米を見て、人夫たちがからかって、「おーい、仙人。のう仙人」と呼ぶものですから、監督の役人が不審に思い、人夫たちにそのわけをを尋ねました。そして、久米の前身を知った役人は、冗談に難題を吹っかけたものでした。
 「この大量の材木を、一つお前の仙術とやらで山から飛ばして貰えば、大いに工事が捗るんだが、どうだ、仙人出来るかな」
 「それでは、祈り試みてみましょう」
久米は”もと仙人”の誇りにかけて、引き受けました。

久米は身を清め、七日七晩断食して、神仏に願いを込めて祈り念じました。すると、八日目の朝、俄かに空は曇り、激しい雷雨となりました。雷鳴と豪雨はしばらく続きましたが、やがて、カラリと晴れ上がりました。
 「やゃ、材木じゃ、材木じゃ。あれ、あのように見事に積み上げられておるわ!」
役人は驚きの声を上げました。南の山中から空を飛んできた材木の山が、宮殿の区画に沿って、整然と並んでいたのでした。

さて、天皇はこの久米の功を讃えられ、恩賞として免田(年貢免除の田)30町歩を賜りました。
久米はその地に大伽藍即ち「久米寺」を建立したという事です。ところで、久米仙人の落ちた場所は、久米寺近くの「いもあらい川」だったとも伝えられ、そこには、今も”いもあらい地蔵”が祀られているそうです。また、久米寺には久米仙人像が納められています。

民話と歴史伝説が何処でどう結びつくのか判りません。峰から峰へと飛び回る嘘のような(否、嘘)と久米仙人像がどの様に繋がるのか、私には判りません。良弁杉(ろうべんすぎ)や蛙になった行者も同じです。
しかし、お伽噺ではないのは判ります。遠い昔の事は詮索せず、ロマンと受け止めておくのが良いのではないでしょうか。

(^。^)村ちゃん、昨日、大工さんにカァーと照りつける太陽の光は益々強く感じられますね、とメールを送った後、こちらでもほんのお湿り程度の雨が降りました。
阪神、ロードで幸先良い勝利を納めましたね。それにしても、TVが中途で切れるのは癪に障りますね。
久米仙人のお話、楽しく読ませて貰いました。なるほど、仙人だけあって素晴らしい力を発揮したもんですね。有難う御座いました。
2004.8.3  ことわざに、「久米仙」と謂うのがありました @

昨夜は台風10号のお陰で熱帯夜は免れ、お陰でよく眠れました。よく眠れた朝は気分が良いものです。それに日の出前の気温は22.0度、透き通った青空、何か秋を感じさせるように思いました。
ただ、予報は午後に曇り、明日へかけて雨になると言っていました。各地台風の影響で出水騒ぎの中、言うのも申し訳ありませんが、我が家の辺りはあまり降ってくれていません。だから私も庭木も雨降りを期待しています。

昨日、漢字や慣用句の話をしていて、ヒョットひらいた古びた「ことわざ辞典」で、「久米仙」と云う言葉に目が止りました。皆さん「久米仙」といえば、久米の仙人の事だな、とお気づきでしょう。そうなんです。しかし、この言葉が諺に使われている事を私は知りませんでした。
 [女色におぼれやすい男をいう。女の白いはだを見て、神通力を失い下界に
  落ちたといわれる久米の仙人の故事から出たもの]
と説明しています。

そう言えば、折角得た総理大臣の椅子から、指三本で「女」になれと言ったとか言わなかったとかで転げ落ちたお方もありました。また、宣伝カーか何かの車の中で、アルバイトの女性の股を弄(まさぐ)ったために、府知事の席から転落した人もありましたね。
これらの人たちを諺(ことわざ)で「久米仙」と言うのだなぁと、自分で納得々々しました。

さて、こう書いてくると、この久米の仙人の民話を少し詳しくお話しておかないといけませんね。少し長くなるかも知れませんが、お赦しください。

天平年間(729〜749)、久米という男が、大和吉野郡の竜門寺で、仙術の修行に励んでいました。竜門岳の頂によじ登ったり、山中の滝にうたれたり、厳しい修行の甲斐あって、ついに空中飛行の術を体得する事が出来ました。

仙人となった久米は、吉野の山々の峰から峰へと、自在に往来し、仙術に一層の磨きをかけていました。そんなある日、久米は吉野川の上空を飛んでいました。はるか目の下には、清流が谷を刻み、曲がりくねって流れています。その時、フト川岸で芋を洗う若い娘の姿が見えました。
娘は裾を高々とまくり上げて、何の屈託もなく、白い脛(はぎ)をあらわにしていました。その肌の白さが、いたく眩しく目にしみました。……その瞬間、クラクラッと目まいを感じた久米は、まっさかさま、娘の面前の川の中に、しぶきを上げて墜落、しりもちをつきました。
長い歳月の修行の成果であった神通力は、一瞬の気の緩みのうちに消え去り、ずぶ濡れになった久米は、今は、ただの人に戻ってしまっていました。已む無く久米は、この娘を妻に迎え、俗人となって、この地で暮らし始めました。

この話、ここで目出度しめでたしで終わらず、続きがあって、そこには実在の寺の名や、久米仙人像や、”いもあらい地蔵”があるところが、民話なのか、歴史伝説なのか、判らない話になっています。

後段は長くなりますので、明日の話といたします。
こんな事を書いているうちに、次第に暑くなり、テレビの予報も、午後の曇りや雨に向うという天気を言わなくなりました。雨は是非とも一降り欲しいものです。

(^。^)村ちゃん、
午後から雨の予報でしたが、カァーと照りつける太陽の光は益々強く感じられます。今日はまた、雨は降らないようです。
へぇー、「久米仙」という諺があったのですね。
3年前になりますが橿原神宮などにお参りした時、近くの久米寺にも行き久米仙人像なる石造物を拝みました。改めて、HPで検索したところ、久米寺の創建は聖徳太子の弟、来目皇子(くめのおうじ)とも久米仙人(飛行の術を得、空を飛んでいるとき、川で洗濯中の娘の姿に目がくらんで墜落したというエピソードを持つ伝説の人)ともいわれるがと書かれていました。何やら、訳が分かりません。明日の解説を楽しみにしています。


2004.8.2  もっと漢字を覚えよう、慣用句などの正しい意味も覚えます
 
変則台風10号は四国に豪雨、洪水などの被害を残して中国地方から日本海へ抜け、東北の方角へ向っているようです。その影響か、この辺りは時どき風が強く吹きます。今朝夜明けの風は秋を感じさせるものでした。しかし、それも太陽が顔を出すと途端に夏が帰ってきました。今日も暑い夏の日が続きます。

昨日は日曜日でしたが、8月に入りました。昔は7月は休みに入っても、ラジオ体操が各小学校でありました。朝6時に校庭に集まって、ラジオから流れる音楽や号令に合せて
 ”♪昇る朝日の光を浴びて まぁー(曲)げよ伸ばせよ、
    我らが腕(かいな) ラジオは叫ぶ、いち、に、さん” 
と校長も先生もみんな元気に体操をしたものです。

今は各町内で自治会あたりが、公園でやっていると聞きますが、どうして各校区ごとに、小学校で出来ないのでしょうか。

体操から帰ると、朝食を済ませて、勉強をしました。「朝の友」という宿題の学習帳がありました。窓の外には朝顔の花が沢山咲いていました。

ふと、今朝の夜明けの風にそんな昔の小学生の自分を想いました。年をとった証拠でしょうかね。それとも秋風を感じたのでしょうか。

さて、村ちゃんの返信にあった、’03年度の文化庁の「国語に関する世論調査」では、慣用句について7割前後の人が本来とは違う意味で理解している。或いは常用漢字以外の漢字も積極的に使うべきとする人が、消極派を上回ったなどの事が出ていました。今は携帯でもPCでも簡単に変換によって、漢字が出てきます。便利になりました。一々字引を引くのは大変な手間になります。しかし、その手間を掛けて昔の人は字を覚えたものです。安直に機械の変換で出た字は直ぐに「如何だったかな」と忘れるものです。そうなるとその意味合いも判らなくなるわけで、慣用句なども本人意味不明のまま使っているケースが出てきます。

漢字にはその一つ一つに意味があります。すべて仮名で書いてしまうと、読んでも正確に意味が判らない事があります。
私の小学生時代は、「読本」の最後にその学年で憶えるべき漢字が纏めて載っていました。一年は、二年は、そして六年間で凡その漢字を覚えたものです。
中学に上がると「漢文」を習います。だから、この6年間の漢字を覚えていないと「漢文」の学習にも差しつかえます。また、この漢文の中で色いろな言葉を覚えます。機械の変換ばかりを頼らず、字引・辞典をその都度ひらいて調べる癖が大切です。
「なにげに」とか「チョー」とか腹が立つのを「むかつく」などを使う人が増えたのは、恐らく若い人達と思いますが、やはり携帯のメールなどに影響されているのではないでしょうか。

とりとめの無いことを書きましたが、字引・辞典は使って欲しいものだと思います。
 少年易老学難成 一寸光陰不可軽 
 未覚池塘春草夢 階前梧葉巳秋声     (偶成 … 朱熹 作)
思い出した漢詩を一つ書きました。私には既に手遅れの悔しさが残るばかりですが。
なお、昨日の阪神と巨人戦の事は忘れた事にしておきます。701試合連続フル出場の日本新記録を達成した金本智憲(36)は「勝ちたかったよ、今日は」と言ってました。

(^。^)村ちゃん、夏休みといえば、子供の頃のラジオ体操が懐かしく思い出されますね。毎朝、学校へ通ったものです。こちらでは今は自治会単位で、夏休みの初めと終わりに開催しているようです。
言われるように、PCや携帯で幾ら漢字変換が容易くなったとは言え、字引・辞書を使う習慣は必要ですね。慣用句なども、本来の意味を外れた形で使われていることが多いようですね。私も、肝に銘じて少しは勉強したいと思っています。
金本選手、701試合連続フル出場!おめでとう御座います。これからも連続出場試合数を増やして、世界に冠たる金字塔を打ち立ててください。
2004.7.30  阪神、昨夜も中日と延長12回、今度は矢野がサヨナラ打

台風10号の影響か、今朝は曇って、一段と蒸し暑い日になりました。
先ほどこの辺り、パラパラと雨粒が落ちました。雲の動き、風のざわつきは不安定な今日の天気を予感します。
台風も異常なら政界にも激震が走っています。最大派閥を誇っていた自民党橋本派の会長、橋本龍太郎元首相は日本歯科医師連盟から一億円の小切手を受け取って上着の内ポケットに入れたといわれながら、知らぬ存ぜぬと言うばかり、そのくせ政治資金収支報告書の訂正をするなど不明朗な態度。さすが、派内も騒然、今日にも橋本氏は会長辞意表明の見通しだと言います。

2億円をポンと福井県へ義援金として、匿名で送る人もあれば、1億円を派の裏金に回して引責する人もあります。今にして思えば、最近ポマードのコテコテ頭も少し薄くなっていたかなぁと思います。

阪神、昨夜も甲子園で中日と、丁々発止と延長12回、2死、1,2塁で、矢野無心の一振りに、久しぶりに連敗を止めた。これで阪神のゲームこれからも見る気になります。

ところで、先日、我が家の漬け梅が上手く漬け上がったと書きましたが、これは、今年の土用がカンカン照りであったからでした。土用に天気が定まらない年は、どうしても梅の味がいま一となります。このことは漬梅好きの者で無いと判りませんでしょうが。

その土用とはどの様な事なのでしょう。むかし、中国では1年を四季に分ける他に、五行(木・火・土・金・水)というものを考えました。そして春は木、夏は火、秋は金、冬は水の支配するところとして、残った土の支配するところは各季の終りに置いて土用としました。それで四季共に18〜19日間土用というものがあるのだそうです。今は、普通土用といえば夏の土用のみを指しますが、7月20日ごろの大暑から約18日間がこの季に当ります。土用は士気が盛んで、暑気が甚だしく、また、地気が一変する時ですから、物忌み(ものいみ)などをして自重します。
お判り難いかも知れませんので、判りよく説明した広辞苑の説明も書いておきましょう。
  暦法で、立夏の前18日を春の土用、立秋の前18日を夏の土用、
  立冬の前の18日を秋の土用、立春の前18日を冬の土用といい、
  その初めの日を土用の入りという。
  普通には夏の土用を指していう。

空の様子は朝より更に雲が増えて、上空をうなって吹いている風は、時に窓を揺さぶる勢いになりました。台風はどの辺りまで来ているのでしょう。

さて、明日明後日はメール送りません。
従って7月のご機嫌伺いはこれで終わります。

(^。^)村ちゃん、台風10号が西日本に近付いているようで、次第に生暖かい風が強く吹くようになってきました。高気圧に阻まれて速度は極端に遅いようで、近畿には土、日に影響が出そうだとのことですね。
阪神、最後の最後まで良く粘り、やっと勝ちました。昨日、一昨日と実に10時間もの長時間、野球放送を見たり聴いたりしたことになります。選手も大変なら、ファンも大変だっただろうと推察します。今夜から巨人との3連戦、お得意様?大いに応援しまっせ。
土用が各季節ごとにあったなんて、知りませんでした。何とまぁ、知らないことが多いですね。

今朝の新聞に、文化庁の調査でパソコンや携帯電話の普及で仮名変換が容易に出来るようになり、「愕然」とか「刺繍」など当用漢字以外の難しい漢字を使うことに抵抗感が薄くなったこと、一方「檄を飛ばす」、「姑息」、「憮然」など慣用句の本来の意味が間違って使われているケースが多いことが分かったそうです。
大工さん、慣用句についてこの講座でも取上げて頂けませんか。

2004.7.29  ”おみくじ”の筒は神官が振るものです

又しても、暑いですね!、で始めなければなりません。明け方日が出る前は空気が肌に少し涼しく感じたのですが、東の山の端から光が差して来ると、途端に気温が上がります。
昨夜も蒸し暑く眠れないまま、テレビ6チャンネルを点けていると、プロ野球各ゲームの結果を伝えていました。阪神は如何にと聞き耳を立てると、中日は11回表に1点を追加、10-9で阪神の攻撃が始まると伝えていました。
慌てて枕もとに置いていた、小型ラジオを点けました。11回裏の阪神の攻撃が始まっていました。2アウト、ランナー1・2塁、バッターボックスは藤本、ボールカウント1−1の後3塁ライナー、これでゲームセット、11時40分頃でした。遂に阪神に自力Xは消えました。しかし、なんと長いゲームだったのでしょう。

ところで、富くじに発する宝くじの事を先日お話しましたが、今日は”おみくじ”について見ておきましょう。皆さんお宮さんへ参って”おみくじ”を引く機会も少なくなったと思いますが、やはり合格祈願や、お正月、お宮のお祭りに行くとつい、引いてみたくなるのが”おみくじ”です。
”おみくじ”は、善悪吉凶勝敗などを神意により占うためにとる籤で、神の声により奉仕者を選ぶという考えに基づきます。
『和名抄』で、籤を「大竹乃久之」(たけのくし)と呼んでいるそうで、籤は串の訛りだという人もあります。籤の上に”み”の字をつけ”みくじ”となり、更に上に”お”の字をつけ”おみくじ”となりました。この”お”の字は漢字で書く時は”御”ではなく“大”だそうです。
その方法には、玉くじ、引きくじ、振りくじなどがあります。
 @玉くじは、神占を書いた小石や紙玉をばらまき、その一つを手や御幣で
   引き上げる。足利義時の後継を決めるため石清水八幡で引いたくじは、
   この方法だと言います。
 A引きくじは、ワラや紙コヨリを、関係者に同時に引かせる方法。
 B振りくじは、現在、社寺で行っている方法で、筒を振って、穴から出てくる
   棒をひく。これは神官や坊主が振って、出た一本を信者が引き抜くのが
   本来のあり方だが、最近は信者自身が振って、神官や坊主は出た番号
   の紙片を渡すだけの役しかしなくなっている。これは神官・坊主のサボタ
   ージュでさい銭お布施のただ取りみたいなものです。

少し、言葉が過ぎましたかな。最近は機械化して出た数字のボタンを押すと、”おみくじ”の紙が出てくるような物まであるようです。それでも皆さん”おみくじ”信じますか。…大吉だぁ、待ち人来る、家へ帰ったら借金とりが来てました…。

台風10号でも早く来てくれませんかね。この暑さ何とかしてよ。また、明日。

(^。^)村ちゃん、阪神、遂に自力優勝が無くなってしまいました。それにしても昨夜の試合は5時間40分を超える長時間でした。先取点を許し追いつき、追いつきして延長戦、遂に力尽き5連敗。それでも、今夜も応援しよう!
そうなんですか。「おみくじ」の筒は神官が振るもんなんですね、知りませんでしたね。どうも最近の「おみくじ」には神聖さが無くなってきた様に思います。

2004.7.28  楽しい休暇旅行の一家5人たちまちに逝く、哀れというべし

毎日暑い暑いの連発でメールは始めざるを得ない状態です。正確には数えていませんが、おっつけ2週間は同じような挨拶をしてきたように思います。
また、台風10号が意外な方向から出てきて北西に向い、近畿に進行の照準を合せているかのようです。新潟・福島両県の豪雨、そして大洪水。
福井県も同様の大災害にあってます。聞くところでは世界的に異常気象が起きていると言いますが、「我々の地球」は大丈夫なのでしょうか。ヒョットすると、この「我々の地球」と言う傲慢な人間の思い上がりに自然が、或いは神がお怒りになっているのではないでしょうか。

昨日の夕刊に、夏休みの一家5人が対向を飛び出した普通トラックに正面衝突され家族全員が死亡したという記事が載っていました。親子5人は夏休みを利用して、1泊2日の温泉旅行を楽しみに、車内で水入らずの会話に花を咲かせていたのでしょうが、突然五つの魂は天に召されました。
恐らくは自分に何が起きたのかも知らずに逝ったのではないでしょうか。
改めて人の命のアヤフヤさを感ぜずにはおれません。合掌。

人の命もアヤフヤなら、阪神タイガースの命運も危篤の状態です。去年は貯金が増えてウファウファ言っていたのが、今年は今や女の褌、食い込む一方、今日も甲子園で中日とゲームしますが、若し、「●」なら自力Xは消滅の憂き目を味わいます。

ところで、福井県へ贈られた宝くじの2億円は他の義援金、更に足りない分は県の一般財源を充てて、床下浸水2万円、床上・全半壊は10万円を早急に支給すると言うことです。被災者は今、藁にも縋る思いでしょうから、この県の速い対応は適切のものと思いました。

我家の話、若し、2億円が当ったらどうするかを、家内に聞きました。家内は1億5千万円は義援金として贈り、5千万円は自分の小遣いにすると言いました。あんたならどうする、と聞き返すので、俺なら5千万円を贈って、後は自分の好きに使うと答えました。家内には多少不服であったようですが、私は最も健康な考えだと思うのですがねぇ。如何でしょうか。

皆さんなら、どの様にお答えになりますか。

また、明日会いましょう。寝冷えなどしないよう、気を付けてください。

(^。^)村ちゃん、本当に暑い暑いの連発です。何時まで続くか記録的ですね。台風がこちらに向かっているようですがマトモに来るようでは困ったことです。上手く雨だけにしてくれませんかねぇ。異常気象に交通事故、何とも無残なことです。
2億円の宝くじ、福井県の対応は早く、被災された方々も大いに喜ばれることでしょう。2億円も当たったら動転して、義捐金など到底思いもつかないことでしょう。私の答えは0円です。あぁ、情けない!

2004.7.27  若し、あなたに2億円の籤が当ったらどうします?

昨日午後雲が広がって、あま風が吹きました。ヤレうれしやと思いましたが、遂に雷鳴は聞こえず、雨は一粒も落ちて来ませんでした。
京都側では一とき降ったようです。先日も奈良に大雨注意報が出て、ゴロゴロ音はしましたが、ここら辺りは音だけで、田原本辺りが大降りだったと言います。
このような所謂、降り損ねは後が却って蒸し暑く、不愉快なものです。眠れぬままに0時55分地震がありました。愛知か岐阜辺りが震源らしくこれで尚更眠れなくなりました。
眠剤(アモバン)をと、袋を開けたが無くなっています。階下の家内の寝ている部屋に置いていますが、家内を目覚めさせずに取りに行くのは至難の業です。
寝覚めさせようものなら明日(即ち今日)、寝入りばなを起されたと散々嫌味を言われます。
しかし、私もこのままでは済ませられません。意を決して、ヌキアシ、サシアシ寝間着の裾を尻からげして、薬の抽斗(ひきだし)を抜いて二階へ無事帰りました。
お陰で今朝は、頭すっきり、寝不足なしの目が覚めました。

ところで、福井の水害は意外と酷く、テレビで見ていると、かって山で遭難したワンゲルの学生や、阪神大震災のとき救援された若者、近辺の高校生などボランティアが多く救援に駆けつけて大車輪で後片付けをしていますが、作業は大変なようです。義捐金も逐次集まっているそうですが、世間をアッ!と驚かせたのは、2億円賞金の当った宝くじを県に寄付した、匿名人のニュースでした。福井県は被災所帯に2万円づつ、この金を支給するそうです。

所ジョージの宣伝するジャンボ宝くじは私に当ったことがありません。買っても買っても3.000円で、たったの300円が返ってきます。あまり馬鹿らしいので、最近は見向きもしません。しかし、この話を聞いて再び買い集めようかなと考えています。この心がけでは駄目ですかねぇ。

籤(鬮)は、古くは、神意をうらなう方法でありました。後に、容易に決しがたい事柄の決定に採用されるようになったものです。

富くじは、その籤が江戸時代に、多数の富札を販売し、抽籤によって賞金の当る、賭博の一種となったものです。時代劇にも出てきますが、富札と同数の番号札を箱に入れ、箱の上にあけた小穴から錐を突き入れ、刺さったものを当り番号とし、多額の賞金を出し、残額を興行者の収入としました。
これらは、社寺修理料などをまかなうため、寛永(1624〜1644)の頃から公認され、江戸では、谷中感応寺・目黒不動・湯島天神を三富(さんとみ)と言いました。しかし、天保13年(1842)には禁止されております。

江戸の頃の富くじをめぐる巷の話は、悪い旗本が寺社奉行などと仕組んだインチキ興行や落語に出てくる呑み助の職人を改心させる話などに良く伺えます。

新潟・福島の豪雨、洪水での損害保険のてん補額は約151億円余りになると謂いますね。アットリスクなのか支払い額かは知りません。自動車保険の支払いが、多いのも従来に較べて特徴的だと言います。

この辺は、今日もカンカン照りで、夕立の気配はありません。
神に雨乞いする気持ちが我ながら哀れです。
オォ!、神よ庭に雨を降らせ給え。

(^。^)村ちゃん、今日もカンカン照りです。先日も交野で平田さんが歴史講座を開かれ、鮎返しの瀧で「平成の雨乞い・べんずりさん」をやろうではありませんか!との提案に、地元の区長さんをはじめ賛同される方が多く、先ず天野川の滝つぼの清掃に取り掛かる話になったようです。実現すれば、昔の人々の知恵を拝借した「平成の雨乞い」も評判を呼ぶことになりそうです。
福井県に2億円の富くじのニュースを見て、驚きましたね。本当に奇特な方がおられたものです。現地へ飛んで行ってボランティアで汗を流すことも出来ないし、私には正直、とても出来ないことです。唯、被災地の皆さんが一日も早く復旧されることを祈るだけです。

2004.7.26  昔の花の代表は「桜」ではなく「梅」だった

連日の真夏日、熱帯夜、私も些かグロッキー気味で、23日(金)には体調不良、メールをサボる結果になりました。土日静養して今日は何とか立ち直り、キーボードに向っております。

昨日夕方に庭で「せみ」(多分あぶらぜみ)が激しくなきました。「せみ」の駆け出しは、この12日参院選挙の翌日に、既にないていました。
庭の「朝鮮まき」には数年前にも、根元から這い出した「せみ」の抜け殻が幾つも見つかりましたが、それ以来あまり見なかったのが、今年はボツボツ出て来てるようで、抜け出した「せみ」は近くの木や壁に取り付いて、「ゼイゼイ」としばらくないて何処かへ飛んでいきます。
本来この「せみ」の声が聞こえ出すと、暑い土用も夕方には入道雲などが湧き上がって、一陣の涼風とともに雷鳴轟き、激しい夕立が通り過ぎるのですが、今年は全くその気配はありません。
「せみ」は「鳴く」の?。それとも「なく」の?、私は「泣き」たい気持ちです。

しかし、こんな事でヒイヒイ言っておっては、お前の雑学はどうしたか!
と言われそうなので、聞きかじりの事をお話しましょう。奈良時代(710〜784)までは、花と言えば桜でなく梅が代表していたそうです。

『万葉集』(759年までの歌)に登場する梅は、萩の約百四十首に次いで百余首で、二番目だったのが、『古今和歌集』(913年ごろ完成)では、桜の歌百余首に対し、梅は二十首にも達しなくなっているそうです。

紫震殿にも初め桓武帝は梅を植え、承和年間(834〜848)に枯れた後、仁明帝も新しい梅に変えましたが、この梅が天徳四年(960)に焼失すると、応和三年(963)には村上帝が桜に植え替えて、これが有名な「左近の桜」になったとあります。
つまり、平安時代中ごろまでに、梅はその地位を桜に奪われた事になります。当時、文学では白梅を貴しとしましたが、一般には紅梅の美が好まれたそうです。これは、化粧や衣装などに濃艶な色を使った中国の色彩感覚の影響であったと言うことです。

我家の漬け梅、今年も見事に出来上がりました。家内が私の母親に教えられて、毎年漬けるようになりました。最近は塩を控えめにしていますが、塩加減と、しその色の出具合が梅干の命です。私は酸っぱいのを3個くらい一度に食べます。体調の優れない時、白粥(五分かゆ)に梅干だけで済ませます。体調たちまち整います。   この辺で御免。

(^。^)村ちゃん、昨日の午後、大阪市及び大阪の東部は雷雲が発生、かなりの雨になったようですが、こちらはゴロゴロと雷が鳴りましたが残念ながら降りませんでした。それでも、太陽が雲で隠れ、いつもよりは涼しい午後でした。今日はまた、湿度の高いうだるような暑さです。
しっとりと浸かった梅干しは夏の食事には欠かせませんね。何とか体調を整えながらこの猛暑の夏を過ごしたいものです。
2004.7.22  交番の警官ら「暴力団に気後れ」、口裏合せて嘘っぱち報告

「暑い!」 …こんな声しか出ない、いや、出せない毎日です。昨日のメールの件名で、”どうじゃね元気かね”と使いましたが、暑さで、自棄のやんぱちで、むかし、何かで記憶していた言葉を使ったものです。
後で気になって調べてみたら、昭和十七年の大映映画「歌う狸御殿」の主題歌でした。サトウハチロー作詞、古賀政男作曲で楠木繁夫が歌っていました。
あまり暑いので、脳症でも起して遠いむかしの幻覚でもみたのかも知れません。

これは冗談にしても、本当に暑いですね。
こんな暑い中、昨日のテレビや今朝の新聞で、けしからんニュースが流れていました。警察の不正事件は今までにも数多く伝えられていますが、今回の問題は真に腹立たしく思うのです。埼玉県草加市で、14日の夜、同市内の25歳の男性が、数人の暴力団員に襲われて、交番に入って助けを求めたが、交番に複数の警察官がいながら対処せず、その男性は暴力団に引ずり出され、暴行を受け大怪我をさせられたと言います。
交番に当時いた警部補(39)、巡査(24)たちは「被害者は交番に入ってこなかった」、とか、「暴力団の内輪もめだと思った」等と口裏合せをして本署の聴取に答えていたと言ます。日本警察の交番制度は国際的にも評価され、私たち市民も昔から、「交番さん」と頼りにし、馴染んできたのに、この今回の事件は全く嘆かわしい事件だと思います。警察はここまで堕落し、犯罪国家を下支えしているのかと思うとき、私は慄然とする外はありません。

拉致被害者曽我ひとみさん一家は、都内新宿のとある病院に収容されていますが、夫ジェンキンスさんは今週初めから、精密検査を受けています。病変部位・病名が確認され、治療の方針が立つのは約ひと月かかるそうです。
彼の処遇については、アメリカ側と我が政府の間で密かに話し合われていると見ていますが、その為にも入院は長いのが良いのでしょう。マスコミもあまり騒がず、静かに見守って上げて欲しいものだと思います。

阪神はやっぱり6回までファンを、ハラハラ、イライラさせました。7回2アウトからは、今岡四球、赤星、関本の連打、金本暑気払いのホームラン、桧山、アリアスも続いて阪神野球を見せてくれました。
昨夜は良く眠れたか?ですって。やはり熱帯夜には勝てませんでした。

(^。^)村ちゃん、全くこの連日の熱帯夜には堪ったものではありませんね。25度以上は熱帯夜と言いますが、30度以上の熱帯夜には名前がないそうですが、何時まで続くのでしょう。温暖化現象は年々酷くなっていきますね。
草加市の事件は、町の交番、お巡りさんの評価を失墜するような事件ですね。お寒い世の中、何を頼りにすればいいのでしょうか?暗然としますね。
 阪神イライラしましたが、豪快なアーチに連続安打、良かったですね。

2004.7.21  暑い!”どうじゃね元気かね”と言われても、答えようもない

暑いですね!。
夜は宵のうちだけルームクーラーを点けていますが、眠り込んだ頃には切れるように予約設定しています。冷房をしていると空気が乾いて、気管切開している私には気管に異常が出ますのでそうしています。
ところが、妙なものでクーラーが、切れたとたんに目が覚めます。クーラーは音も無く静かに切れるのですが、不思議なものですね。

先日来、昼間は超真夏日、夜は熱帯夜の連続でしたが、昨日は関東地方はフェーン現象によって、アメダスの観測で、千葉県市原市で午後1時20分に40.2度、東京・練馬で午後1時半に39.5度と観測開始70年来の最高気温を記録したそうです。関西でも大阪市、奈良市は、ともに35.3度、今夏二番目の暑さだったそうで、夜も寝苦しく、全く身の置き所も無く、悲鳴を上げたい気分です。
明日は暦の上では、二十四節気の一つ、『大暑』に当ります。しかし、現実はこのところ毎日が大暑で、暦など糞喰らえという気分になってます。

こう暑いと、食欲も落ち込みます。特に年をとると、若い者たち程食が進みません。冷やしそうめんなどが口に合います。
奈良には三輪そうめんが有名です。よい出し(汁)でよく冷えたそうめんを喉の奥に流し込むと、熱い汗もスーと引く気がします。

奈良には中元・歳暮に使えるような名産品がありません。高山地区には茶筅、奈良には一刀彫りや墨などありますが、当節の贈り物には不適です。銘菓類もありますが、これも各地にあって、見栄えがしません。ただ、一つ、奈良でないとならないのが、『奈良漬』です。兵庫の灘には戦後、甲南漬、多聞漬といった同様の物が出来ていますが、やはり奈良漬と銘うてるのは奈良のそれしかありません。静岡のワサビ漬と同じようなものです。
宇陀(うだ)や添上(そえがみ)の山で採れる、良質で新鮮なウリやキュウリを、長年月かけて熟成させる。その愛情と根気が、他県のとは一味違うコツのようです。

奈良時代にはすでに民間の家々で漬けられていたらしいのですが、商品となるのは、大阪夏の陣以降のことで、奈良の漢方医京屋宗仙が、自家製の越瓜(しろうり)の粕漬けを、徳川家康に献上してお褒めの言葉を貰ったそうですが、その後宗仙は漬け物屋に転業し、『奈良漬』の名で売り出しました。更に幕末の頃、東大寺の僧がナスやスイカも一緒に漬け込む方法を考案したので現在のような中身の豊富な漬物になったという事です。

何か、今日は奈良の物産紹介をしてしまったようですね。なお、奈良には海産物は一切ありません。念の為。

阪神夕べは残念でしたね。去年の阪神を思うので、余計にイライラしています。

2004.7.20  海の日は、海の記念日とどう違うの?

今日は7月の20日。先週金曜日のメールの最後に3連休メールは休みますと書きましたが、それは、カレンダーに19日が赤くなっていたからの事で、其れが何の日かは全く認識していませんでした。
「海の日」と言う日だったのですね。改めて知りました。では、其れはどんな日なんでしょう。(奈良には海はありません)。
改めて調べて見ました。今ごろ何を言うとるかと、お笑いかも知れませんが、最近に祝日法が改正されて、ただ、休みが多ければ好い、連休になれば更に良いと、その日が何の日であったのかは全く無視して、やたらと休日を変えているので、本来のその日の意味合いが忘れられようとしており、私は、残念に思っています。それは昔の「海の記念日」だったのです。

「海の記念日」は、1976(明治9年)、明治天皇が東北地方巡幸の際、それまでの軍艦でなく、灯台巡視の汽船「明治丸」によって、航海されこの日に横浜港に帰着されたと言うものです。1941(明治16年)、当時の村田省蔵逓信大臣の提唱によって制定され、長く国民に親しまれて来ました。そして、1996(平成8年)に国民の祝日「海の日」になりました。
更に2003(平成15年)、祝日法の改正によって、7月の第三月曜日に変更されたものです。ここで従来の「海の記念日」が完全に意味がなくなりました。
いまは「何の日」との質問にはどう答えれば良いのでしょう??

勿論、7月20日「海の記念日」といえば、私は、はっきり記憶していたわけですね。特に私の場合は、一度は海の男を目指したわけですから、「海軍記念日」の5月27日と共に忘れられるものではありません。いずれも、子供の頃からの馴染みですが、特に高等商船でのその日は印象に残っています。

昭和19年の5月27日は朝食までは通常の日課でしたが、その後は、07,00服装改め、07,40道場に集合、08,00校旗、軍艦旗掲揚。校長により、「連合艦隊に下せる」詔書の奉読。生徒隊長の日露戦争についての訓話などがありました。そして昼食・夕食共に、当時既に娑婆では考えられなかったご馳走が出ました。
7月20日は、やはり、07,20服装改め、その後、校旗掲揚、校長より「海の記念日」についての訓話。夕食には志る粉も出ました。

この日、東条内閣総辞職が発表されています。

昭和20年5月27日も前年同様、軍艦旗掲揚、など海軍記念日の式典をしています。しかし、既に昼も夜も絶えず”合戦準備”(警戒警報)や”退避”の号音ラッパにおわれる状態でした。7月20日は06,50から国旗掲揚、海の記念日の式典を行っています。しかし、昼食も夕食も惨めなもので、アルマイトの食器に蒸かしたジャガイモが2個ごろとおいてあり、さつま芋の葉や茎が浮いた粉味噌使った味噌汁が一般的になりました。日本各地はアメリカのB29爆撃機で完膚なきまで焼き尽くされようとしている時でした。その頃、既に教官(海軍大尉)、教員(下士官)、そして生徒もすべて、日本敗北を頭の隅に置いていたように思います。勿論、誰も、おくびにもそんな素振りは見せませんでした。この後半月で「終戦の詔書」が発せられ、ポツダム宣言の受諾になりました。
私の「海の記念日」にはこんな想い出が憑いてくるのです。

阪神やりますね。甲子園では中日にいきなり1敗して、これは…と思いましたが、2戦目はチョッとだけ、3戦目は馬鹿勝ちして、後半緒戦を2勝1敗。
昨日は横浜で、8回に桧山のアーチで逆転、5-1で横浜を下しました。阪神はどうして何時もハラハラさせておいて、最後にハシャギ出すのでしょうね。不思議なチームです。

新潟に続いて福井で大洪水、大きな被害が出ています。私の息子の嫁の里が富山・高岡ですが、心配して息子の方へ問い合わせましたが、中抜きで富山は飛ばされたと冗談を言っていました。

昨日は何の日、からひょんな話になってすみませんでした。続く酷暑と乾燥に、庭の木や草もぐったりしている感じです。
そして私も肩で息しています。(チョッと大げさですかね)

(^。^)村ちゃん、先程、東京都心で午前11時4分に38.3度まで上がり、今夏最高の暑さを観測したそうで、この「真夏日」は一体何時まで続くのでしょうか。
異常気象で新潟、福井と豪雨続きで大変な被害が発生しています。また、日本だけではなく、中国でも豪雨で沢山の死者が出ているようですね。
言われるように、最近の祝日法による改正で、本来の祝日日の意味合いが薄れてしまい、一体何の休日だったか、忘れてしまいがちですね。
大工さんにとっては、海の記念日はまた格別の思い出があるようですね。
後半戦の阪神の快進撃、始まりましたね。昨晩、三浦に打ち勝ったのは大きいですね。今晩もこの調子で頑張ってや!

2004.7.16  今日は、週末の雑感色いろです

ここのところ、日照り続きで空気はカラカラ、昼間は真夏日、夜は熱帯夜、老いて骨と皮になり、水気の無くなった体はだらしなく潮垂れて息絶えだえの態たらくです。関西では「潮垂れる」を「しょぼたれる」とも謂います。
むしろ、「ショボタレル」の方が、今の私の状態をよく言い表しています。

13日に近畿が梅雨明けして、北に上がった前線は、新潟県・福島県で大暴れ、特に新潟県中・下越地方は未曾有の集中豪雨に見舞われました。
昨日の段階で、私は災害範囲・規模の割りに、人的被害が少なくて幸だったと書きましたが、救助・復旧作業の進むにつれて、死者12人、不明者2人となっています。いずれ今回の災害による被害状況は最終的に集計されて発表されるでしょうが、気象庁は15日、今回の豪雨について『平成16年7月新潟・福島豪雨』と命名し発表しました。

私の身近で起きた豪雨・水害では、昭和13年(1938)7月5日、神戸の布引水源地や六甲連山の各河川が崩壊し、神戸、芦屋、西宮一帯に空前の大水害が起こり、死者933人、流失破壊家屋は13,200戸に及び、東海道・山陽両線が10日間不通となったのを覚えています。ときに私は小学六年生でした。
近畿では古来、7月は雨、9,10月は風に注意と言います。

さて、拉致被害者曽我ひとみさんの夫君ジェンキンスさんの腹部手術の痕が化膿している他、腹部に更なる炎症が見られるという事で、急遽、18日、日本へ一家4人を来日・帰国させ、日本で高度医療を行う事になったそうですね。アメリカの訴追云々の問題は、残るにせよそれ程、緊迫したものとは、考えず人道上の問題を前に押し出した格好ですね。私もそれで結構だと思います。

村ちゃんは15日、『大山崎・離宮八幡宮と西国街道』を探索し、離宮八幡宮が貞観元年(859)に僧行教が宇佐八幡の分霊を勧請して、一時この離宮八幡に分霊を留めた後、淀川対岸の男山に石清水八幡宮を創建した事を知ったという事です。
だとすると、大安寺の僧行教が大安寺境内の石清水坊に祭って『石清水八幡宮』と言われ、後、京都に分霊したという話とどこかで食い違っているわけですが、詳しく調べるとどこかで関係してくると思われます。しかし、古い話は確認のしょうもありませんし、お宮の縁起は長い間に色いろ作り変えられもしていましょうから多少の矛盾は気にせず、夫々を素直に理解しておけば良いのではと思います。何分、1200年も前の事ですから。

プロ野球は今日から後半戦に入ります。球界は色いろ揉めてますが、私には甲子園での阪神・中日の三連戦の方が興味があります。
阪神、”後半いきなり甲子園で6連勝”‥‥ 無理ですねぇ。兎に角応援しましょう。明日から、三連休します。悪しからず。

【追記】
ジェンキンスさん、北朝鮮でお腹の手術をしたと言う事ですが、お腹の何処を手術したのでしょう。術後の痕が塞がらず、化膿してきているとはあちらの医療は随分粗雑なのですね。
むかし、私が阿倍野で営業していた時、お坊さんの代理店がいました。盲腸を手術して、充分に傷口が塞がっていないのに、お盆で檀家廻りが忙しく、稼げゃ稼げでタクシーで無理をして、傷が開いて、お盆のあと、再入院した。笑えない話がありました。ヒョットこんな事を思い出しました。

(^。^)村ちゃん、
新潟・福島豪雨の被害は、TVや新聞で見て大変な状況に驚きました。また、沢山の方々が犠牲に遭われたそうで、特に、一人住まいや寝たきりの高齢者が多く亡くなられたようですね。私も小学生の頃、近くの揖保川が決壊して大人の胸位まで水に浸かったことがあり、恐ろしかったことを覚えています。
離宮八幡宮のこと、わざわざ書いて頂きありがとうございました。お宮の縁起って、そんなもんですね。
阪神タイガースさん、今日からの後半戦、兎に角優勝に向かって貪欲に勝ちに行ってください。期待していますぞ。
大工さん、連日真夏日の中、雑学講座ありがとうございました。
また、連休明けよろしくお願いします。

2004.7.15 水害と悪疫と考えるうち、6年前のO157騒ぎを思い出しました

近畿は今日も暑い超真夏日が続いています。そして新潟・福島には集中豪雨の懸念も続いているそうです。水の引いた洪水の後の状況はテレビで見ましたが、何とも無残なものですね。災害規模の大きさの割りに、人的被害は少なかったようで幸いでした。暑い時季、悪い病気が出ませんように!。

今日は7月15日、何もこの日に事件が起きたと言うわけではありませんが、平成8年(1996)この日に、大阪府・堺市で、病原性大腸菌O157を原因とする小学生の集団食中毒が発生し、同市対策本部は、患者が3791人に拡大し、うち、入院は202人になったと発表しました。発生校は53校になり、大阪府内では給食を取りやめる学校が続出しました。
そしてこの時点ではまだ感染源を特定できず、大きな社会問題として全国を騒がせました。O157による食中毒は、元はその年5月末、岡山県邑久町で死者2人を出す集団食中毒が明らかになって以来その猛威は全国に広がったものでした。

最近、学校では食中毒というよりは、食物アレルギーが問題になっています。
どうして食べ物がアレルギーの原因になるのか知りませんが、各自治体ではその対応に苦慮していると、先日何処かのテレビが伝えていました。
対象の児童には親の作った弁当を持ってこさせたり、対象の児童に特別献立を用意したり、色いろでしたが、私の子供たちの頃には、考えられなかったことです。

私は基本的には、学校給食などには反対です。子供の食べるものは親が作るのが当然の事と思っています。親が心を込めて作った食べ物を食べて、親と子の心の繋がりは生まれるものなのです。子供は犬でも猫でもありません。
「食わせれば良い」といったものでは無いのです。サバンナでは親が獲得した獲物で野獣は育ち、自然の中に適合して生きてゆきます。動物園で、人間の手で配合された餌で育った野獣は、既に野獣で無くなり自然界へは戻れません。子供は親の手で育てて欲しいものです。

日本で学校給食が始まったのは1889年のことと言います。山形県鶴岡町(現、鶴岡市)の仏教各宗派が持ち寄りで、貧困児童の教育のために建てた「忠愛小学校」で米飯の昼食が支給されたのが最初で、費用は僧侶たちの托鉢によるものだったと言うことです。

戦後は米国の宗教・労働団体が拠出した「ララ物資」が配給されましたが、鼻をつまんで飲んだ脱脂粉乳や、先割れスプーンと其れによる「犬食い」など幾多の問題を残しました。
献立は研究・改善され今では、子供の人気も良いようですが、一面、その影で肝心の食の安全への盲点が多くなってはいないでしょうか。

やがて、学校は夏休みに入りますが、ここ二三日の暑さと、6年前の”O157”騒ぎを思い出して、一言書きました。お粗末でした。

(^。^)村ちゃん、こう暑いと、つい暑い!暑い!と連発してしまいます。今日は、交野市の市民講座で「大山崎・離宮八幡宮と西国街道」というテーマで、阪急大山崎駅から山崎聖天や宝積寺、離宮八幡、水無瀬神宮、桜井駅跡など西国街道を炎天下の中、歩いてきました。
 今まで2度も、大山崎の離宮八幡宮にお参りしていながら、油の神様ばかりを気にしておりましたが、貞観元年(859)に僧行教が宇佐八幡の分霊を勧請して、1次この離宮八幡宮に分霊を留めた後、淀川対岸の男山に石清水八幡宮を創建したそうです。
 昨日の雑学講座のお話(石清水八幡宮に分霊した、大安寺の”子安八幡”)の僧行教が大同2年(807)豊前の宇佐八幡を勧請し、京都の石清水八幡宮に大安寺から分霊した、と言われる事と関連がありそうなので、書き添えました。
僧行教は同一人物なんでしょうか。何か因縁めいた感じでビックリしています。

2004.7.14  石清水八幡宮に分霊した、大安寺の”子安八幡”

近畿も梅雨明けして、太平洋高気圧は梅雨前線を押し上げ、そのために新潟、福島両県は局地的な集中豪雨に見舞われました。信濃川支流の五十嵐川・刈谷田川は数ヶ所で堤防が決壊し、大きな被害が出ています。
被災者の皆さんに心からお見舞いを申し上げます。

ところで、政府は昨日、ジャカルタに滞在中の拉致被害者曽我ひとみさんや夫ジェンキンスさん(64)ら一家4人を、早期に帰国・来日させる方針を固めたそうです。ジェンキンスさんが北朝鮮で受けた腹部の手術後の状態が思わしくなく、高度医療施設の整った日本で治療する事にしたようです。
脱走ほかの罪で、ジェンキンスさんには米軍から訴追される問題がありますが、政府筋は人道上の理由で米側の理解を取り付ける方針のようです。
米軍は強硬姿勢を取っていますが、上手く行けば良いのですがね。

さて、昔のメールの手控えを整理していますが、こんなのが出てきました。
奈良盆地には至る所に、人知れずぽっかり残っている森や丘があります。私は、大和郡山市へ移り住んだ頃、家内と自転車で田圃の中を走って、彼方此方と見てあるきました。1300年も前には、きっとその周辺は賑わい、人のなりわいもあったと思われる場所も今はすっかり何も無く、寂しく古びたお宮がぽつんとある、そんな所を幾つか見ました。

次の話は、HPへメールを載せだす前に、村ちゃんと交信した事がありましたが、その中の一つで”子安八幡”で近郷に名高かった、八幡神社のことを話しておきましょう。

このお宮は南都七大寺の一つ、大安寺の南50b程のところ、田圃の中にありました。藪に覆われたような参道を入っていくと、鳩の焼き物が沢山棚に飾ってありました。
もと、このお宮は、大安寺の僧、行教和尚が大同2年(807)豊前の宇佐八幡を勧請したもので、大安寺境内の石清水坊にお祭りしたので、『石清水八幡宮』と呼ばれました。以来、明治初年の神仏分離令が出るまで大安寺の鎮守としての加護がありました。

京都の石清水八幡宮は、ここから分霊したもの、と謂いますが、このお宮はすっかり寂れていました。普通八幡さんと謂えば、”戦”の神さんとして崇められますが、八幡さんの祭神、神功皇后は仲哀天皇に従って熊襲征服に向かい、天皇崩御の後新羅(しらぎ)を攻略して凱旋しました、その間身ごもったままで、筑紫で応神天皇を出産、その際、鳩が応神天皇の子守りをしたと伝えられます。(応神天皇もこのお宮の祭神です)

このような由来で、ここのお宮は”子安八幡”と呼ばれ、安産の神様として名高いと謂うのです。これにあやかって、境内には素焼きの鳩が沢山奉納されています。暇な人が、むかし、数えたところ、なんと1292個あったといいます。見た目には古びてホコリにまみれていましたが、高さ5a〜15a、ブルーで彩色されたのもが多く、安産祈祷の際一対で奉納されたそうです。今は鳩を作る職人も無く、私は昭和43年に大和郡山市へ転居しましたが、その3年ほど前にこの風習は途絶えたそうです。
また、名称が石清水八幡宮から八幡神社と変わったのは、明治26年ごろ当時の宮司が、県へ『八幡神社』と申請したためといいます。

今日は空に雲が多く、日差しはそれほどではありませんが、気温は高く暑い夏日です。早くカンカン照って、午後には積乱雲が湧きあがり、熱雷が激しく轟き、雷光が閃く、そんな夕立が欲しいものですね。

(^。^)村ちゃん、新潟・福島の集中豪雨の被害に遭われた方々に心より御見舞い申し上げます。一日も早い復旧を祈念いたします。集中豪雨は本当に恐ろしいですね。
拉致被害者曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんの来日が現実のものになりつつあるようですね。人道上の理由で米国との折衝が上手く行くことを祈ります。
そう言えば、大工さんから大安寺の話の中で、”子安八幡”の事を聞いたことを覚えています。境内に素焼きの鳩が沢山奉納されていたそうですね。
僅かな家庭菜園の野菜がこの暑さと水枯れで大変です。夕立の来ることを願っています。
2004.7.13  むかし、回って来た幸福のメールの続きです

今日も日差しが強く、暑い夏日になりそうです。ただ、昨日から湿度が少し低くなって、凌ぎ易くなりました。近畿も梅雨明けが近いのでしょうか。
昨日はどのテレビ局も、専ら参院選挙の結果について評論家と称する人たちや各政党の党首・幹事長などを集めて議論していました。
私は昨日も書いたように、何も変わらない、共産党が減り、民社が消えていく以外大勢に影響は無い、鼠一匹も出ない、と、思っています。世は太平です。

そこで、昨日の「幸福のメール」の続きを書いておきましょう。

<<<<第3話>>>>
●阪急電車の中、3歳位の男の子がおしっこをしたがっていた。
  子供「ママおしっこ」
  ママ「どうしてもっと早く言わへんのっ!」
  すると子供は何を考えたのか、
  早口で「ママッおしっこ」と言った。
●大幅に遅れたバスにおじさんが乗り込みながら、
  「バスってえのは遅れた時は待たにゃならんが、客が遅れた時は
  1分だって待ってくれずに、ハイ、サヨナラだからな」
  と言った時、あとに続く乗客全員がうなずいた。
●某工場内の「おれがやらなきゃだれがやる」という看板が、「だれが」の「が」
  の濁点が削られ、「おれがやらなきゃだれかやる」になっていた。
  この会社の将来は。
●友人は入社試験の面接で、あまりに緊張してしまい、
  「家業は何ですか」との質問に「かきくけこ!」と答えてしまい、
  家に帰るまで、何で「カ行」を尋ねられたか分からなかったそうだ。
●一人息子がちゃんと留守番できているかどうか、公衆電話から他人のふりを
  して家に電話してみた。
  母「もしもし、お母さんいる?」
  息子「いらない」
●電話で書店に本を注文した時のこと。住所と氏名を聞かれたので、
  名前の「和英」を、和は「ヘイワのワ」、英を「エイゴのエイ」と答えた。
  後日送られてきた郵便物の宛て名は「和A様」となっていた。
●「水戸黄門外伝・かげろう忍法帖」の最終回で、事件がすべて解決し故郷へ戻る
  ことになった由美かおるたちは、喜びのあまり「ヤッホー」を連発していた。
  でも、それってもしかしてドイツ語じゃ‥‥。
  (ちなみにあの「水戸黄門」には、格さんが「おいハチ、ファイト!」と言って
   しまった前科があるらしい)
●国語のテスト前に問題を出し合っていた中学生の長男と次男。
  長男の「擬音語にはどんなものがあるか」との問いに、
  次男は「そうどすえ」と答えていた。

<<<<第4話>>>>
●新鮮なお魚を「死にたてピチピチ」と言う私を、母はとても嫌がる、
  だって本当のことじゃないの。
●理髪店で中学生が「少し長めにして下さい」と頼むと、
  ご主人が「耳はどうしますか」と聞き返した。
  中学生は少し考えていわく「切らないで下さい」。
●おはようからおやすみまで暮らしを見つめるストーカー。
●父が入院することになって、病院に予約を入れて自宅で待機していたら、
  思わぬ早さで連絡が来て、「明日から入院して下さい」。
  突然のことで、心の準備が出来ていなかった父は、思わず、
  「今、ちょっと体の具合が悪いので、少し延ばしてもらえませんか」
  と言ってしまった。病院も何の疑問も持たずに父の要望を受け入れた。
●「JUNKO」というデザイナーのネーム入りトイレマットを敷いた日、
  夫は「J」の文字を踏んでいたらしく、トイレをでるなり、
  「あのマットはなんだ」とのたもうた。
●結婚した教え子から年賀状が来た。
  「性が変わりました」と書いてあった。

むかし、「幸福の手紙」なるものが流行って、五人の友達に同文を送らないとあなたは不幸になると言うような、威し文句付の手紙が来たものですが、そのパソコン版と言うことになるのでしょうか、たわいない遊びの回し文で、私も面白く読みました。

こんなことを書いているうちに、気温が凄い早さで上がってきました。
只今、11時20分、気温は36.3℃です。私の体温は夜間安静時35.5度、高い時でも36.0度ですから、微熱の出る状態です。
暑いときは、あまり頭を使わずにノンビリ過ごすのが一番と心得ています。では。

2004.7.12   参議院議員選挙は終わりました、しかし、大した変りは感じません


一昨日10日は、午後そして宵に大きな雷鳴と共に大粒の雨が激しく降りました。
その為か昨日曜日、参院議員選挙の投票日は湿度も下がり、暑さが和らいで、投票所に出向きやすい天気でした。昼のNHKのニュースでは、九州、中国、四国などは梅雨が明けたと報じていました。また、その時点では全般に投票率が低いとも言っていました。
拉致被害者曽我ひとみさん一家の再会も、先週金曜日9日に現実のものとなり、早くも4日目を迎えています。流石のマスコミも”五月蝿い”周辺での取材は遠慮しているようです。家族4人は積る思いを心ゆくまで話し合っている事でしょう。

選挙の結果はあまり変わり映えが感じられません、共産・民社の衰退の勢いは止りません。民主が少し伸び、自民が目標に達していませんが、公明がカバーして、結局大勢には影響なく、小泉政策が進度を速めるでしょう。要するに「鼠1匹」の感があります。隠遁の身には、もはや、何の感慨も浮かびません。

ところで、私も、もう”トシ”ですから、思い立って古いメールの整理を手がけました。
すると、娘が2002年10月31日に送ってきたメールのプリントがありました。
友達から回ってきた物らしく、URLアドレス付でした。URLアドレスはここには書きませんが、本文は次のようなものでした。

『廻ってきたメールです』
だいぶいろいろな所を廻ってるみたいなのでもしかしたらすでに見た人がいるかも知れませんが。幸福をわけてあげる♪ほのぼのしてね。
[幸福のメール]
このメールは、東芝、NEC,富士通、松下等を回って来たメールだそうです。だれしも、このメールを仕事中に読んで、大笑いして、周りの人に変に思われたとのことです。
このメールを受け取った人は、このメールを知人に出し、回り回ってまた、自分の所に戻ってくると、めでたく幸福になれるという事で、幸福のメールと呼ばれているそうです。

では、始まり、始まり…。
<<<<第1話>>>>
●先日、ぼくが友達とファミコンをしていると通りかかった母が
  「おまえたちはいいねぇ、毎日がエブリデイで」と言った。
  母はいったい何が、言いたかったのだろう‥‥。
●家族揃って夕食をとっているとき、何かの拍子に怒った父が、
  「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」と言おうとして、
  「誰のためにメシ食ってんだ!」と怒鳴った。
  私と姉は「自分のためだよ」と答えた。
●夫婦ゲンカのとき、父が母に「バカモノ!」と言うのを、間違って
  「バケモノ!」と怒鳴ってしまった。ケンカはさらにひどくなった。
●うちの母は、頭が痛くなると氷でおでこを冷やします。先日も夜中にかなり、
  痛みがひどくなり、暗闇の中をフラフラしながら台所へ。
  冷凍庫から、あらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出して、
  おでこにのせて眠りました‥‥。翌朝、目が覚めてみると、
  母の枕元には解凍されたイカが転がっていました。
●甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を頼みました。
  店員さんが、「田舎はどちらですか?」と聞いたら、母はとっさに、
  「はい、新潟です」と答えてしまいました。
●先日、父は、男にフラれて落ち込んでいた姉をなぐさめようとして
  「おまえ、人間は顔じゃないぞ」と言うところを、
  「おまえの顔は人間じゃないぞ」と言ってしまった。
●妹が夕食にスパゲッティを作ってくれることになりました。妹は、
  「カルボナーラを作るね」と母に言っていました。
  夕方、私が外から帰ると母が、「もうすぐボラギノールができるってよ」
  と言いました。ソレって痔の薬じゃ‥‥‥?。
●弟は、誰に似たのかとても勉強ができる。
  それで、高校1年生のとき、アメリカに留学することになった。
  そのとき、母は親戚や近所の人に、
  「うちの息子をアメリカにホームレスにやるんですよ」と言って、自慢して
  歩いていた。「ホームステイ」と「ホームレス」を間違えていたのである。

<<<<第2話>>>>
●うちの父は、沖縄に向う飛行機の中でエラソーに、
  「沖縄は島全体が『さんしょううお』なんだぞ!」と言った。
  それを言うなら、サンゴ礁だろ!!。
●夕食後、テーブルの横でうたた寝をしていた父がうなされていたので、
  私は母と「悪い夢でも見ているのかな?」と話していると、突然、
  「ライダー、助けてっ!」と父が叫んだ。ちなみに父は56歳です。
●うちの母がテレビを見ていると、美人のアナウンサーが出てきた。
  母は、「こんな人が嫁に来てくれるといいわ」と言って、ニコニコしていたが、
  うちの家族で男はお父さんしかいない。
  母は、いったい誰の嫁がほしいのだろうか‥‥‥。
●お風呂に入っていた父が、突然、大声でわめきだしました。
  「大変、大変! どっかから鼻血が出てる!」
  いったい、父のどこから「鼻血」が出たのでしょうか‥‥?。
●私の友達は仮免中に教官に
  「はい、この先の赤信号の交差点を右折して」と言われ
  何の疑いも無く、信号が赤信号のままの交差点を右折した。
●酔っ払って帰宅した夫は、そのまま居間に寝てしまった。
  重くてとても寝床まで運べないので、
  「這(は)っていってよ」と何度も声をかけたが、その度に夫は
  「ハッ!ハッ!ハッ!」と答えました。(5.18朝日新聞)

このメール、第3話、第4話と続いていますが、ご退屈さまでしょうから、其れは明日にでも書きます。そして最後に「このメールを5人の人に回して幸せを分けあたえてね!!!」とありました。

思うに何処かの会社の社員が、暇にあかして遊んで居たもののようですね。企業のパソコン使って結構なご身分ですね。私の娘も勤務先のパソコンへ送られてきた物を、自分の個人のパソコンと、私のパソコンに転送したもののようです。

一時の暑さも和らぎ、選挙も終り、国連軍入りした自衛隊も、然したる変化を見せず、曽我ひとみさん一家も落ち着いて、すべては先ず先ずの様子、平和です。

(^。^)村ちゃん、選挙も終わり、余り大きな変動もなさそうでホッとしていますが、今の自民党には何か危うさを感じます。
事前の世論調査でも民主が自民を上回る勢いだというので、終盤自民は組織の引き締めと公明頼みで何とか与党としての体裁は繕いましたが、小泉丸はこれからどうなるか予断を許さないのではないでしょうか。年金のこと、イラク問題など国民にモット分かりやすい形で政策を打ち出さない限り、そっぽを向かれて危うくなるのではと心配です。今回の結果を真摯に受けとめて、全知全能の限りを尽くして構造改革を推進してもらいたいものです。


2004.7.8  プロ野球界はどうなるの?どうするの?選手もファンも蚊帳の外

今朝夜明けは案外湿度が低く、朝日がギラギラしていた割には少し爽やかさを感じました。しかし、それもホンのしばらくで、やはり蒸し暑い天気になりました。これで何日雨が降らないのでしょう。
天気予報士の言う事は連日「ハズレ」,それでも毎日次の日の天気を真顔で喋っているからその厚顔ぶりには恐れ入っています。今日の午後は夜にかけて雨だと言っていました。是非、そう願いたいものです。

プロ野球界も変な雲行きで、近鉄とオリックスの合併は、プロ野球界の再編に火をつけて、昨日は西武・堤オーナーが「パ」でもう一組の合併を明らかにしました。10球団1リーグ制へ向うような気配になっています。
ファンは、経営の論理だけの再編に怒りを強くしています。選手は、「無視され非常に悲しい」とスト権行使検討などと言っています(古田選手会長)

球界再編も良いのですが、それより阪神は如何したのでしょう。昨夜の広島戦見るも無残、聞くも哀れの負けプッリ、先発福原投手は新聞に「最多失点、最速降板」と酷評されています。カワイソウに。(3−12ではすっかたなかんべ)

拉致被害者曽我ひとみさんは、昨日佐渡を発って東京に一泊、川口外相や小泉首相にも会って、今朝インドネシアの首都ジャカルタへ向け旅立ちました。
明日は、平壌から我が国のチャーター機で夫君ジェンキンスさんと二人の娘さんが到着して、涙の再会となる事でしょう。
どの様な段取りで行われ、その喜びはどの様に伝えられるのかは知りませんが、マスコミの無用に無秩序な取材は、何としても制限して欲しいものですね。写真のカシャカシャという音、ストロボのピカピカは何時も私の癪の種です。
静かにアットホームな環境づくりに協力して上げてください。

明日は私の病院通いの日です。メール送りません。土、日休んで月曜日にお会いしましょう。

(^。^)村ちゃん、今日も暑かったですね。気象予報士の言う、今晩は雨でしょう?は、いつもハズレですね。九州の熊本、大分では突風が吹く大雨だったそうですが・・・。今年は何と言っても異常気象ですね。
KSS会の下見で、平城宮跡に出掛けてきました。平城宮跡資料館でボランティアガイドの方から史跡の全体像の説明を受けた後、朱雀門に立って復元中の第一次大極殿や1km四方に広がる遺跡を眺めていると、1300年前の都の姿が沸々と浮かんでくるような幻想を見たように思います。午後、太陽が容赦なく照りつける中、汗だくになって歩いていると、東院庭園から遺構展示館へ向かう小路一杯に青臭い草いきれが一杯立ち込めて、気持ちが何となく落ち着きホッとしました。9月には、奈良の都の歴史とロマンを皆さんと一緒に楽しみたいと思います。
 大工さん、また来週よろしくお願いいたします。

2004.7.7  先の大戦は67年前の今日始まった…蘆溝橋事件

連日33〜35℃の気温が続いて、勿論、梅雨ですから湿度は高く、病気持ちの年寄りである私は、アップアップしています。昔はこんな環境に年寄りや長患いの病人が亡くなったものですが、流石、長寿の時代、あまりそんな話は聞きません。部屋には空調機、紫外線にはUVカットの衣類や眼鏡、食べ物も薬も、相応の物が出来ていて、なかなかあの世へ逝くことが出来ません。
一方若者の繁殖能力は減退し、ここに少子高齢化の時代が来ました。今や年金問題はないがしろに出来ず、来る11日・参議院議員選挙の大きな争点の一つになっています。

少子化は必ずしも個人の経済や育児の問題だけでは無いように思います。何故、結婚をしない男女が増えたのでしょう。そして、結婚しても不妊の夫婦が多くなったのでしょう。また、男の子の誕生が少なく、女の子が多いのはどうしてでしょう。SEXは種族維持の為に使ってください。快楽や遊びの道具にしてはいけません。
政治家の皆さん、独身者税とか少子税(消費税ではありませんぞ)を考えては如何ですか。…… 今日の私の提案です??。

ところで、7月7日、あなたはどの様な日だとお考えになりますか。
そうです、”七夕”です。誰でもそう言います。地方によっては金峯山・蔵王堂の「蛙とび行事」のある日だと言うかも知れません。

しかし、私は昭和12年(1937)の7月7日、北平郊外蘆溝橋の一発の銃声に始まる日支両軍の衝突を思い起こします。
大阪毎日新聞の7月8日(木)の夕刊には、「河北省豊台駐屯のわが部隊は7日夜夜間演習中、同11時40分ごろ蘆溝橋(北平西南約三里)付近で支那軍より突如不法にも数十発の射撃を受けた。わが部隊は直ちに演習を中止し取敢へず該支那部隊長に対し謝罪を要求中」「事件不拡大方針とし彼の懇請により停戦」するも「容易に撤退の色無」く「再び砲声轟く、撤兵交渉決裂か」。

これより8年の間、昭和20年(1945)8月14日(火)「時局収拾に畏き詔書を賜」い、「四国宣言を受諾す」るまで、私の青春は悪夢と消えました。
78歳の今、この8年間は何だったんだろうと、今日も改めて想い考えました。

さて、今日も朝から、佐渡の曽我ひとみさんの事がテレビで取り上げられ、何度も見慣れたビデオの顔が映されていました。これでは明日も、そして明後日の日本出発時は大変な報道ラッシュになる事でしょう。
現場の記者やカメラマンは何故あのように無作法で騒々しいのでしょう。
そして、質問の下らなさはどうしてなんでしょう。

蒸し暑い朝から、何度か手を休めながら、不機嫌にPCを叩いていると、あまり面白いメールは考えに出てきません。この辺で終わります。では。

(^。^)村ちゃん、連日の蒸し暑さには全く如何ともし難く、唯冷房の厄介になるのみです。そろそろ夕立でも欲しいですね。
今日は七夕祭りですね。こちら交野では機物神社や妙見宮で、願い事を書いた短冊をつけた沢山の笹竹が飾られお祭りをしています。67年前の7月7日、蘆溝橋事件が勃発、そして長く暗い戦争の時代に突入したのですね。しっかりと覚えておきます。

2004.7.6  今年の梅雨は不順の連続、雷鳴轟く夕立が待たれます

日曜日(4日)は何とも云えない暑さと乾燥で、少々ダウンしました。昨日も予報では相当量の雨が降る筈が、朝はギラギラした太陽が照りつけ、その後曇っては来ましたが、雨は昼前後にチョッとだけ降って、夕方は暑い西日が差して、終日蒸し暑い天気でした。
この嫌な天気に頭の回転が悪く、HPへのメールをサボる結果になりました。
早く梅雨も明け、雷さまが俄かに鳴るようなサッパリした夏の天気が欲しいものです。

雷さまについては先週話を二つ書きましたが、元々雷は「なるかみ」「霹靂」「はたたがみ」等とも呼ばれ古語としては「いかづち」があります。「いかづち」は軍艦行進曲の2番2節目に「たま撃つひびきは雷(いかづち)の声かとばかりどよむなり」と読み込まれています。しかし、元は天から落ちる雷に限ったものではなく、ある種の悪霊を指していたようだとも謂います。

『古事記』で伊邪那岐命が、死んだ伊邪那美命を慕って地底の黄泉(よみ)の国へ行ったとき、伊邪那美命の腐った骸(むくろ)の上に、ツチイカヅチ、クロイカヅチなど八種の「イカヅチ」が乗っているのを見て逃げ帰りますが、それは何れも天の雷とは違うと思います。
”イカ”は”厳”で、厳しく恐ろしいの謂いで、”ツチ”は、ミヅチ(蛇に似た架空の動物)のツチと同様、蛇を連想させたもののようです。

しかし、やはり人間にとっては自然の脅威の中で直接的に激烈なのは落雷でしょう。神が怒って人界に下す罰と謂う観念もここから生まれます。
更に転化して、仏法に抗する悪魔外道の観念が入ってくると、天の悪鬼の仕業と謂うことになります。
強い人、偉い人、恐い人などは死後の変身に動物が使われますが、菅原道真は、先日話した通り、京の空で雷になりました。”天神”と謂う呼び方も頷けます。

雷伝説には、他に愉快な話の流れもあります。歌舞伎十八番での鳴神上人の説話の中で女色の誘惑に負けて堕落した高僧が通力を失う、天竺の一角仙人の伝説、久米仙人が飛行の術で空中散歩の途中、川で芋を洗う女の脛(はぎ)の白さに気を取られ地上に墜落した伝説などがそれです。
心の堕落と天空からの墜落とが、相通じる観念の「鳴神」、即ち天空から落ちる雷の連想に都合が良いのでしょう。久米仙人墜落の光景と、女中衆が洗濯している井戸端へ、虎皮の褌を締め小太鼓の輪を持つ雷が落ちて、ひっくり返っている情景は同様の構図で江戸時代の戯画(滑稽、風刺の絵)に描かれているのをよく見ます。

子供の頃、雷が鳴ると裸で遊んでいた私に「雷さまにオヘソを取られる」と、親がゆかたを持って追っかけて来たのも、遠い思い出の一つです。夕立で冷気が立ち込め、冷えておなかをこわさない様にと謂う昔からの伝承です。

早く梅雨が開け、暑くともサッパリした夕立の後の気分が望まれて、又また雷の話になりました。ご免なさい。
今日は、晴れて厳しい太陽が照りつけていますが、湿度が下がって風が爽やかに感じられます。

爽やかと言えば、拉致被害者の一人、曽我ひとみ(45)さん一家の再会が、三日後の9日、インドネシアの首都ジャカルタで実現することになりました。
私は兎に角喜んで上げたい気持ちです。マスコミやテレビに出てくるコメンテイターたちの中に、小泉内閣の露骨な参議院選挙対策だと政府の選挙利用姿勢を批判する向きがありますが、素直に歓迎して上げられないものでしょうか。私の憤懣です。

最後に、憤懣を書いたので、スーとしました。これで終わります。では、ご免。

(^。^)村ちゃん、雨が降るかと期待していましたが、昨日も降りませんでした。容赦なくぎらぎらと照りつける太陽に、貸し農園の野菜が少し萎びた様子で心配です。夕立が来ないものかと空を見上げても、夕立雲は見当たりません。午後からぐんぐん温度計は上がりっぱなしです。一体何度まで上がるのでしょうか?
曾我さん、良かったですね。1年9ヵ月振りの家族の再会に拍手喝采。静に見守りましょう。
阪神タイガース、今晩から始まるオールスター前の広島との3連戦、悔いの残らない好ゲームを期待したいものです。

2004.7.2  「紀伊山地の霊場と参詣道」、世界遺産登録決定

今日も梅雨の晴れ間的天気で蒸し暑く、多少湿度が低いといってもやはり不愉快な天気には変わりありません。

先日来、その決定が待たれていた、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産(文化遺産)登録が、中国・蘇州で開かれている第28回世界遺産委員会によって決められました。
日本では「法隆寺地区の仏教建造物」(1993)をはじめに、12件目の世界遺産登録です。奈良県吉野町の金峯山寺の蔵王堂の「蛙とびの行事」の事を昨日書いたばかりですが、蔵王堂に鎮座する日本最大の秘仏本尊・金剛蔵王権現3体(重文)の特別開帳も始まり、祝賀ムードに溢れているようです。
紀伊山地というと、極めて広い範囲を占めますので、若し、拝観観光に遊ぶとしても短時日では適いません。奈良から入る、和歌山から入る、田辺から、木本からと、すべてを堪能するには余ほど暇がないと無理でしょう。吉野・高野山は比較的簡単に入れます。
それでも、この様にして自然が開発の魔手から守られるのは良いことですね。私は昔、和歌山に勤めていて、木本から入って熊野本宮から田辺へ抜けたことがありますが、40年も前で、一泊した川湯温泉と雨で流れて仮設工事をした崖道をバスを降りて徒歩で渡り、バスは空で後から渡って来たのを憶えています。

長らくお待たせしました。拉致被害者曽我ひとみさんが、インドネシアで家族と再会できる段取りが、北朝鮮との間で決まりました。
夫君ジェンキンス氏も同意したという事で、懸案の一つが解決の見込みになり、私も他人事ながらホッとしています。ひとみさん良かったね、と、言ってあげたい気持ちです。

ホッとした話をモ一つ、阪神、巨人に8回裏で集中砲火、福原完封勝利で5割回復です。この勢い今後も続けるように願います。

今週これでお終いにします。来週月曜日にまた、メールします。

(^。^)村ちゃん、昨日、蛙とびの話を伺ったばかりですが、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産(文化遺産)に登録されたようで、良かったですね。これで、秋に予定している散策会にも力が入りそうです。
曽我ひとみさんの段取りも進んでいるようで良かったですね。また、昨夜の阪神、宿敵巨人を零封に仕留め、8回の集中打は素晴らしく快挙でした。
また、来週よろしくお願いします。

2004.7.1  金峯山寺の蔵王堂と蛙飛びの行事

昨日昼前から湿度が高く、気温も30度と不愉快な天気でしたが、静岡県下は雷を伴った集中豪雨で、浸水や落雷被害で大変だったようです。新幹線も一時ストップして多くの人達に影響が出たということですね。被害、影響を受けられた方々にお見舞いを申します。
夕方NHKテレビが豪雨、そして落雷の続く空の画を流していましたが、続けて光る雷光は迫力がありますね。縦に地上と結ぶ太くて濃い蛍光色の稲妻が、たて続けに2本3本と光るのを見ていると、和泉市の西福寺の井戸に落ちた、愛嬌のある雷さまではなく、京の空で憤怒の雷鳴を轟かせた道真公の雷を思いました。
「クワバラ、クワバラ」。

そのNHKが夕方の番組「かんさいニュース1番」の中で、「世界遺産」の指定を受ける吉野の金峯山寺の蔵王堂とその門前町の様子を映していました。
もとこの寺は役行者が創建し、蔵王堂はその本堂ですが、南北朝時代の河内の豪族、楠正成の長男正行の話でも知られています。
今は7月7日の「蛙飛びの行事」で、テレビのニュースにもよく出てきます。

今からおよそ900年も前の話、大峰修行に向う修験者の講中に、一人の不届きな男がいました。この者、日ごろ神仏に不敬の言行が多く、信心深い講中の人びとの顰蹙を買っていました。
さて、今日もまた、この男、山中で開祖の役行者(奈良時代の呪術者修験道の開祖、役小角(おづめ)とも云う)をあなどり、蔵王権現の霊験をせせら笑うと云ういつもの悪い癖を出していました。
  「さあ、これだけ悪口を言うても、なんの障りも無いというのは、
   役行者も仏さんも、まず、大したものではあるまい」
と、言い放して、カラカラと高笑いするのでした。
すると、如何したというのでしょう。それまでの晴れた空が、見る見る曇りだし、風までゴーゴォーッと吹き付けてきて、彼の男は、目もくらむ断崖の突端に運び上げられました。さすがの不信心者も胆を潰して、声をかぎりに泣き叫び、
  「助けて!助けて!、真人間に立ち返ります!、
   どうか、お助けをー!」
このありさまに、仲間の修験者たちは、ただ、うろたえ騒ぐばかりでしたが、たまたま一行中に金峯山寺の高僧がいて、先ほどから、男の様をジッと見ていて、やがて、男に呼びかけました。
  「心底から悔い改めるのなら、助けてもやろうが、そんな高所からでは、
   とても人間の姿のままでは救えない。蛙に変えて降ろしてやろう」
高僧は呪文を唱え、男を蛙にして、手足の吸盤の働きによって、無事に助け降ろしたと謂います。
男は蛙のままで吉野へ連れ帰られました。そして、蔵王堂の御宝前に坐った蛙男の周りを、全山の僧が取り囲み、声を合わせてお経を読んでやったので、お経の霊験功徳によって、男はヤット人間の姿に戻る事が出来ました。以来、彼はすっかり真人間になって熱心な大峰行の信者になったということです。

この蛙男を30年近く務めてきた、オヤジさん、今年からは門前の饅頭屋の若主人に交代するそうです。大きな蛙の頭(かしら)を被ると暑いそうです。しかし、この「蛙飛びの行事」は大峰信仰と共に蔵王堂の名物行事として広く知られるようになりました。

今日はNHKテレビを見て思いついた話をしました。
阪神最後まで不安でしたね。
野球は恐い、最後9回裏の金本の一発で決めました。では、サイナラ。

(^。^)、村ちゃん、金本、最後にやってくれました。気分が一気にスカッとしましたね。
「世界遺産」の指定を受ける吉野の金峯山寺の蔵王堂と「蛙飛びの行事」のお話、面白く読ませていただきました。蛙飛びの行事をTVで見たことがありましたが、良く理解できました。
今年、秋のKSS会の行事に吉野散策を予定しています。桜の季節は観光客で一杯なので、紅葉の吉野を楽しみにしています。


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