大工さんの雑学講座 
Ohgu's Zatugaku
阪神タイガース大好きの奈良市の大工(おおぐ)さん

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2004.10.1〜12.6 2004.9.1〜9.30 2004.7.1〜8.10
2004.5.1〜6.30 2004.4.〜4.30 2004.3.1〜3.31 2004.2.1〜2.28
2004.1.1〜1.31 2003.12.1〜12.27 2003.11.4〜11.30 2003.8.11〜11.03
2005.3.12    私の雑学講座、閉講のご挨拶 
 

 我が家の庭の隅に植えている「サンシュウ」が先週末から黄色い花の蕾をつけていましたが、今朝の朝日に照らされて、シッカリ花を開きました。あまり知られている花木ではありませんし、サンシュウの花花そのものも地味なものですから、梅等のように噂にのぼる事は無く庭の片隅で静かに春の日差しを受けています。

 2月7日に「再びお休みを頂戴します」とご挨拶しましたが、その際、再会をお約束した「サンシュウ」の花が咲いたわけで、此処で威勢良く雑学講座再会を始めるべきであったのですが、私の個人的事情によって、心ならずも閉講のご挨拶に変えなければならなくなりました。
真に突然の申し出で不埒な者よとご批判もありましょうが、悪しからずご寛容の上、今後とも宜しくお付き合いの程お願い申しあげます。

熱烈な愛読者より (2005.3.15)
 大工さんの「雑学講座」が休講になるとのお便り。
私達、愛読していた者には実に惜しいことです。然し、その惜しいというより、今迄長い間楽しませて頂きましたことに心より感謝申し上げます。本当に有難うございました。
大工さんの底知れない博学と、歯に衣を着せない一刀両断の世評、何時も楽しみに読ませて頂いておりました。出来れば、休講とか復活とかそんなことではなく、体調の良い時に、気が乗った時に、気楽に何かお便りを、ページにお載せ頂けたら、そんな嬉しいことはありません。
どうぞお身体をお大切に。ご自愛の程、お祈り申し上げます。



2005.2.7   再びお休みを頂戴します

ご無沙汰しました。2日にメールを送った後、気分が優れず、ダイニングで椅子に座ったままボンヤリ(思考停止の状態)していました。空気の乾燥が非常に厳しく、喉の不快さは勿論、全身気だるく、遂に私もダウンしました。

日本海側に雪が降ると近畿の中部は大気が乾燥しますが、今年日本海側の降雪は19年ぶりとかで、この辺の空気の乾燥も異常なものになりました。結局、先週後半は元気のない日を送ってしまいました。
今はすっかり回復していますが、この際再びしばらくのお暇を頂戴したいと思います。庭の「サンシュウ」の花が黄色く咲いたころに再びお会いしましょう。

ところで、2日のメールの最後に管理人さんが漢字の読み方の資料を添付してくれました。私も実は漢字に強いわけではなく、大変参考になりました。

漢字もその伝わった時代によって色いろ違いがありますが、だからと言って漢字はすべて中国から伝わったわけではありません。日本製の漢字…国字も案外多いもので、奈良時代からつくられていて、室町時代のころには相当数にのぼっています。
これは日本人の生活に関わって事物や思想などを表す「やまとことば(和語)」に当てはまる漢字が見当らない場合に、新しくつくりだされたものです。だから、大部分のものは「訓」だけで、「音」はありません。もっとも中には「働」(ドウ・はたらき)のように音・訓共に備えたものや、「鱇」(コウ)、「腺」(セン)、「鋲」(ビョウ)、「錠」(ジョウ)のように「音」だけの変わりものも紛れています。

鮨屋の湯のみや暖簾に良く見かける「魚篇」の国字は馴染み深いものです。また、「木篇」「鳥篇」のものも数は多く、国字の横綱です(字数が多いので省略します)。
他にも良くみるものに、「俤」「裃」「俥」「喰」「糀」「凩」「込」「笹」「雫」「躾」「辷」「襷」「峠」「辻」「鞆」「凪」「匂」「噺」「麿」「籾」「畑」「塀」「俣」「毟」「匁」「裄」「枠」など。
なお、「働、込、匁、峠、塀、畑、枠」は国字でありながら常用漢字に含まれています。

 次のホームページ ワープロに出てくる国字一覧表をご参照下さい。

これにて、3学期の学習は終わります。健康に注意して元気に春を迎えましょう。
3日の衆院予算委員会をテレビで見ていて、小泉首相の顔に元気が無く、テレビに映る左顔の目の周りが弛んだように見えましたが、風邪ひきでダウンだそうです。今日は終日、公邸で過ごすそうです。鬼の霍乱(かくらん)と云う事でしょうか。

(^。^)、大工さん、日本海側は今年の冬は19年ぶりとか、思いもかけない豪雪となりましたね。
長期予報では、3月以降は平年に比べて暖かい日が多いとのことですが、気になるのは花粉症対策ですね。晴れた日には、昨年の何倍ものスギ花粉が飛び散るとの予報で、これまで余り気にしていなかった、花粉情報を見るようになりました。
 大工さん、雑学講座、どうぞ今しばらくゆっくりとお休み下さい。
有難う御座いました。


2005.2.2  『首相は丁寧に答弁を』、武部幹事長が注文を付ける

今日も引き続き厳しい寒波が残っています。寒気団は東へ移動して、西日本の雪空は無くなって行くようですが、寒波は今夜から明日にかけて居残りをするようです。しかし、私の大敵の一つ空気の乾燥は少し楽になりました。

朝刊(毎日)に『首相は丁寧に答弁を』と武部幹事長が注文を付けたと言う記事を見つけました。昨日国会内で開かれた自民党役員連絡会で、山崎正昭官房副長官に、小泉首相の国会答弁について、「国民に分かりやすく丁寧に説明することが大事だ」と要請したとありました。
私は1月31日のメールの中で、小泉首相の答弁には「剽軽」さを感じる事を書きましたが、彼はその剽軽な態度で質問の核心を逸らし、至って気の抜けた、わけの判らないまま代表質問をかわして行く「性(さが)」と言うか「技」と言うか面白い一面を持っています。
遂に野党の民主党全員退場という様な事態もありましたが、自民党内でも「首相答弁にもっと誠実さが必要」との批判もあり、武部幹事長がつい、一言言ってしまったようです。
失言の多い「武部幹事長自身、失言に気をつけるのが先だ」という意見も多いようで、彼らの世界は面白いものですね。

ところで、「あの人ひょうきんものだね」とはよく聞く言葉です。テレビ番組にも「オレたちひょうきん族」なるタイトルの付いたものもありました。
「ひょうきん」のルーツは桃山時代にまでさかのぼります。豊臣秀吉の馬印は千成瓢箪ですが、太閤さんは合戦が大好きで、頻繁に戦争をしています。いざ出陣というときは、この千成瓢箪を必ず持っていくのですが、秀吉の金箔をおいた瓢箪を、出陣というとき一番に持ち出す人のことを「瓢金者」呼びました。
「剽軽」の「剽」はすばしっこいという意味があり、「軽」を「きん」と読むのは宋音で、瓢箪を持ち出す瓢金者が、すばしっこく、しかも滑稽であったので、この字があてられました。
軽々と滑稽なこと、気軽でおどけること、私は1月24日の衆院本会議の代表質問のテレビを見ていて、小泉首相の答弁に「剽軽」を感じたという訳です。人生いろいろ…ですね。

※漢字の詠み方、宋音について こちらを参照下さい。

2005.2.1   沖の鳥島に発電所、石原都知事が首相に計画明かす

天気予報の通り、今朝は大冷えです。ここ奈良も雪が屋根や木々の葉を白くしています。日本海側は久しぶりの大雪にご苦労されていることとお見舞いします。特に先の地震で被害を受けて居られる方々はこの寒空の中、雪との戦いは大変だなぁと、お怪我の無いよう祈っております。

そんな中にも、春の話題の芽は動き出しています。今日1日各地でプロ野球の各球団は春季キャンプを始めます。セ・リーグは連覇を狙う中日、4位からの巻き返しを期す阪神。パ・リーグでは今季から参入の楽天やソフトバンクが引き継いだダイエー、近鉄と合併したオリックスなど、興味多いシーズンの始まりです。

また、何と言っても若者の春は「甲子園」に咲きますが、その第77回選抜野球大会出場校32校が昨日発表されました。晴れて選抜された各高校球児たちの喜びの様子もテレビで流れました。
   「み雪降る冬は今日のみ
         鶯の鳴かむ春べは明日にしあるらし」  万葉集(20)

春は拉致被害者曽我ひとみさん(45)の夫君、ロバート・ジェンキンスさん(64)の上にも早くも咲いて、昨日ははじめて記者会見を行いました。顔色はすっかり健康そうで、幸せに佐渡で生活していると話し、ひとみさんに感謝し、2人の娘の事も含めて将来に希望を持っているようでした。
北朝鮮での事はあまり話しませんでしたが、最初の15年間は「犬のような生活」であったと話し、金正日総書記は「邪悪な男」と決め付けていました。
米軍の除隊手続きが遅れているようですが、早くアメリカの母親(91)に会わせてあげたいですね。

東京都の石原慎太郎知事が31日、小泉首相官邸を訪ね、沖の鳥島周辺に海洋の温度差を利用した発電所を建設する計画を明らかにしたと云います。「島」か「岩礁」かで争う中国対策でしょうが、石原知事にして初めて思いつく考えだと、私は驚きました。佐賀大の教授らが開発した「海洋温度差発電(OTEC)のシステムの活用だと云うのですが、原理は私も理解出来ますが、あの孤島での装置はどの様になるのでしょう。

あれこれ話しているうちに昼になりました。空には少しちぎれた雲があり、冷たい風が吹いて寒い日です。それでも、窓から太陽の差し込む部屋は眠気を誘います。この寒気二三日続くと云います。健康には気を付けてください。

2005.1.31  イラク移行国民議会選挙はテロ多発の中で行われた

今日からしばらく今冬一番の寒気がやって来るそうです。今朝は確かに冷えて、風もあり、日が昇っても中々気温は上がってきません。皆さん風邪など引かないように自愛してください。
私は寒さと空気の乾燥が一番苦手で、既に先週火曜日にメールを送った後、ここ一週間何となく気がのらず、ノタリノタリと日を送って、メールもサボってしまいました。
尤も、たまたま確定申告の用紙が届きましたので、申告までの期間はありますが、とりあえず医療費の領収証を整理しました。当家は健康家族ではありませんので、家内のものも多く、内科・耳鼻科・眼科・皮膚科・歯科など医院数が多いので整理に手が掛かります。私のは診療科は異なりますが、すべて同じ病院ですから纏めも簡単です。兎に角資料は出来ました。また、いつか日を見て清書します。

ところで、この一週間の内に色んな事がありましたね。昨年夏から続いたNHKを取り巻く騒動は海老沢勝二会長の辞任という形で新たな局面を期待しましたが、辞任した三首脳の顧問就任で、再び混乱、国民の多数の抗議を受けて慌てて辞任という無様さでした。
辞める日は、何かに取り付かれたように新国劇の国定忠治のセリフを真似てご機嫌だったのですが、既に顧問で決まっていて、口も軽かったというところですかね。忠治くん赤城を下りて子分にも見放されましたか。

朝日新聞はNHKの「或る特定の」番組への政治介入疑惑で、自民党の安倍普三幹事長代理や中川昭一経済産業相を巻き込んで、NHKにイチャモンをつけていますが、NHKには確かにこのような傾向はあります。
しかし、今回の「或る特定の」番組、即ち従軍慰安婦特別番組の改変問題については、朝日新聞は先ず、NHKが21日に関根昭義放送総局長名で出した18項目に亘る公開質問状に答えるべきでしょう。朝日新聞の態度に割り切れぬものを感じます。

第162通常国会は21日召集されました。先週は施政演説を受けた各党の代表質問が衆参両院で行われましたが、小泉首相の答弁は良く聴いていると何か一つの原則を感じます。彼の答弁が不真面目だとか無礼だとか言うのではなく、彼自身が剽軽(ひょうきん)者なのだなあと思います。
剽軽とは、気軽明朗であって滑稽なこと(広辞苑)ですが、何時もこの手で質問者の意表をついて問題の核心を外しているように私には思えます。
この剽軽という言葉のルーツについては改めて話します。

さて、イラク民主化の試金石となる移行国民議会選挙は30日厳戒態勢の中で投票が行われました。やはり心配されていたテロは投票所を標的に多発し多くの犠牲者が出ているようです。私は部族社会と聴いても良く判りませんが、シーア派だのスンニ派だのクルド人だのと複雑なものなんですね。
兎に角、イラクにも安定した政権・政府が出来るように祈るばかりです。

2005.1.25  豪商呂宋助左衛門の墓が堺市大安寺にある?

今朝はどんよりと雲っていました。昼間は良い天気で、気温は低めでも洗濯日和とでも云うのでしょう。今日はお話をガラット変えましょう。

旧年11月15日のメールに、元和2年(1616)1月に鷹狩りに出かけて鯛の天ぷら食って倒れ、4月17日駿府城内で75歳で亡くなった筈の徳川家康の墓が堺市の南宗寺にもあるとお話しましたが、堺市には、いま一つ事情の判らない墓があるようです。と言うのは豊臣秀吉の怒りを買ってカンボジアへ亡命した筈の豪商呂宋助左衛門の墓が堺市南旅籠町の大安寺境内にあると伝えられていることです。

助左衛門は永禄8年(1565)堺の唐物商(中国など外国相手の貿易商)納屋才助の長男に生まれました。才助は当時の68長者の一人で、廻船20余艘を持つ富豪でした。そんな家に生まれなら、助左衛門は「たとえ親父からでも物を貰うのは大嫌いじゃ」と相続を拒否して、13歳のころから親の反対を押し切って船に乗り組み、諸国を航海しました。帰って堺に上陸すると、無頼の仲間と交わり、あるとき女の争いから今井某という九州浪人を斬殺しました。処刑になるところを、堺出身の実力者千利休のはからいで死を免れ、追放の身となりました。

それからの10年間、助左衛門がどのような生活していたかは不明ですが、閻魔組という無頼集団の頭目だったり、海竜丸という海賊船の船長だったりルソン島(フィリッピン)で貿易商をやったりしていたようで、南海を舞台に暴れ回った挙句、文禄3年(1594)7月に、巨万の財宝を船に積んで堺に帰ってきました。そのとき堺の代官石山正澄(三成の兄)の手を経て、太閤秀吉に傘・ローソク・生きた麝香獣二匹などを献上し、ルソンの壺50を進覧しました。秀吉大いに喜んで、壺を大阪城西の丸広間に陳列し、これを上中下の三級に分けて値段を付けたところ諸大名が争ってこれを買い求めました。その他の舶載品も売り捌いて巨利を占め、呂宋助左衛門の異名で呼ばれるようになりました。

彼の生活は豪勢を極め、堺の屋敷には居間に七宝をちりばめ、庭園には珍奇な花を植え、そのころの最高の画家の狩野永徳を使って、襖や屏風に丹精を凝らした絵を描かせたりしました。これを見て、町人の分際で僭越と、自分の上を行く者を嫌う秀吉の怒りを買うと、助左衛門は広大な屋敷を惜しげもなく大安寺へ寄進して、もてる財宝を根こそぎ船に積んで南の海へ逃げ、カンボジアへ亡命しました。
助左衛門はカンボジアの首都ウドン(プノンペン)の日本人町で豪奢な生活をし、国王の信任を得て慶長12年(1607)には、日本から渡航する貿易商人の管理者の元締のような地位を得ていたと云います。
寛永12年(1635)の幕府の鎖国令によって、日本は国を閉ざしたため、その後の助左衛門の消息は不明ですが、優雅な生涯を送ったと想像します。その彼の墓が堺にあると云うのは、どうしてでしょう。彼は晩年コッソリと帰国して、彼の旧宅でもある大安寺の方丈に隠れ住み、その地で没したとでも云うのでしょうか。私には判りません。

話は180度変わりますが、今年も「税務署」から確定申告の用紙を送ってきました。年金生活で、高齢で、障害者(3級)で、医療費の多い私は払う税金は出てこないのですが、医療費の領収証などの整理が面倒でこの時期気が重くなります。 …税金1000万円くらい払って見たいですね…

2005.1.24  ブッシュ大統領2期目就任、「専制終焉究極の目標」

三日ばかりメール休みました。今日は上天気で気温も上がると予報しています。しかし、明け方の冷え込みは厳しく、この辺りで-2℃でした。

先週金曜日に私は再診のため病院へ行きました。寒さのためか患者の数は少ないように思えました。午前中地下の理髪店で月に1回の散髪をして、午後1時からが内科の診察です。
既に新年の挨拶も変なので、診察室に入って医者に「今年はお寺さんの方へと思っていましたが、やっぱり、こちらにしました」と言いました。
すると、医者は「そんなこと言わずに(こちらへ)来なさいよと」言いました。私も今では慢性患者、通院歴15年になるとお互いにのん気な話をするようになりましたが、医者に客引きされたのは初めてです。看護婦さんも横で笑っていました。

家に帰ると、テレビにアメリカのブッシュ大統領の二期目の就任式の模様が放映されていました。大統領は演説の中で、「我が大地に自由を根付かせ広げるには、他の土地でも自由の実現を成功させねばならない。世界の平和は自由を世界中に拡大することによって実現できる」と表明し、そのために「武器の使用は避けたいが、我々自身と友人を守るため、必要ならば武力の行使も辞さない」と、対テロ戦を戦って行く決意を表明していました。
更に「アメリカは抑圧されている人々を無視することなく、抑圧者を許さない」と強調し、北朝鮮、イランだけでなく中国などを含む人権抑圧国家に対し、厳しい姿勢で臨む方針を示していました。
北朝鮮の金正日は、この演説をどのように聞いたでしょう。6ヵ国協議の中で、米・朝の核をめぐる駆け引きが、どのように展開していくか興味のあるところです。

我が国では第162通常国会が召集されて小泉首相は午後の本会議で施政方針演説をしていました。特に彼の執念である郵政民営化については、郵政4分社化を明言し、昨年9月に閣議決定をした「基本方針」を堅持する事を明確に示していました。「民営化が小さな政府」実現に不可欠の行財政改革の断行そのものだと、国民の理解を求めていました。
自民党内に抵抗勢力の多い郵政民営化に、小泉首相が何処まで突き進めるかも”やじ馬”の私の興味の一つです。

NHK特集番組の改変問題で朝日新聞とNHKとの間で起きた中傷・抗議の「熾烈なbattle」は19日の松尾武氏元NHK放送総局長の記者会見で燃え上がり、朝日新聞は直ちにこれに抗議しましたが、更にNHKは21日朝日新聞に18項目に亘る公開質問状を送りました。
朝日新聞は21日夜記者会見をして、NHKに報道の訂正と謝罪を求める通告書を送ると発表し、同日送付したようです。NHKの対応次第では法的措置をとるとしてます。今になればそもそもの問題の発端は何であったのか我々には判らなくなり、全くの泥仕合としか写らなくなりました。

此処で、どろじあい【泥仕合】とはどのような事かと調べてみました。
  (1)泥にまみれて争うこと。転じて、互いに相手の秘密や弱点や失敗
     を暴露し合う、みにくい争い。
  (2)歌舞伎で、舞台に泥田を作り、その中で立ち回りわすること。
正に(1)の説明に、ピッタリの騒ぎの様に思えますね。

なお、自民党の安倍晋三幹事長代理は昨日午後下関市で開いた自身の後援会新年会で挨拶し、NHKの番組改変問題で朝日新聞を相手どって提訴する考えはないことを明らかにした上で、「(朝日新聞社は)堂々と国民の前で(報道の)根拠を述べて欲しい」と求めています。

私はこの意見に賛成です。朝日新聞は何故NHKの公開質問状に具体的に答えようとしないのでしょうか。朝日新聞の通告書なるものに私は失望を感じています。

久しぶりに肩の凝るような話をしましたが、明日は話を変えましょう。では、
2005.1.20  朝日新聞とNHKの水掛論はまだつづく?

今日も一日寒い冬ばれになりそうです。

晴れないのは、NHKと朝日新聞との、「従軍慰安婦特集番組」の改変問題論争です。昨19日、NHKの松尾武・元放送総局長が記者会見して「政治的圧力や介入があったとは全く思っていない」事を強調しました。

これを受けて朝日新聞側は、松尾氏が朝日新聞に登場する「NHK幹部」は自分であると公表し、「政治的圧力を感じていないと答えた」「内容がねじ曲げられている」と語ったのは、松尾氏が、政治家からの「圧力とは感じていた」と明確に述べていたことなどを指摘して、「言論に携わる責任ある立場の人が発言内容を翻したことは真に遺憾。記事には根拠がある」と、NHKに抗議しています。

事柄は大変重大な事かも知れませんが、このNHKと朝日新聞のやり取りは水掛け論的な様相を我々には感じさせますし、新聞紙面・テレビ画面を使って子供のケンカをしているようにも思えます。狐と狸の化かしあいの様にも思えます。
そこで子供のケンカは置いといて、狐の話などしてみましょう。狐といえばお稲荷さんですが、稲荷の信仰は、京都の伏見稲荷大社を本源として全国に分布し、分詞社は三万八百といわれます。
土地の豪族・秦氏が伊奈利山に神社を建てたのが「いなり」の名の由来ですが、伊奈利は稲荷(いねなり)の転化で、神が稲をになっている像から「稲荷」という字が生まれたと言われます。”伊勢屋稲荷に犬の糞”、といわれるほど江戸には稲荷が祀られましたが、東日本で稲荷信仰が盛んになったのは、老中・田沼意次に関係があると謂います。田沼が熱心な信者であることが評判となり、彼のご機嫌を伺う武家や商家が競って真似をしたからです。

本来は農業の守護神だった稲荷は、この様にして江戸中期に開運出世・商売繁盛の神に変身し、時代の流行神になりました。この傾向は、関東一円におよび、王子の狐が関東の狐をたばね支配すると謂う俗信まで生みました。
関東では、狐のことを「トウカ」と言い、特に夜は狐に化かされることを防ぐためそう呼びました。狐を稲荷の神使として稲荷を音読したもので、狐へのへつらいであったわけですね。

今の時節、どちらを向いても気分の良い話はありません。年賀はがきの抽籤すら切手2枚ほどしか当たりません。あなたは良い賞品が当たりましたか。
明日は、診察日でメール送りません。寒い日の通院は嫌ですね。では。

2005.1.19  ライス米次期長官、北朝鮮など6ヵ国を「圧制国家」と名指しで批判

今日は気温も高く、明るい穏かな冬日です。このような日は私の気分も落ち着いて、PCのキイもよく見えます。

昨日は、私は充分問題点が判らないまゝ、NHK「番組改変」の問題を取り上げましたが、朝日新聞は、NHKの従軍慰安婦をめぐる番組改変問題を報じた同紙12日の朝刊記事について、昨日の朝刊で、特集紙面を組み取材・報道経過を掲載していました。
私はメールを送信した後でそのことを知りました。内容的には大きな錯誤もありませんでした。

自民党の安倍晋三幹事長代理は、この朝日新聞の朝刊特集記事について「説明が尽くされているとは到底思えない」などと批判する談話を発表しています。そして、安倍氏は「私がNHK幹部を呼びつけて政治介入したと報じた部分については、取材の内容も明らかにされていない」と指摘し、「この程度の取材で今回の記事が書かれたのだとすれば極めて問題だ」ともしています。

第2期ブッシュ米政権で国務長官に指名されたライス大統領補佐官(50)は上院外交委員会の公聴会で、今後4年間の外交・安全保障政策全般について証言し、北朝鮮やイランなど6ヵ国を人権を抑圧している「圧制国家」と名指しで批判する一方で、「今こそ外交の出番だ」とも述べ、イラク戦争をめぐり亀裂が生じた同盟国との関係修復に全力を挙げる考えを示しました。

「圧制国家」と指摘したのは、北朝鮮、イラン、キューバ、ミャンマー、ベラルーシ、ジンバブエです。公聴会ではライス氏起用に、与野党とも異論は出ておらず、次期ブシュ政権に黒人女性の国務長官が誕生する見通しは固くなりました。

このアメリカの硬派国務長官を迎えて、我が国の拉致問題は解決に向け希望が持てるのでしょうか??。

なお、昨日今日のテレビで、北朝鮮の中で金正日体制を中傷誹謗し、体制を転覆させようとする動きが出てきていることを報じています。
このことが、直ちに拉致問題の解決に繋がる訳ではないが、金王朝の野望に秋風が吹き始めているのを感じます。

今年は色んな変革が、世界規模で見られる。そんな気がしますね。



2005.1.18  NHK「番組改変」告発問題、賠償訴訟の審理続行へ

今日は雲は多いのですが、空は明るく、冬の空と云うところでしょうか。

最近インド洋の大津波の相次ぐ凄惨な被害状況の画が、各局競って放映されるもので、ついつい目を奪われて、見落としていたと言うか、聞き落としていたと言うか、朝日新聞とNHKと中川昭一、安倍晋三両衆院議員が絡んだ古い(01年1月)NHK教育テレビの放送番組の改変問題が取り上げられて居るのに気づきませんでした。また、問題の内容が具体的に説明されませんので、NHKの長井暁チーフプロデューサーが「外部の圧力で戦争報道を改変させられた」と訴えていると軽く考えていました。

内容が変更されたのは、市民団体が東京で開いた「女性国際戦犯法廷」で、「慰安婦制度は昭和天皇に責任がある」とした法廷の判決部分などだと言うのです。
それが放送直前に、NHK幹部と安倍晋三自民党幹事長代理が接触した後内容が変更され、そこに政治の介入があったと言う訳です。
勿論NHKサイドと安倍晋三氏は権力の介入は否定しています。

この「戦犯法廷の主催団体の一人が元朝日新聞の記者だった」ようで、慰安婦問題をどう考えるかと言う歴史認識の議論と”NHKと政治”の関係に引きずり込もうとする勢力の葛藤のようでもあります。
大体において、朝日新聞が出てくると、「偏向した記事、背景にある体制の薄汚い意図を感じると言って憚らない人は多いようです。

私はそんな朝日を問題によっては面白く読んだり、ABCテレビもよく見ます。
しかし、問題によっては苦々しく思う事もあります。
大阪のオバちゃんあたりには、直ぐにソヤソヤと鵜呑みするから危険ですね。
なお、当家には月に三度は朝日新聞の拡販員が来ます。その都度「朝日は絶対購読しないから二度と来るな」と、インターホーンできつく言うのですが、相変わらず、ピンポーンとやって来ます。案外私方を困らせようとしているのでしょうかね。

2005.1.17  東京直下型地震がやってきたら我が国はどうなる?

今日も昨日に続いて天気は良くありません。ここらは曇り時々小雨という所です。東北や関東の太平洋側は寒気が強く雪が降っているようですね。また、新潟県中越地震の被災地は先日来の大雪が大変な問題になっているようですね。兎に角地震のダメージで消雪パイプが壊れ、流雪溝も満足に機能しないため仮設住宅では屋根から降ろした雪も捨て場に困ると云う状況だそうです。既に半壊状態の小千谷市や川口町の家屋は何棟かが雪の重みで倒壊していると言います。

危機管理について大半の自治体は未だに体制作りが出来ていないと批判するマスコミもありますが、どだい(物事の基本)が突然の天災であれば、しかも、広範な地域に亘る出来事であれば、その危機に対応するはずの誰かさんも、家の下敷きになっているやら、子どもや奥さんが大怪我・死亡しているやら、要員が元気に集まれる保証はありません。私は画に書いた餅のような体制作りは意味がないと思っています。

嘗て、警防団の統率のもと防空訓練を再々やりました。しかし、いざ、アメリカの29爆撃機が200機、300機と来て頭の上から爆弾や焼夷弾をバカスカと落としたら、訓練なんて何処かへ飛んでいった事を経験しています。
大きな天災の場合は尚更人間の力の如何に弱いかを知る外無いでしょう。ただ、それが起きた後の救済に就いての準備は十分に考えておいて欲しいものです。

そんなことで、10年前の今日午前5時46分阪神大震災が起り、大きな損害と多数の犠牲者を出しました。犠牲者の数は今では6,433人となっています。神戸中央区の東遊園地の外被災地各地で発生時刻午前5時46分に合わせて追悼の行事が、小雨の残る中行われました。

因みに、去年の今日は雪景色の朝でした。そして、雑学には13年前の(1991)1月17日と9年前の(1995)1月17日の思い出を書いています。

東京直下型の地震が発生したら、日本の首都はどうなるのでしょう。阪神にしても、新潟中越にしても日本の一地方の問題で済みますが、首都壊滅となるとどのような状態が見られるのでしょう。南海地震・東南海地震の事は津波にかこつけて、よく言われますが、最近首都移転の話はあまり聞かなくなりましたが、地震災害の面からも議論されるべきでしょう。

2005.1.15   香川大學の助教授、福岡市で「痴漢」の論文執筆

今日は雲って気温は少し高いようですが、天気は崩れて日本海側に降った大雪は太平洋側に移り、東京も相当の降雪があるやの天気予報です。
しかし、新潟や山形の雪は大変なんですね。テレビで上古志村の様子を見ましたが、地震で既に壊れた上の大量の積雪は、更に建物を倒壊させてしまいそうで、村人たちの雪下ろしは大変な作業のようですね。それにしても気づくのが、屋根に上がって雪を下ろしている人はみんな高齢の人たちで痛々しい感じです。

私は思うのですが、若い人たちは何処へいったのでしょう。私の住まう町内も土地の使用収益が許されて、昭和69年に一斉に住宅の建築が始まり若い家族、中年の人たちが入ってきました。私などは老齢の方でしたが、今は定年退職した人が多くなり、一方子どもであった者は殆ど見なくなりました。子ども会の運営を工夫していた自治会も今は老人対策を考えるようになっています。私ごとですが、我が家は廻って来た自治会役員の順番から老齢を理由にはずしてもらいました。

ニュータウンの老化は、既に早期に出来たニュータウンでは色いろと話題になっていましたが、時が経って我が町も同じ問題を抱え出したかとさびしくなります。

行政も今は保育園などの問題より、高齢施設に手が掛かっているようです。今回のノロウイルス集団発生も、殆どが特別養護老人ホームの入寮者・職員に多く、厚生労働省は、各地で続発しているノロウイルス等の感染症の予防や拡大防止のため、研究班(主任研究者・辻明良東邦大教授)で約5000の特別養護老人ホームすべてを実態調査して対策を検討、3月をめどに施設職員向けのわかりやすいマニュアルを作るそうです。
子どもと違って入寮者は食べるものは結構食べる、それで居て出すものは介護の人に「おむつ」の取替えをしてもらうのですから、一寸した不注意に依って衛生上の不手際が起る心配があります。

また、一方では中々元気な人も居ます。去年東京で「ハンカチ」に手鏡載せて、エスカレーターで女学生の「オケツ」を覗いて警察に捕まった、テレビで一寸名を売った大學の先生が居ましたが、今度は福岡で高校2年の女子生徒(17)に、背後から近づき、スカートの中に手を入れて触るなど(何処を?)して捕まった大學の先生がでました。高松市十川西町、香川大学助教授永瀬雅啓容疑者(37)がそれと報道されています。
最近性犯罪が益々増えていますが、男の性の問題を考えると、いっそ、昔の公娼制度を復活させたらと、とんでもない暴論が出てきそうですね。

気温は平年並みとは言いながら、空は雲って陰気な冬空、頭の体操もこの辺まででしょうか。

2005.1.14    食堂の椅子を張り替えて気分上々です

今朝の空はどんよりとしていて、天気予報と違っているようです。気温は我が家で1.5℃。特に冷え込みが強いとも感じませんが、私にとってはまだ長く寒い我慢の日の第1章です。

待ちどうしいのは、この30日に行われるイラクの国民議会選挙も同じです。シーヤ派に対するスンニ派武装組織の攻撃は次第に激しさを加え、最近の情報ではイスラム教シーア派の最高権威シスターニ師の側近ら7人が相次いで殺害されたと云うことです。ザルカウィ幹部組織が絡んでいる、このイラクの情勢で果たして期待されるような選挙が出来るのでしょうか。
ここで一寸待ってください。椅子の張替え業者が来たようです。(10時5分)

(10時50分)お待たせしました。当家ここへ移って21年、ダイニングの椅子も草臥れて、孫も幼く汚しもしていましたので、この際張替えをしました。
タウンページで簡単に専門の業者は見つかり、5日に持って帰らせたものが今日届きました。シッカリした出来上がりで満足しています。ただ、値段は1脚8000円、6脚で48000円也を支払いました。しかし、畳おもてと何とかは新しいのがいいと言いますが、椅子も張り替えると嬉しいものでね。

とんだ道草をしました。最近性犯罪、特に小児に対する性犯罪が、目立って多くなりました。当地奈良では先日小1女児誘拐殺人事件が発生しました。事件は警察の努力や民間の協力、携帯電話の発信記録などで解決はしましたが、これを契機に小児性犯罪の前歴者については矯正施設出所後の居住地情報などを公表すべしとする世論が高まり、漆間巌警察庁長官が提起して警察庁と法務省は協議し、法務省は、再発防止策として警察に出所者情報を提供することにするそうです。

ノロウイルスの菌による発病、患者は後を絶たず、13日も続いて、全国の10を越す都道府県の老人施設で感染者が120人以上発見されたと伝えられます。
感染者は、特別養護老人ホームや障害者施設の入居者、職員などが目立っているようですが、このような施設では賄いにアルバイトやボランチャの人がたずさわっている事が多く、そんな事情があるのではないでしょうか。
私の住いの直ぐ横に特養老ホームがあって、私の家内もボランティアとして一時厨房の手伝いに行ってましたが、今はやめさせています。(この施設ではまだノロウイルスの感染患者は聞きません)

中途で席を立って時間が過ぎ、私の課業時間はなくなりました。後は明日に。

2005.1.13  ミサイル迎撃、閣議を経ず、現場指揮官が判断

今日は快晴です。そのため放射冷却で日の出前の気温は±0度でした。
それにしても今年は年初から冷え込みました。私の経験からすると寒さの来るのが少し早かったように思えます。それだけ春も早いのでしょうか。
いずれにしても寒い・冷たいは血管が細く、血の廻りの悪くなった私には毎日が地獄の責め苦です。脚・足が思うように動きません。階段の上り下りには随分気を遣います。そのうち脳みそへの廻りが悪くなりはしないかと、この「駄文雑学」をやめかねています。HPの場を頭の体操に使わして貰っています。

今朝の新聞に「ミサイル迎撃には、緊急発進並みに閣議を経ないで現場指揮官が判断して行える」よう「弾道ミサイル対処措置(仮称)」を自衛隊法に新設の方向が出されたとありました。アッタリ前のことでしょう。
兎に角、我が国の政府・官僚・政党を含めてやる事が恐ろしくノロマです。「泥縄」とも言いますが、飛んでくるミサイル見上げて東京へ電話する積りだったのでしょうか。こんな事は新聞一面に載せる程の事ではありません。
取り上げるマスコミがおかしいのでしょうか。

詰まらないから外の話をしましょう。
「男娼」とは何と読むかご存知ですか。ダンショウと音で読んでしまえばそれまでですが、これは変童(へんどう)、衆童(しゅどう)と同じ「男色を売る者」の意で、「かげま」と読みます。本格的舞台役者を「本間」と言いますが、演技力に乏しく、男色を専門にする者を「陰間」と云ったそうです。
これは元々は「カケマ」だったとの説もあります。つまり、50音順カ行の「カ」と「ケ」の間、即ち「キク」の隠語だと云うのです。「キク」は即ち「菊」で菊座(形が似ているところから、肛門の別称とされ、転じて男色を意味する)を指すと云うのがこの説のよるところだそうです。
ちなみに、「野郎」も男色を売る者で、「野郎」とののしられた時、「この(男色)野郎」と言われていたと思えばはなはだ気分が悪いでしょう。

気温が少し上がって頭への血の廻りも少し改善されました。途端に腹が減って来ました。
時計も11時40分を指してます。ここらで失礼。

2005.1.12   散々な三段論法…散々論法について

今日は既に12日、恵比須さんもおわって「松の内」とは言いながら世間は普段の顔を取り戻して、忙しく動き出しています。
スマトラ沖地震・インド洋大津波の被害は極めて広い範囲に広がっていますので、その各地で写されたビデオが次々届くようでテレビは毎日その津波の寄せる惨状を伝えています。そして「我が局が手に入れた」と前置きして放映しています。しかし、チャンネルを回すと他局も同じ画を流しているという皮肉な一面を視聴者は苦笑いして見ています。

私は津波を見た経験はありません(昭和9年9月21日の室戸台風による高潮は見ています)。しかし、慶応元年生まれの私の祖母は津波の恐ろしさを、子どもの頃お祖母さんから聞かされたそうです。西国街道沿いの青木(おおぎ)に住まっていたそうですが、夜中にザッザッザーと音がして土間へ海水が流れ込んできたそうです。当時の海岸線は、今より西国街道に近かったと思えますが、それでもかなりの距離だったのでしょうが、高潮とは違う恐ろしさであったようです。

西宮神社の南側の「大練塀」に、水平に何層かの筋が付いていましたが、津波の跡だと子どもの頃教えられました。
これらの事は安政の大地震の事でしょう。(安政の大地震については、去年の8月5日の雑学をご参照ください)

昨日も書いた「ノロウイルス感染者」は、今朝の新聞では「全国で8400人、死者は14人と報じています。しかも、特別養護老人ホーム(特養老)での集団感染が多いようです。全国の特養老相互に共通な問題があろう筈は無く、偶然としてでもどうして、今年こんな現象が騒がしくなったのでしょう。

偽札(偽金)が大量に出回って世間を騒がせましたが、散々論法(散々な三段論法)で考えると、次のようになりますね。
  「にせ札(偽金)づくりは  立派な人である」
論理や、まして論理学などは、「ことば」以前に存在したのではなく、人が何十万年も「ことば」を使ってきて、考え出したことでありますから、たいていの「ことば」は論理などお構いなしであります。

あの映画づくりで有名なゴールドウィンと云う人などは「あいつに月給を払い過ぎている。しかし、やつはそれに値する男だ」等といつも口にしていたと言います。

論理になじまない事では女性の方が一枚上手(うわて)です。「嫌いだから嫌い」のような発言、つまり「私はあの人が嫌いである、なぜならあたしあの人が嫌いだから」のように、命題の理由に命題そのものを持ってくる。これを「女の論理」と言います。
スピード違反で捕まっても「80キロも出したですって、だって家を出てまだ15キロしか走ってませんよ」。

女性とは限りませんが、論理に向かない頭の人には、三段論法も散々論法となります。
  大前提  立派な人は立派な例をまねる
  小前提  偽札づくりは立派な例をまねる
  結  論  ゆえに、偽札づくりは立派な人である

今日も外は冷たい風が吹いています。
ノロウイルスだけじゃなくインフルエンザにも気を付けましょう。

(^。^)村ちゃん、 文中の安政の大地震の津波の話かどうか分かりませんが、今晩の NHKTVの「そのとき歴史が動いた」で放送するようですね。

この放送、私も見ました。私の小学校5年生の「国語」の教科書にあった「稲むらの火」の話でしたね。紀州広村の出来事ですが、濱口儀兵衛が江戸や銚子で醤油屋をしていた事、その財産をつぎ込んで広村の海岸に素晴らしい堤防を作った事は初めて知りました。この堤防はまだあるのでしょうが、和歌山営業所に居って何度も鉄道で海岸線を走りましたが、まったく気づきませんでした。
嘉永7年(1854)6月に近畿中南部に始まり、安政元年(1854)11月4日東海、5日南海、そして安政2年10月2日の江戸直下と続いた地震の恐ろしさは、いま、国内では「淡路・阪神」「新潟中越」そして、津波の恐ろしさをスマトラ沖大地震・インド洋大津波が、日本人の記憶を叩き起してくれました。
地震保険の大キャンペーンの時でしょう。…(元保険屋)



2005.1.11   インド洋大津波の被害は次第に大きく止まらない

昨日の十日戎は随分と冷え込みましたね。”エエ福”が貰えましたか。
私は残念ながら、お詣りもできず、寒さと空気の乾燥に、終日半病人状態で、年初のメールは表面機嫌良く書いたもののあとは暖房効かせて居間に籠もりきりでした。
考えてみると、私は大正十五年生まれ、昭和の時代は年号と私の数え年は一緒でした。今年は昭和に直すと80年、さすれば私は80歳、むかし、子どもの頃に仏事などで親戚が集まると、必ず元老格の気難しそうなおじいさんがいましたが、そんなおじいさんでも今考えると、精々60歳前後、それが大変恐ろしい人に思えたものです。

さて、今年は一体どんな年になるのでしょうか。既に去年までに日本が、或いは世界が抱えた問題はいずれも解決の無いまま今も残っています。

例えば新潟中越地震の後始末も出来ていません。先週には大雪で山古志村あたりは1m30〜50もの積雪があって、避難をしている住民は許可を貰って自宅の屋根の雪下ろしに入っています。勿論その下の家屋は既に地震で半壊状態でしょうが。
その外、台風・豪雨による河川氾濫による災害復興。何時まで経っても「暖簾と腕押し」で、経済制裁を行うべしとの議論の騰がる北朝鮮による拉致問題等など。
奇跡の生還!スマトラ沖大地震の津波で15日間漂流し、救助されたアリ・アフリザルさん=AP、asahi.com
世界的には、何時まで続くイラクの戦闘、テロの続発。果たしてイラクにまともな自主政権が出来るのかと云う問題があります。又、年末には15万人とも20万人とも言われる犠牲者を出したインド洋の大津波。
日本も先頭切ってアメリカ・ドイツと共に支援に乗り出しています。国・国際機関の支援表明額は50億ドルを超えています。しかし、金だけで満足に復旧できるものではありません。長い時間と国際協力が必要でしょう。

今年はどんな年になるのかな等は、いま考えている余裕も無いでしょう。
勿論、個人的には新社会人として希望溢れる人生を踏み出す人、良き配偶者を見つけて愛の巣を営もうとする人たち、夫々の希望に燃えるのは当然でしょう。

年寄りに一つ気がかりな新聞記事がありました。それは、各地の特別養護老人ホームで「ノロウイルス」なる食中毒が、流行でもないのでしょうが、集団発生していることです。福山市で7人死亡、奈良6人、枚方市2人、宮崎県で11人、千葉県50人と全国で猛威を振るっているようです。
特別養護老人ホームの入室希望者は大変多いと謂いますから、これで新陳代謝が図れるなどとは考えてはいけません。(入室待機者やその家族は、案外「ノロウイルス」に期待を掛けているかも知れませんね。)

つい、余計なことを言いました。今日は寒い風があります。杉花粉の飛ぶのも近いでしょう。
今年も先ず健康第一に過ごしましょう。

2005.1.10    私の駄文雑学を再開します!

私の駄文は暮れから正月を挟んで1ヶ月休みました。今日は既に2005年の1月10日です。今更、「明けましておめでとうございます」も気合抜けしますが、関西では昔から「15日」までを「松の内」としました。【関東では7日までを「注連(しめ)の内」とします】だから、15日までは新年の挨拶が出来ました。
松の内が終わる15日には門松を取り払い、注連縄も収めます。そして、門松や注連縄を燃やし(どんど)して、その灰を屋敷の4周に撒いて家内安全・無病息災を祈念します。また、地方によっては左義長(さぎちょう)等の行事も残っているようです。
鏡餅は適当な大きさに切って小豆粥に入れて食べます。これを十五日粥と言いますが、「十五日あずきがゆを煮て天狗を祭れば、年中の邪気を除く」と云う中国の古説に基くものです。

今日1月10日は、「成人の日」で、今年成人になった者は国・地方自治体・企業などが主催する行事「成人式」で祝いを受けます。

また、この1月10日はに私などの年配の者には「入営の日」と言う事柄も思い出させます。徴兵制度のあった昔は、徴兵検査に合格した者は兵役に服する為に、初年兵としてその地方の連隊へ入営します。郷党(郷里の人々)に送られ「万歳々々」で兵営地に向うのです。その家には、「何々君の入営を祝す」と云う吹流しが立てられ一見それと判る様子でした。【こんな情景は昭和12年くらいまでで、その頃からは予備役のかり出しで、即ち、召集で毎日のように全国の駅頭で幟と「万歳万歳」の声が聞こえました。

しかし、何と言っても10日は「十日戎」です。初恵比須とも言いますが、西宮の西宮神社、大阪の今宮、京都建仁寺門前の蛭子社などは殊に賑わいます。
これは元来商売の神様で商人の信仰は特に篤いのですが、戎は聾であるというので、社の表からお詣りするばかりでなく、社の後へ廻って羽目板を敲き「只今詣りましたで、おさい銭たんと入れましたで」と念を押して帰る風習がありました。
お正月の気分の残る恵比須祭りは賑やかで景気の良いものでした。昨日9日が宵戎、明日11日は残り福です。
 
景気ヨー、笹に縁起物をたんと付けて貰うて、みんなしてお詣りにいきまひょか。
   ♪「十日戎の売物は、はぜぶくろにとりばち銭叺(かます)、
        小判に金箱立烏帽子、ゆでばす、木椎(さいづち)、
           束熨斗(たばねのし)、お酒(ささ)をかたげて千鳥足」

あんさん達、ええ福貰いなはれや!。新年でっさかい、私も嫌な話は抜きにして、こんな所で失礼しまっさ。今年もよろしゅうにたのんまっせ。





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