「大工さんの雑学講座」でご活躍いただきました、
大工欣二良様が、2009年8月3日にご逝去されました!

謹んでお悔やみ申し上げますとともに
ご冥福をお祈りいたします。


皆様方には、ご生前に賜りました暖かいご声援に対し
深く感謝申し上げます。


大工さんの雑学講座 
Ohgu's Zatugaku
阪神タイガース大好きの奈良市の大工(おおぐ)さん

index 2005.3.12〜1.10 2004.10.1〜12.6 2004.9.1〜9.30 2004.7.1〜8.10
2004.5.1〜6.30 2004.4.〜4.30 2004.3.1〜3.31 2004.2.1〜2.28
2004.1.1〜1.31 2003.12.1〜12.27 2003.11.4〜11.30 2003.8.11〜11.03
2006.6.3
 五月の天候不順にはホトホト難儀しましたが、月が変って雲の多い天気ながら気分的にはホットしています。
貴君お変わりなくご活躍のご様子、更に「関西みつわ会」、会誌の充実に敬意を表しています。
お送り頂いた会誌一部を佐藤充兄に送りました。彼は大阪で入社、大阪育ち、懐かしい人たちの名前や元気な近況報告にしばし当時の回想に耽った様子でした。有りがたくお礼を葉書でくれました。ここに彼の謝意をお伝えします。特に縄船友市くんの急な訃報には驚いたようでした。
 
 話は変わりますが、最近60台前半から70台前半の人の訃報が多いようですね。みつわ会本部の訃報欄を見ても、その感を強くします。
尤も私が、最初心筋梗塞を発症したのが私の64歳の時でした。2年後喉頭がん・前立腺がんを発見したのですが、私の場合は命永らえて今日にいたっております。来週水曜日、即ち7日には八十歳になります。
しかし、今言うように60歳前半からは皆さん健康には充分なご留意が大切かと敢えて申し上げたいと思います。
とき、あたかも俳優岡田真澄の葬儀の模様をテレビで報じていました。彼は享年70歳でした。

2006.2.11
しばらくご無沙汰しました。元気者の貴君のこと故お変わりなくご活躍の事と、お慶びします。
昨日、定例支部総会の案内を受け取りました。小生の出欠の返信は、いつもの通り(悲しい事ですが)「欠席」でお返しします。
この冬は殊のほか寒く、しかも昨年暮れ早くから大雪など降らせて、山陰から近畿北部・北陸、特に越後・東北と雪による災害の様子が伝えられています。
こんな状況の中、イタリア・トリノでは冬のオリンピックが始まりました。
今日はむかし流に云うと「紀元節」です。男系・男子一系の天皇家のしきたりも、皇室典範の見直しとして小泉内閣の手で改革されようとしていましたが、秋篠宮家の紀子様懐妊で、しばらくお預けになったようです。
偶々、改革審議が国会で騒がれ出した時期に、NHKがスクープして小泉さんも暫し口を閉ざしました。懐妊後異常に早い時期に、しかもNHK(公共放送)を使ったのは宮内庁の策略かと、そのタイミングの良さに小生、感心しています。
寒い中、それでも詰まらぬ事を考えながら、生き抜いています。
ご無沙汰がすぎたので総会案内来信を期にメールしました。まだまだ寒さは続きます。
くれぐれもご自愛のほどを。
2005.9.23

暑かった今年の夏もさすが彼岸ともなれば、ズント過ごしやすなってきました。
今日はやっと貴君にメール入れてみようかなぁと云う気になってPCを開いて見ました。

今年、岡田阪神は元気ですね。タイガース人気は一昨年にも増して揚がっています。胴上げは甲子園でと願っています。
それにしてもダラシの無いのは日本の国技と言われる相撲ですね。今土俵の上ではモンゴル人とブルガリア人が優勝を競っています。日本の力士はどうなっているのでしょう。

国会では小泉純一郎首相の作戦がものの見事に花咲いて、小泉の思惑どうり郵政民営という爆弾一発で自民党内抵抗勢力を粉砕すると云う清々しい国会の体制が出来上がりました。あの陰気臭い岡田民主党も傍杖喰って元気が出ません。

小泉グループの独裁的傾向も気を付けなければいけませんが、ここしばらくは信頼して見守りたいと思っています。そんなこんなを考えて、ただ、テレビを見るだけの生活をしています。

元気です。ご放念を。                          怱々

2005.8.3

 長いご無沙汰の間も、「雑学」がしり切れトンボになっているのを、何とか再起したいとそれなりに気にしていましたが、最近の環境に適合する生存能力を失った身には新聞を読み、テレビを見て、或いは本を読み自分なりの理解・判断・解釈、そして意見を纏める能力も薄れ、あァ、歳は取りたくないなァと嘆いています。健康であってこそパンチの効いた意見も持てようと云うものですね。

二ヶ月ほど前に新聞の広告を見て、二冊の本を買いました。

その一つは、「韓国は日本がつくった」、もう一冊は「近代中国は日本がつくった」です。何れも台湾の文筆・評論家黄文雄(こう・ぶんゆう)氏の著書です。

韓国・中国が何かにつけて「歴史認識」を持ち出して私達の気分を損なうのに、我が国の政府はいつも只々頭を下げて、ご無理ご尤もと「過去に不幸なことがありました」、ご免なさいと云わんばかりの事しか言っていません。
今また、小泉首相の靖国参拝問題を云々されて、反小泉派や五月蝿いマスコミに振り回されている日本を見て、台湾人と云う立場ではこの問題をどの様に見るのかと興味が沸いて、これらの本を買いました。
しかし、老いの目には捗々しく読めません。
もし、ご興味のある方は一読されては如何かと思います。

2005.4.27

 長らくご無沙汰しました。
お元気で益々ご活躍のご様子を拝察し、慶賀に思っています。
この月曜日には大変な列車事故が起きましたね。もともと、西宮市の生まれ、育ちですが、既に奈良県に済んで40年にもなり、スッカリ宝塚や塚口は私には遠いものになっていましたが、この福知山線は今では大阪の東西をつないで、片町線に通じているのですね。転覆した電車が同志社大学前行きと聞いてアアそうであったのだと気づきました。

 事故の原因などはいずれ厳密に調査され、発表されるでしょうが、最も安全な日常の乗り物としての電車がこの様に大きな事故を起し、多くの死者、負傷者を出すと我々の受けるショックは大きいですね。

 私が記憶している電車の事故では、戦前ですが西成線(昔、大阪環状線は出来ておらず、東へは東成線が延びていました)にはガソリンカーが走っていました。そのガソリンカーが安治川口で転覆し火災になって多くの死者が出たのを思い出します。転轍係が最後尾の車両の通過を見届けず、ポイントを変えたため、最後部車両が又割きになった状態で横転しガソリンに火がつき大惨事になりました。

 更に、昭和26年4月24日には国電京浜東北線桜木町駅手前の高架の上で、パンダグラフの切断で発火、火達磨となって乗客105名焼死、重軽傷60余名を出しました。
この件、何故憶えているかと云うと、6・3型の車両で窓が上下2段に別れ開き難かったと云うことでした。6・3式の車両は怖いと噂を呼びました。

 もう一つ、忘れられない電車事故は、昭和23年3月、生駒のトンネルを出た近鉄の急行が、ブレーキの故障で停まらなくなり、加速を付けたまま生駒を下り、花園駅に停まっていた普通車に追突、乗り上げた事件でした。急行は金属製、追突された普通車は木製のもので、車体はフッ飛び乗客はその床に擂り潰されたように亡くなっていました。私は当時若江岩田の第二久保田の工場にいましたので、昼の休みに菜の花が咲く畑の中を通って見に行きました。花園駅には駅前に病院があってその庭に「むしろ」を掛けた遺骸の列が出来ていました。

 一昨日・昨日とテレビを見ているうちにフト、むかし見た情景が想い浮びました。大量に犠牲者の出た様子は見るのもおぞましいものですね。

 元気です。ご安心を。気候も良くなりましたのでチョクチョク便りします。


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